月はきっと、星を願う

靴を履き替え、教室の扉をそっと開けると、ざわざわとした空気が一瞬だけこちらに向いた。



(やっぱり、もう結構来てる…)



少しだけ肩をすくめながら中に入り、黒板の横に貼り出されている座席表に目をやる。

「えっと……天河、天河……あ、あった」


窓際の列の後ろから二番目。


思っていたよりもいい場所に、少しだけほっとする。


周りの視線を気にしながら席へ向かい、静かに椅子を引いて座った。鞄を机の横にかけると、ようやく一息つく。


その後、何人かが教室に入ってきた。


「全員揃ったか?」


低すぎず高すぎず、よく通る声が教室に響く。

顔を上げると、教卓にはすでに若い男性の先生が立っていた。


年は二十代後半くらいだろうか。
黒髪で、紺色のネクタイに、スーツ姿。
どこか落ち着いているのに、目だけが妙に鋭い。


「今日からこのクラスを担当することになった、衣笠太陽(きぬがさたいよう)だ。担当は理科、お前たちの物理を担当する。よろしくな」

先生が軽く頭を下げると、教室のあちこちから「よろしくお願いします」という声が上がる。



衣笠先生は、名簿をぱらりとめくる。



「じゃ、出席取っていくぞ。名前が呼ばれたら、返事してくれ」

出席番号順に名前が呼ばれていく。
最初の座席はランダムのようで、出席番号は全く関係ないみたいだ。





「天河星」

「はい」






返事をした瞬間、衣笠先生の手が、ぴたりと止まった。


名簿をめくる音が消えて、教室の空気がわずかに張り詰める。




(……え?)


 

一瞬の違和感。

ほんの数秒の沈黙なのに、やけに長く感じる。

先生は顔を上げ、まっすぐこちらを見た。

その視線は、ただ名前を確認するだけのものじゃない。



「……天河星、か」



ぽつりと呟く。

その声は小さいはずなのに、不思議と耳に残った。

「は、はい……」

もう一度、小さく返事をする。

すると、衣笠先生はふっと視線を外し、何事もなかったかのように次の名前を呼び始めた。




「次、石野由宇」





そして、すぐに元の流れに戻る。



(今の、何……?)



胸の奥が、またざわつく。

朝から感じている不思議な感覚と、どこか似ていた。

顔を下に向けていると__





「ねぇ」






突然、前から小さな声がした。

びくっとして横を見ると、同じ列の一つ前の席に座っている女の子が、少しだけ体をこちらに向けていた。

肩までの黒髪に、ぱっちりした目に、人懐っこそうな雰囲気。


「転入生、だよね?」

「うん」

「今の衣笠先生の反応、気づいた?」

小声で、でもどこか楽しそうに言う。



「……うん、ちょっとだけ」



正直に答えると、その子はにこっと笑った。

「だよねー。あたしも思った。絶対『何かある』って顔してたもん」


「何かって……?」


思わず聞き返す。

すると彼女は、少しだけ声を潜めて___

「この学校さ、変な噂あるの知ってる?」

心臓が、ドクンと鳴る。

「変な噂……?」

「うん。選ばれた人間の近くでずっと『普通じゃないことが起きる』ってやつ。それも理科とかに関係してるみたいなの」



その言葉に、朝の出来事と、さっきの先生の視線が重なる。

ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。

 

「まぁ、ただの噂…で終わらすには難しいことばっか起こってるみたいなんだよねー」



軽く肩をすくめて笑う彼女。

でも、その目はどこか、面白がっているだけじゃないように見えた。


「…あ、名前言ってなかったよね。あたし、神楽(かぐら)龍中(りゅうなか)神楽。初等部からこの学園にいるんだ。あなたは?」

「天河、星です」

「よろしくね、星ちゃん」


ニコッと笑いかけられ、私も笑った。

その瞬間。







____頬を撫でるようにまた、風が吹いた気がした。








反射的に、視線を窓の外…空を見上げる。






 










すっと笑顔が消え、息を飲む。






























そこには、




























_______やっぱり『牡羊座』が見えていた。























「……どうしたの?」

神楽ちゃんが不思議そうに覗き込む。

「ねぇ、空に星、見える?」








変なことを言った自信はあった。それでも、神楽ちゃんが不思議そうな顔で空を見上げてくれた。



「何も見えないよ?というか星って日中、太陽の明るさに負けて見えないんでしょ?」

「そう、だよね」

そう答えたものの、胸のざわめきは消えなかった。













____これってもしかして、私『選ばれた人間』になっちゃた?