犬神少女とカゲロウ鬼

 ◇

 中は思っていたよりもずっと広かった。
 壁と床は無機質なコンクリートで舗装され、奥へと真っ直ぐ伸びている。大蛇となった克巳の巨体でも、余裕をもって進めるほどの幅だ。

 克巳がパチンとスイッチを入れると、薄暗かった通路が一気に白い光に満たされた。
 先頭に克巳、その後ろに千咲、最後尾に影朧。三人はその隊列で、慎重に足を進める。

 歩きながら、影朧が先ほど見た子供の記憶について語り出した。
「友達と、興味本位でここに入り込んだようです。ですが中に潜んでいた妖怪に襲われた……。あの子は必死に逃げ出せたものの、友達の方は――おそらく、まだ中にいます」

「じゃあ、妖怪を倒して、その子を助ければいいんだね」
「そういうこと」
 克巳がこちらを向き、巨大な尾をゆるりと揺らした。

 ——それにしても。
 まさか、蔵の下がこんな構造になっていたなんて。

 神晶の社に長く暮らしている千咲だが、あの蔵には近付くなと幼い頃から言われ続けていた。老朽化が進んで危険だからという理由だったため、疑いもせず、今日まで足を踏み入れることはなかったのだ。

「ここ……何の施設なの?」
 先頭を行く克巳に問いかける。
「さぁな。俺も、ここに来るのは初めてだし」

「そうなの? スイッチの場所とか、すぐ分かったから、てっきり来たことあるのかと思った」
「……あー、それはほら。アレだよ、たまたま目についただけでさ」
 克巳は曖昧に笑い、言葉を濁す。

 その歯切れの悪さに、千咲は眉をひそめた。
 明らかに、嘘だ。

 何かを隠しているのだろうか。そんな考えが()ぎり、ふと、昔聞いた蔵にまつわる噂が脳裏を掠める。
 
 危険な狛人を閉じ込める場所——。
 
 だが、すぐに首を振って打ち消した。そんなの、ただの与太話だ。

「——そうだ」
 千咲は後ろを歩く影朧へと振り返る。
「妖怪って、どんなの?」

「ああ、すみません。失念しておりました」
 影朧は一度小さく息を整え、視線を通路の奥へ向けた。
「この先にいるのは——」
 彼が言いかけた直後——。

 千咲は大蛇の尻尾に顔をぶつけた。
 後ろを向いていたせいで、急に立ち止まった克巳に気付かなかったのだ。

「——おいでなすったな」
 克巳は低く、張り詰めた声音で言うと、口元に短刀を呼び出し、器用に咥えた。

 千咲の犬耳がぴくりと跳ねる。
 奥の闇から、ダダダッ、と地面を叩く複数の足音。
 目を凝らして見えたのは、三体の巨大なネズミ。全身が鉄のような剛毛で覆われている。

鉄鼠(てっそ)だ」
 呟き、千咲は前方へ墨を投げつけた。
 空中で墨は形を変え、三匹の犬となって床を蹴る。
 墨犬が駆け出すのと同時に、克巳と影朧もそれぞれ間合いを詰める。

 墨犬達は唸り声を上げながら、一体の鉄鼠へと一斉に飛びかかった。
 ギャリ、と嫌な音を立て、鉄鼠はそのまま噛み砕かれる。

 残る二体のうち一体に、克巳が素早く巻きついた。
 長い胴体がギチギチと締まり、鉄鼠は苦悶の声を上げて暴れる。

 だが、もう一体がその隙を突き、克巳へ飛びかかろうとした——。
「させません」
 影朧が一歩踏み込み、太刀を振るう。
 鋭い斬撃が閃き、鉄鼠の身体は一瞬で両断された。

 最後に残った個体へ、克巳が短刀を構える。
 締め上げたまま首元へ刃を突き立てると、鉄鼠は力を失い、塵となって崩れ落ちた。