最高190センチ

 元は関東で育った小島だったが、父親の宇宙開発関連の仕事のため、家族ごと種子島へ移り住むことになったという。

 父親は働いてばかりだったけれど、その分、母親がまだ小さい小島をよく宇宙センターへ連れていった。
 そこはロケットの射上にも使われる、とんでもなく広大な場所らしい。大人の目で見ても圧倒されるのに、子どもの小島にとっては世界が果てしなく広がっているように感じたんだとか。

 だけど宇宙はその何倍も――もはや測りようもないほどに広い。
 そんな場所に挑んでいくロケットの姿が、当時の小島にとってこの上なく勇気の象徴になっていた。

 一方、宇宙にばかり憧れる小島は、同年代と話すことが苦手だった。
 宇宙センターに通ううちに大人と話す時間が多くなり、難しい言葉や知識を教えてもらう方が小島にとってよっぽど楽しい時間になってしまったらしい。

 当然、そんな習慣は学校生活で裏目に出た。
 小学生の頃から背が高く、なにをやらせてもそつなくこなす小島は、同級生から「見下している」と誤解されるようになっていった。

 小島が宇宙に近づくたび、周囲は逆に小島から離れていく。
 皮肉な話だが、本人はそれで構わなかった。宇宙の話をしている時間が一番楽しかったのだから。
 だから高校までは適当にやり過ごし、大学で仲間を作るつもりでいた。宇宙工学を学ぶ連中とそこで出会い、高校のクラスメイトなんてもう会わないだろう、と。

 ところが高校二年の秋、小島の父親が問題を起こした。
 それは仕事上での失敗じゃない。同じ職場の女性との間に起きた、大きな問題。
 小島はその詳細を語ろうとはしなかった。とにかく、その問題が小島の周囲のコミュニティでウワサになるまであっという間だったという。

 どんどん膨らんでいく根も葉もない話。
 仲間を作らずにきた小島にとってそれは止めようがなく、ただでさえ居心地の悪かった学校はさらに息の詰まる場所になっていた。
 このままでは小島の大学受験に影響が出る。そう考えた両親は、小島を神奈川の父の実家へ住まわせることにした。

「その時からだよ。宇宙に行きたいなんて漠然とした夢が、絶対に行ってやるって気持ちに切り替わったのは」

 中途半端に突き抜けようとするから、途中で落ちて傷つくんだ。
 だったら徹底的に突き抜けて、大気圏を突破すれば、もうなんにも邪魔されない。

 そんなぶち抜けた場所で見た景色が、自分のこれまでを肯定してくれる。
 このデカい身長も、苦い経験も、すべて意味のあるものにしてくれる。

 そのために必要なものが――最高身長から見下ろした、〝最高〟の景色。
 そして小島は、こんなことを言ってのけた。


「宇宙飛行士の最高身長が月から見た景色は、この世で一番眺めがいいはずだ」


 宇宙に行くだけじゃない。日本人が未達の領域、月面着陸。
 そんな無茶苦茶な理由で月を目指している奴なんて、世界中探したってこいつしかいないんじゃなかろうか。

 190センチは人類最高身長ではない。当然、2メートルを超える人間だって世の中にはごろごろといる。
 だけど宇宙飛行士としての190センチは最高身長だ。なにせ宇宙服のサイズが190センチまでという身長制限があるのだから。

「でもあそこ重力めっちゃ軽いんだろ? ジャンプすれば身長あんま関係なくね」
「ばっか。だったら尚更オレが一番高い。この身長でしかもバスケ部だったオレが飛ぶんだ。一番高くなるに決まってんだろ」
「その理屈でいいのか? 二段ジャンプとか別のテクニックも必要な気がするけど」
「まあ、確かにそのへんはムズいわな。でも多分、オレが一番だろ」

 もうほとんどバカなんじゃないかと思うが、俺には月や星のことばかりを語っていた小島自身の話は、貴重だった。

「まあ、だから悪いけど、この時期の転校は練習のつもりだったよ」
「練習?」
「人間、あんま孤立するとダメなんだろうなって。だから大学行くまでの一年、友達ごっこでもしてみようかって」
「うわ、性格悪っ」

