犬神少女とカゲロウ鬼

「——良い映画だったね」

 映画が終わった頃には、外はすっかり夕焼けに染まっていた。
 ショッピングモールを出ると、空は橙から紫へとゆるやかに色を移ろわせ、ガラス張りの外壁やアスファルトに、柔らかな光が反射している。

 千咲と影朧は、感想を語り合いながら街並みを歩く。
「はい。特に花火のシーンが、印象的でした」
 影朧はそう言って、スクリーンに映っていた情景を思い返すように、少しだけ目を細めた。

「四鬼崎さんは、花火、見たことある?」
「いえ。……家が少し奥まった場所にあるので」
「じゃあさ、夏になったら一緒に見に行こうよ、花火」

 その一言に、影朧の足がふと止まる。
「それでさ、お祭りで美味しいもの食べたりしてさ」
 千咲は数歩先で振り返り、軽く首を傾けて言った。
「ね?」

 夕日を背にしているせいで、影朧の表情はよく見えない。
 けれど——逆光の中でも、口元がゆるやかに弧を描いているのだけは、はっきりと分かった。

 ◇

「今日はありがとうございました」
「ううん、こちらこそ。じゃあ、また明日ね」
「はい、おやすみなさい」
 神晶の社に戻り、千咲は影朧と別れた。
 
 彼の姿が廊下の向こうに消えるのを見届けてから、ゆっくりと歩き出す。

 ——そうだ、今日はまだ霊力の供給をしていない。
 思い出したように、千咲はエレベーターの方へと足を向けた。

 神晶石の間は静まり返っていて、人の気配はない。
 淡く光る勾玉だけが、変わらぬ姿でそこに佇んでいる。

 千咲は神晶石の前に立ち、そっと手を合わせた。
 意識を集中させると、身体の奥から温かな霊力が流れ出し、石へと注がれていく。

 その最中、自然と今日一日の出来事が脳裏に浮かんだ。
 映画館の暗闇、ポップコーンの匂い、スクリーンを見つめる影朧の横顔。
 夕焼けの街を並んで歩いた時間や、花火の約束。

 ——楽しかった。
「……四鬼崎さんといると、なんだか落ち着く」
 思わずぽつりと呟く。

 神晶石の光が、ほんのりと強まったのを感じながら、千咲は小さく息を吐き、静かな満足感に身を委ねた。

 3章 了