【序章 音のない朝】
雪は、音を立てずに降る。
それは、まるで世界が深呼吸をしているみたいだった。
私――風莉は、校門の前で立ち止まり、白く曇った空を見上げた。
吐く息が白い。
胸の奥も、同じ色をしている気がした。
二年生の冬。
この季節が、私の人生でこんなにも大きな意味を持つなんて、
そのときはまだ、知らなかった。
――――――――――――――――――――
【第1章 初雪と、名前を呼ぶ声】
放課後の弓道場は、いつもより静かだった。
雪が音を吸い込んでしまったみたいに、足音さえ遠く感じる。
「おはよう、風莉」
その声を聞いた瞬間、胸が強く跳ねた。
朝比奈先輩。
弓道部の中で、誰よりも落ち着いていて、誰よりも真剣な人。
「おはようございます」
目を合わせるのが、怖かった。
見てしまえば、全部ばれてしまいそうで。
好きだと気づいたら終わりだと、ずっと思っていた。
この関係が壊れる気がして。
「寒いな。手、冷たいだろ」
差し出されたカイロ。
一瞬、指先が触れた。
それだけで、心臓が追いつかなくなる。
――――――――――――――――――――
【第2章 矢は心を映す】
弓を構えると、自分の心がそのまま現れる。
最近、私はうまく引けなくなっていた。
先輩が近くにいるだけで、呼吸が乱れる。
「力、入りすぎ」
静かな指摘。
「……すみません」
「謝らなくていい。気持ちの問題だろ」
見抜かれている気がして、胸が痛んだ。
――――――――――――――――――――
【第3章 近づくほど、遠くなる】
距離が縮まるほど、怖くなる。
期待してしまう自分が嫌で、
でも、期待せずにはいられなくて。
夜、布団の中で何度も思い出す。
先輩の声。
名前を呼ぶときの、少しだけ優しい響き。
——だめだ。
そう思うたび、想いは強くなった。
【第4章 夜の道場】
冬合宿前夜。
道場には私と朝比奈先輩だけが残っていた。
的に向かって弓を構えると、空気が張り詰める。
吐く息は白く、心臓の音がやけに大きい。
「今日は、無理しなくていい」
後ろから、低く落ち着いた声。
「でも……」
「頑張りすぎると、音が濁る」
矢を放つ。
中心から、わずかに逸れた。
「……やっぱり」
悔しくて、唇を噛む。
「風莉」
名前を呼ばれただけで、胸が震えた。
「俺はさ」
先輩は一度、視線を外した。
「君が思ってるより、ずっと君を見てる」
言葉の意味を理解する前に、心臓が強く鳴った。
⸻
【第5章 すれ違い】
合宿が始まると、距離は逆に遠くなった。
指導者としての先輩。
部員としての私。
必要以上に話さなくなって、
必要以上に目を逸らすようになった。
(嫌われたのかな)
そんな不安が、胸を占める。
夜、布団の中で泣いた。
好きだと自覚してしまった自分が、怖かった。
⸻
【第6章 朝比奈先輩の視点】
――正直に言えば、逃げていた。
彼女の視線に気づかないふりをして、
自分の気持ちにも蓋をしていた。
年下。
部員。
守る立場。
言い訳はいくらでもあった。
でも。
彼女が矢を外したときの、悔しそうな横顔。
名前を呼んだときの、微かに揺れる瞳。
もう、誤魔化せなかった。
好きだ。
音で分かってしまった。
彼女の弓には、俺への想いが滲んでいた。
⸻
【第7章 大会当日】
県大会予選。
私の手は、また震えていた。
(大丈夫)
そう言い聞かせる。
ふと、視線を上げると――
朝比奈先輩が、こちらを見ていた。
何も言わず、
ただ、静かに頷く。
その瞬間、心が定まった。
矢を放つ。
――澄んだ音。
中心。
歓声の中で、私は泣いていた。
⸻
【第8章 告白】
帰り道、川沿い。
冬の空気は冷たくて、でも、胸は熱かった。
「風莉」
呼び止められる。
「……好きだ」
一瞬、世界が止まった。
「弓と同じで、ずっと向き合ってきた。
逃げたくないって、やっと思えた」
涙が溢れる。
「私も……好きです」
声は震えていたけれど、
それでも、ちゃんと届いた。
先輩は、少し照れたように笑った。
「じゃあ、両想いだな」
⸻
【最終章 春の手前で】
それからの冬は、少しだけ優しくなった。
道場で並ぶ距離も、
名前を呼ぶ声も、
手が触れたときの温度も。
全部が、確かだった。
春を迎える頃、
私は気づいた。
弓を引くとき、
胸の奥で鳴る音が変わっていたことに。
それは、迷いじゃない。
好きだという、まっすぐな音。
――冬がくれた、私の音だった。
雪は、音を立てずに降る。
それは、まるで世界が深呼吸をしているみたいだった。
私――風莉は、校門の前で立ち止まり、白く曇った空を見上げた。
吐く息が白い。
胸の奥も、同じ色をしている気がした。
二年生の冬。