 俺に言われて小島はさらに悪そうな顔をしてみせた。
 とはいえ小島の猫っかぶりは今さらだ。あの朝礼での作った顔、作った声。そんなものでお化粧して俺の隣にいられるくらいなら、ド腹黒い今の小島の方が幾分かマシだ。

「でも、そこで左之助に出逢った」

 すると、小島はぽつりとそう言って続けた。

「教壇からクラスを見渡したら、デカっ! ってなって。変な奴の一人や二人はいるだろうと思ってたけど、まさかオレと同じくらいデカい奴がいるなんて思わんかったわ」

 俺も同じ気持ちだったよ、と心で返す。

「んで左之助のことを周りに聞いたら、孤立してるんだと。転校前のオレみたいな奴かと思って話しかけてみたら、全然違った。左之助の方がよっぽど面倒くさそうな奴だった」
「別にめんどくねぇ」
「捻くれてんだよ。なんでそんなデカいくせに捻くれたかな。普通、デカいとまっすぐにならないか?」
「スパイラルタワーという例外がある」
「はいはいわかったわかった」

 小島は大げさに肩をすくめてみせた。

「でも……そんな奴と『視界が共有される』なんて力に目覚めた時はさ、さすがになにか意味があんだろって思った」

 それがきっと、あの夜に小島が言っていたことだ。

「もし、もしな。宇宙に行ったオレが、そんな捻くれた奴に宇宙の景色を見せてやったら、……その捻くれた奴は、どんな反応すんだろうなって」

 高さ190センチの視点から広がる景色。
 小島と俺から見えている景色はまったく同じで、だからこそ、もし宇宙を一望する景色を分け合ったのなら。

 この不思議な力が宇宙に行ってもそのまま使えるとは思えない。
 だけどそんな非現実的な前提で物を考えてしまうのは――きっと、小島が本気で宇宙に行こうとしている奴だから。

「なんだかさ……宇宙に行く理由が一つ増えたみたいで」

 小島はそう呟くが、

「楽しかった。毎日が楽しかった。……けど、……さ……」

 声は次第に細くなり、次第にその答えが突きつけられようとしていた。

「……なんでだろうなぁ……」

 足をケガした小島は、リハビリをすればいずれまた歩けるようになる。
 だけど小島にとっては、それじゃあダメなんだ。

「宇宙を目指せるところまで治るのは……ムリなんだって」

 宇宙飛行士に求められるものは、ただ歩けることではない。
 極限状態に耐えうる身体、強い筋力、バランス感覚、体力。
 足が不自由になってしまった小島は、その条件を満たせなくなった。

「オレがさ……なに、したんだよ。なんか悪いこと、したのか……? ただ小さい頃から宇宙に憧れて……でも、そこに行こうとしちゃダメだったのか……?」
「…………」
「なんでだよ。本当に、なんでだよ。オレ……さ、普通に道歩いてただけだぜ? バイクの方から突っ込んできてさ……なんでそうなるんだよ。なんで、なんで、なんで、なんで、なんで、どうして……っ」

 立ち崩れることも、膝を抱えて地面にうずくまることも、車椅子に乗った小島からはすべて奪われていた。
 ただ車椅子の上で大きな上半身を丸め、同じ言葉を繰り返す。

 なんで、どうして。なんで、どうして。なんで、どうして。

 その反芻はまるで呪詛のようで、神様のところにだって届きそうなものなのに、世界はいつまで経っても表情を変えてくれない。

 やがて小島の声が途切れ、波の音だけが繰り返されるようになった時。
 小島はゆっくりと顔を上げ、こう言った。

「やっぱ、なんにも意味なんてなかったな」


「違う」


 反射的に、自分からそんな言葉が出ていた。
 小島はきょとんと俺を見上げ、しばらく呆然としていると、やがてなにかに納得したようだった。

「……いや、気ぃ遣わなくていいから、さ」
「意味はある」
「ていうか悪いな、左之助にこんな話するつもりじゃなかった。もっとこう、左之助とはさ……」
「意味はあるんだ」

