その後、特に大きな混乱もなく、全員で無事に地上へ戻った。
子供のことは「俺に任せておけ」と克巳が言ったため、千咲と影朧には、休日らしい、ゆったりとした時間が返ってくることになった。
けれど、千咲の心は少しも晴れなかった。
人の姿に戻り、自室へ帰っても、思考は地下で見た日記から離れない。
あの拙い文字に綴られていた、閉じ込められた日々。
暴走を恐れられ、外へ出ることも許されなかった記録。
そんなことが、現実に起こっていた可能性。
蔵は危険だから近付くな、と昔から言われてきた理由——。
与太話だと笑い飛ばされていた噂が、急に現実味を帯びて胸に迫る。
更にその事実に、響牙と克巳が関わっている可能性があることが、千咲の全身を鉛のように重くした。
「——〝つながっている〟って、なんだろう……」
分からないことばかりだ。
問いは次々と浮かぶのに、それに答えてくれる相手はいない。
そんなときだった。
静かな部屋に、スマホの着信音が響く。
画面に表示された名前を見て、千咲は息を詰めた。
——響牙ちゃん……。
出るべきか迷いが過ぎる
けれど、このまま無視するわけにもいかない。
千咲は小さく息を整え、意を決して通話ボタンを押した。
「——もしもし」
『もしもし。千咲ちゃん、今時間大丈夫?』
「う、うん。大丈夫だよ。どうしたの?」
普段通りに話そうと心がけるものの、声がわずかに強張り、言葉が思うように滑らかにならない。
『影朧のことが気になってね。どう? 迷惑かけたりしてない?』
「全然。むしろ、すごく真面目で助かってるよ」
『そう。なら良かった』
受話器越しに聞こえる響牙の声は、いつもと変わらず穏やかで落ち着いていた。
『——なんだか元気ないね? 何かあった?』
「え——」
一瞬、胸が詰まる。
聞くべきじゃない、と思う気持ちと、気になるならいっそそれとなく探ってみようという思いがせめぎ合う。
「……響牙ちゃんはさ、北の蔵について、何か知ってる?」
『北の蔵? いや、特に知らないけど……どうしたの、急に』
「その……噂のこと、ちょっと気になっちゃって」
電話の向こうで、響牙が「今さら何を」と言いたげに小さく笑ったのが伝わってくる。
『あれはね、小さい子が近付かないようにするための作り話だよ。だいぶ古い建物だからね』
「そ、そうだよね……」
あっさりと一蹴され、これ以上踏み込むのは難しそうだと悟った。
『そういえば、このあと影朧と映画を観に行くんだって?』
「え? ああ、うん」
急に話題が変わり、千咲は少し拍子抜けする。
『あいつ、すっごく喜んでたよ、初めてだからさ。だいぶはしゃいでたね』
「そっか……」
影朧が目を輝かせて、落ち着きなくしている姿を思い描く。
普段は穏やかで大人びているのに、楽しみを隠しきれずにいる様子を思うと、思わず頬が緩んだ。
——誘ってよかった。
胸の奥に、ほっとした温かさが広がる。
『こっちの仕事はもう少しかかりそうだから、引き続き影朧のことお願いね。映画、楽しんできて』
「うん。お仕事、頑張ってね。それじゃあ、行ってくるね」
通話が切れ、静寂が戻る。
普段通りの響牙でいてくれたことに、千咲は少しだけ安堵した。
気になることは山ほどある。
けれど、深入りしたところで、今の自分に何か出来るわけでもない。
千咲は小さく首を振り、思考を切り替えた。
今は、彼との映画の時間を、素直に楽しもう。
子供のことは「俺に任せておけ」と克巳が言ったため、千咲と影朧には、休日らしい、ゆったりとした時間が返ってくることになった。
けれど、千咲の心は少しも晴れなかった。
人の姿に戻り、自室へ帰っても、思考は地下で見た日記から離れない。
あの拙い文字に綴られていた、閉じ込められた日々。
暴走を恐れられ、外へ出ることも許されなかった記録。
そんなことが、現実に起こっていた可能性。
蔵は危険だから近付くな、と昔から言われてきた理由——。
与太話だと笑い飛ばされていた噂が、急に現実味を帯びて胸に迫る。
更にその事実に、響牙と克巳が関わっている可能性があることが、千咲の全身を鉛のように重くした。
「——〝つながっている〟って、なんだろう……」
分からないことばかりだ。
問いは次々と浮かぶのに、それに答えてくれる相手はいない。
そんなときだった。
静かな部屋に、スマホの着信音が響く。
画面に表示された名前を見て、千咲は息を詰めた。
——響牙ちゃん……。
出るべきか迷いが過ぎる
けれど、このまま無視するわけにもいかない。
千咲は小さく息を整え、意を決して通話ボタンを押した。
「——もしもし」
『もしもし。千咲ちゃん、今時間大丈夫?』
「う、うん。大丈夫だよ。どうしたの?」
普段通りに話そうと心がけるものの、声がわずかに強張り、言葉が思うように滑らかにならない。
『影朧のことが気になってね。どう? 迷惑かけたりしてない?』
「全然。むしろ、すごく真面目で助かってるよ」
『そう。なら良かった』
受話器越しに聞こえる響牙の声は、いつもと変わらず穏やかで落ち着いていた。
『——なんだか元気ないね? 何かあった?』
「え——」
一瞬、胸が詰まる。
聞くべきじゃない、と思う気持ちと、気になるならいっそそれとなく探ってみようという思いがせめぎ合う。
「……響牙ちゃんはさ、北の蔵について、何か知ってる?」
『北の蔵? いや、特に知らないけど……どうしたの、急に』
「その……噂のこと、ちょっと気になっちゃって」
電話の向こうで、響牙が「今さら何を」と言いたげに小さく笑ったのが伝わってくる。
『あれはね、小さい子が近付かないようにするための作り話だよ。だいぶ古い建物だからね』
「そ、そうだよね……」
あっさりと一蹴され、これ以上踏み込むのは難しそうだと悟った。
『そういえば、このあと影朧と映画を観に行くんだって?』
「え? ああ、うん」
急に話題が変わり、千咲は少し拍子抜けする。
『あいつ、すっごく喜んでたよ、初めてだからさ。だいぶはしゃいでたね』
「そっか……」
影朧が目を輝かせて、落ち着きなくしている姿を思い描く。
普段は穏やかで大人びているのに、楽しみを隠しきれずにいる様子を思うと、思わず頬が緩んだ。
——誘ってよかった。
胸の奥に、ほっとした温かさが広がる。
『こっちの仕事はもう少しかかりそうだから、引き続き影朧のことお願いね。映画、楽しんできて』
「うん。お仕事、頑張ってね。それじゃあ、行ってくるね」
通話が切れ、静寂が戻る。
普段通りの響牙でいてくれたことに、千咲は少しだけ安堵した。
気になることは山ほどある。
けれど、深入りしたところで、今の自分に何か出来るわけでもない。
千咲は小さく首を振り、思考を切り替えた。
今は、彼との映画の時間を、素直に楽しもう。