この季節が、私の人生でこんなにも大きな意味を持つなんて、
そのときはまだ、知らなかった。
――――――――――――――――――――
【第1章 初雪と、名前を呼ぶ声】
放課後の弓道場は、いつもより静かだった。
雪が音を吸い込んでしまったみたいに、足音さえ遠く感じる。
「おはよう、風莉」
その声を聞いた瞬間、胸が強く跳ねた。
朝比奈先輩。
弓道部の中で、誰よりも落ち着いていて、誰よりも真剣な人。
「おはようございます」
目を合わせるのが、怖かった。
見てしまえば、全部ばれてしまいそうで。
好きだと気づいたら終わりだと、ずっと思っていた。
この関係が壊れる気がして。
「寒いな。手、冷たいだろ」
差し出されたカイロ。
一瞬、指先が触れた。
それだけで、心臓が追いつかなくなる。
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【第2章 矢は心を映す】
弓を構えると、自分の心がそのまま現れる。
最近、私はうまく引けなくなっていた。
先輩が近くにいるだけで、呼吸が乱れる。
「力、入りすぎ」
静かな指摘。
「……すみません」
「謝らなくていい。気持ちの問題だろ」
見抜かれている気がして、胸が痛んだ。
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【第3章 近づくほど、遠くなる】
距離が縮まるほど、怖くなる。
期待してしまう自分が嫌で、
でも、期待せずにはいられなくて。
夜、布団の中で何度も思い出す。
先輩の声。
名前を呼ぶときの、少しだけ優しい響き。
——だめだ。
そう思うたび、想いは強くなった。
【第4章 夜の道場】
冬合宿前夜。
道場には私と朝比奈先輩だけが残っていた。
的に向かって弓を構えると、空気が張り詰める。
吐く息は白く、心臓の音がやけに大きい。
「今日は、無理しなくていい」
後ろから、低く落ち着いた声。
「でも……」
「頑張りすぎると、音が濁る」
矢を放つ。
中心から、わずかに逸れた。
「……やっぱり」
悔しくて、唇を噛む。
「風莉」
名前を呼ばれただけで、胸が震えた。
「俺はさ」
先輩は一度、視線を外した。
「君が思ってるより、ずっと君を見てる」
言葉の意味を理解する前に、心臓が強く鳴った。
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【第5章 すれ違い】
合宿が始まると、距離は逆に遠くなった。
指導者としての先輩。
部員としての私。
必要以上に話さなくなって、
必要以上に目を逸らすようになった。
(嫌われたのかな)
そんな不安が、胸を占める。
夜、布団の中で泣いた。
好きだと自覚してしまった自分が、怖かった。
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【第6章 朝比奈先輩の視点】
――正直に言えば、逃げていた。
彼女の視線に気づかないふりをして、
自分の気持ちにも蓋をしていた。
年下。
部員。
守る立場。
言い訳はいくらでもあった。
でも。
彼女が矢を外したときの、悔しそうな横顔。
名前を呼んだときの、微かに揺れる瞳。
もう、誤魔化せなかった。
好きだ。
音で分かってしまった。
彼女の弓には、俺への想いが滲んでいた。
⸻
【第7章 大会当日】
県大会予選。
私の手は、また震えていた。
(大丈夫)
そう言い聞かせる。
ふと、視線を上げると――
朝比奈先輩が、こちらを見ていた。
何も言わず、
ただ、静かに頷く。
その瞬間、心が定まった。
矢を放つ。
――澄んだ音。
中心。
歓声の中で、私は泣いていた。
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【第8章 告白】
帰り道、川沿い。
冬の空気は冷たくて、でも、胸は熱かった。
「風莉」
呼び止められる。
「……好きだ」
一瞬、世界が止まった。
「弓と同じで、ずっと向き合ってきた。
逃げたくないって、やっと思えた」
涙が溢れる。
「私も……好きです」
声は震えていたけれど、
それでも、ちゃんと届いた。
先輩は、少し照れたように笑った。
「じゃあ、両想いだな」
⸻
【最終章 春の手前で】
それからの冬は、少しだけ優しくなった。
道場で並ぶ距離も、
名前を呼ぶ声も、
手が触れたときの温度も。
全部が、確かだった。
春を迎える頃、
私は気づいた。
弓を引くとき、
胸の奥で鳴る音が変わっていたことに。
それは、迷いじゃない。
好きだという、まっすぐな音。
――冬がくれた、私の音だった。