 だが。

「もういいっつってんだよ!」

 もう、日は完全に沈む準備をしていた。
 海の向こう、低く連なる稜線へと太陽がゆっくり落ちていく様子は、あれだけデカいクセに身を隠そうと逃げているようにも見えて。

「宇宙に行けなきゃ……なんの意味もない……! オレのこの身長だって宇宙服を着なきゃ、ただ周りから避けられてきたバカでかいだけの奴だ! 親父の問題だって……全部、もう、意味なんてなくなっただろ……っ」
「だから、これから意味を作る」
「どうやって!? ……ああ、お前の好きな〝ほどほど〟の人生を歩めってか……? は、はは、いい奴だよな、本当にお前は…………クッソ……」

 俺たちはこれだけデカいのに、これだけちっぽけで、あっという間に世界に押し潰れそうになる。
 だから思いっきり背伸びして、まだもっと伸びますよって、ちゃんと世界に伝えてやらなきゃならない。

「それは『ほどほど』なんかじゃない」

 ほどほどが一番よかった。
 だってそうだろ。なにかが突出してしまうと、大気圏を突き抜けたみたいに周りから急に人がいなくなって、寂しくなるんだ。

 バスケだってゲームだって、本気でやったことはあったさ。
 確かに満たされる瞬間はあった。反面、俺の場合はいつもどこかで空回りして、誰かに迷惑をかけてしまったり、自分の吸う空気を薄くしたりしてしまうばかりだった。

 だから、ほどほどを手に入れようとした。

 そこは平和な世界だ。大気圏を越えさえしなければ、生きやすい空気も、甘い果実も、安寧も、すべて手に届く範囲にある。

 でも、お前はそんな大気圏を出て、すんげー景色を見に行こうとしたんだろ。

 なあ小島。
 そもそもお前が言ったんだ。俺に向かってあんな意気揚々と、「すべてに意味がある」って。
 おかげでこっちはもう火がついた。

 責任、取ってもらうからな。


「俺が――小島を宇宙に連れていく」


 沈みかけの太陽が、雲も海も砂浜も、余熱のような光でそっと焼いている。
 そこは夜よりも静かな世界のように思えた。

「……は……」

 お前について言いたいことが、山ほどあるんだ。

「あと一年。高校生活を平穏に終えようと思ってたら、俺の上位互換みたいなデカい奴がやってきた。その時の俺の気持ちがわかるか」
「じょ、上位互換? なんの話だ……?」
「お前のギャグは全部滑ってくれと願った。勉強でも運動でも、どれかひとつでも絶望的であってくれと願った。でもお前は違った。なんでも俺の上を行った」
「んなこと……」
「だから俺は、お前が俺の前にやってきたことに『意味がある』って思わないと、まったく納得できないんだ」
「…………」

「お前の代わりに俺が宇宙に行って、見た景色を全部お前にやる。その代わり、宇宙飛行士としての給料は俺がもらう。それでイーブンだ」

 意味がなかったなんて言わせない。
 神様からどんな理由で授かったのか知らない、視界を共有する俺たちの力。
 宇宙に行った小島が、それを使って俺に宇宙を見せようとしたように。
 今度は宇宙に行った俺が、それを使って小島に宇宙を見せてやればいい。

 そりゃあ、俺たちは同じ身長なんだ。
 見える世界の高さがまったく同じ。
 そんな偶然にだって、意味がある。

「バカなのか……?」

 しかし小島はすぐには受け入れられないようだった。

「宇宙……飛行士、だぞ? マジで言ってんのか……? 簡単に目指せるもんじゃねぇ、人生賭けて臨む職業なんだよ。しかも俺が目指してたのは月で、そんなん日本人は……」
「でも同い年のお前が勝ち筋あって目指してたんだろ?」
「そりゃまあ……」

 なら行けるさ、きっと。
〝ほどほど〟を卒業した俺は、大気圏だって簡単にぶち抜けられる。

 だってひとりじゃなければ、そこに怖いものはなんもないんだ。

「俺はこれからぶち抜ける。だから小島も小島で、これからぶち抜けとけよ」

 そう言ってやると、小島はなにも発せず固まっていた。
 いや、どうにも胸の奥がむずがゆいな。ごまかすようにすんと鼻を鳴らし、太陽に方へ黄昏れてみる。
 しかし太陽はもう稜線の向こうへ落ちていた。あいにく閉店じゃないか。なんて間が悪い。

