犬神少女とカゲロウ鬼

 どれくらいそうしていたのかは分からない。
 時間の感覚はとうに失われていた。
 不意に、スマホが震える。
 画面を見ることもせず、千咲はそのまま動かなかった。

 数コールの後、着信音が途切れる。
 部屋に、再び静寂が戻ったその直後——。

 廊下を歩く足音がひとつ。
 こちらへ近付いてくる。
 次いで、ガラリと襖が開く音がした。
「千咲ちゃん」

 聞き慣れた声に、千咲は涙で濡れた顔をゆっくりと上げる。
 そこに立っていたのは、響牙だった。

「たった今、帰ってきたんだ。——克巳から色々聞いたよ」
 言いながら、響牙は手にしていた紙袋を覗き込み、箱をひとつ取り出す。
「お土産買ってきたんだ。チョコレート。食べる?」

 千咲は小さく首を振り、視線を落とした。
 とてもじゃないが、何かを口にできる気分ではない。

 それを察したのか、響牙は箱を机の上に置き、そっと千咲の隣に腰を下ろした。

「影朧ね……君と過ごす時間は、楽しかったって言ってたよ」
 その言葉に、胸の奥がじわりと熱くなる。
 彼がそんなふうに想ってくれていたことが、嬉しくて、同時に苦しい。

「あの子は君のこと、好きみたいだから」
 静かに告げられて、千咲は唇を噛みしめた。

「……私も」
 震える声で呟き、少し間を置いてから、はっきりと口にする。

「私も……四鬼崎さんのこと、好き」
 一緒にいるのが心地よくて、当たり前になっていて——。
 その想いに辿り着くまで、少し時間がかかってしまったけれど。

 響牙は静かに懐へ手を伸ばし、ハンカチを取り出す。
「千咲ちゃん。もし、君が辛くなければ——」
 前置きしてから、そっと千咲の頬に触れ、涙を優しく拭った。

「最期まで……影朧のそばに、いてあげてほしいんだ」
「——……分かった」
 小さく、けれど確かな声で答える。
 千咲自身も、出来る限り長く、彼と同じ時間を過ごしていたい。

 響牙は安堵したように息をつき、立ち上がる。
「じゃあ、お土産持って行こうか。一緒に」
「うん……」
 千咲も立ち上がり、響牙と並んで、影朧の部屋へと歩き出した。