「……ぶはっ。くっくっく……」
「小島?」
「はは……ははは、お前が宇宙に? じょ、冗談だろ、まじか。いや、会った時からなんかやべぇ奴とは思っとったけど……」
「将来の夢がたまたま空いてたんだ。よかったな、他の夢が先に埋まってなくて」
「バカお前。宇宙なんてのは、行きたくて行きたくてしょうがない奴が目指すんだ。それを左之助、お前は……」
「小島を連れていくって理由じゃダメなのか」
「ダメだ。宇宙に失礼だ、怒られる」
「じゃあ地球の手土産持っていくよ。うまくやっとく」

 小島は呆れていたが、ふと、なにかを思い出したように声を上げた。

「ああ、でもそうか。それがこの〝意味〟か」

 スマートフォンの画面を見せつけられる。
 それは『ギャラハン』のゲーム画面。小島のプレイヤーネームが表示され、フレンド一覧の最上部にはこんなメッセージがあった。

 ――フレンドが存在しません――

 ギャラハンを退会すると、フレンドにはこんなふうに表示されるのか。なんてどうでもいいことを今さら知った。

「もったいねぇ。ハンターランク96だったろ」
「アプリ残しておくと起動しちゃうんだよ。さて、つーことで明日から早速勉強漬けだな。まずは一番やばい物理からか……」

 昨晩、宇宙飛行士になるための条件を調べた。
 最近では学科の指定が撤廃されたらしいが、本気で目指すなら高い大学へ進むに越したことはない。それこそ、小島が目指すと言っていた大学くらいには。

 すると小島は、ぽつりとある言葉を漏らした。

「『フライトディレクター』」

「……うん? なんだそれ?」
「地上から宇宙飛行士を指揮したり、とにかく、いろーんな運用全般の責任を負う役職だ。宇宙飛行士になるより難しいって言われたりもする」
「ほう」
「左之助が宇宙飛行士になるっつーんなら、オレはそっちを目指す」

 オレは左之助の上に立っていないと気が済まん。
 そんな意地の悪い一言を小島はさらりと付け加えやがった。
 だから、俺はこう返してやる。

「『よんごーもんじゃな』」

 小島はひょっと、眉を跳ね上げていた。
 なんつー間抜けな顔を見せているんだ。

「左之助……お前……」
「忘れたとは言わせん。あの転校初日、お前が俺に向かって吐いた言葉だ」
「……うっぜぇ……」
「『ひねくれもん』、だろ? まさにお前のことだ」
「いやどがん考えてもお前じゃろ……」

 小島は照れくさそうに俯き、砂の方をばかり見つめてやがる。
 だから俺は小島の後ろに回り込み、車椅子のグリップを握って、前を向くよう押してやった。

「うし、そうと決まれば放課後サイゼだ。小島、俺の致命的な物理を救ってくれ」
「いやサイゼ、駅から遠いっつの。普通にガストだろ」
「ガストは属性が違うんだよ。サイゼだサイゼ」

 いいんだ。たとえそこが宇宙みたいに遠くたって俺が押してやるから。
 よーいどんと、車椅子をゆっくり押し出した。

 進む、進む。
 そこにはなんの障がい物も壁もなく、車輪がすいすいと前へ伸びていく。

 日が沈みきり、これから俺たちを見下ろすのは月と星だけだ。
 まあ、宇宙に行ったらそいつらも見下ろしてやるんだが。
〝最高〟の俺たちの時代だと、まずは砂浜から見下ろし、意味もなくバスケットコートを往復してみせた。

 何度も何度も、車輪の音が夕闇に散っていく。
 何度も何度も、笑い合う。がらがら、がらがら、と、車椅子も笑う。

 これからまた夜がやってくる。
 真っ黒い海が視界いっぱいに広がって、暗闇に包まれた俺たちはきっとそれが怖くなって、二人してこんな背がデカいくせに縮こまってしまうかもしれない。

 だけど大丈夫。

 俺たちは闇より高いところへ行く方法を、もう知っている。

(了)