最高190センチ

 あれから丸一日考えた。
 小島のことを。小島が今、なにを思っているのかを。
 それをどれだけ考え直したところで、この結論からは逃れられなかった。

「ずいぶん久しぶりだなぁ」

 小島の車椅子を押し、ようやく辿り着いた平塚の海岸。
 砂浜の向こうに広がる水平線はこの世界に区切りをつけるようで、沈みかけの太陽がその線に淡い色を塗っていた。

「近くに海があったら毎日行きたい、ってよく聞くけど。実際はそんなもんでもないよな」

 小島が同意を求めるように、車椅子から俺の顔を覗き込む。
 いいや、別に飽きないよ。そう思って俺は揺れる波を目で追った。

「……種子島にも」
「おう?」
「種子島にも海、あるだろ。こうやって眺めたりしてたのか」

 自分のことを聞かれた小島は、少しむず痒そうにしていた。
 クラスの連中に聞かれたらぺらぺらと話していたのに、俺が聞くとこれだ。こいつ、怪しい奴には個人情報を言わないなんて俺が前に言ったことを引きずってやしないか。
 まあ、そんなことはあるまい。観念した小島が口を開く。

「あるっちゃあるけど、学校帰りにはちょっと出るのがメンドくて」
「そうなのか」
「その代わり、帰り道にでっかいサトウキビ畑があるんだわ。カブから降りて、風でそれがすぅーっと揺れるのを眺めてた」

 種子島は公共交通が少ない。坂も多く、学生の足といえば通学用バイクだという。
 それがスーパーカブ。高校生でも当たり前に乗っているらしいが、信じられない話だ。

 小島はといえば、「すぅーっと」という言い方が気に入ったのか、それともなにかを誤魔化していたのか。その音をもう一度こっそり繰り返し、それから、足元より少し先で跳ね返る波に目をやっていた。

「そっからロケットの打ち上げも見られんのか」

 そう訊くが、どうにも俺の声はほんの少し震えていたらしい。
 それでも海辺ではしゃぐ子どもらの声が、うまくそれをかき消してくれた。

「おいおい、さっきからどうした。よく調べてるな?」
「種子島っていったらロケットで有名だろ。そんくらい俺だって知ってる」
「はは、そうか。ああ、見えるよ、どっからでも見える。ただ、打ち上げの日はもっと射点に近いところに集まるんだ。外からのお客さんもごった返して、しんみり見られる感じじゃないけど」
「やっぱいろんな人が見にくるんだな」
「そりゃあな。だって人間が宇宙に挑むんだぞ? そりゃ一大イベントだっつの」

 それから小島は車椅子に座ったまま、大きなジェスチャーで宇宙について語りはじめた。
 朝礼で見せた時のように、大きく腕で描くことはもうできない。
 それでも今の小島の方がよっぽど力がこもっていて、俺のマイクを奪って小島はずいぶんと話してくれた。

 星がどれだけ遠くにあって、地球がどれだけ小さな点にすぎないかということ。
 宇宙のデカさがあまりに規格外で、どこかには必ず人間以外の知的生命体がいるなんてこと。
 それから地球の文明レベルの話まで……もう都市伝説系Youtuberでもやった方がいいんじゃないかと思ったが、そんな話はもう界隈じゃ常識らしい。どこの界隈だ。

 ともかく、そんな話をする時の小島は、子どもに戻ったみたいだった。

 そんな姿をもう少し見ていたいとも思う。
 だけど、もうそろそろ――本題に踏み出さなきゃならない。

「小島」
「おう? ああ、そういえばさっき言ったおもろい動画、これだったわ。えーっと」

 あの夜、小島は空に向かってこう言った。


 ――「ああ、高すぎる。ギリギリだ。でもそれがいい」
 ――「その中で一番高い視点を手に入れられる。それが190センチだ」


 それから調べた。考えた。思い出した。あの日だけじゃない、小島のこれまでの言動を。
 辿りついた結論は、これしかなかった。


「小島は……宇宙に行きたいのか……?」


 小島には悪いが、俺にはどうしてもそれが信じられなかった。
 だって宇宙だぞ。あの宇宙。どんなに背が高い俺たちが背伸びしたって、そこに決して手は届かない。
 普通に生きている俺たちが、そんな発想に至るか?

 あんな場所、もっと特別で選ばれた人間が行くもんじゃないのか。きっと小さい頃から恐ろしいほどの努力を積み、輝かしい経歴をじゃらじゃらと引き連れ進んでいく。ほどほどを望む俺とは無縁の世界。

 無縁だからこそ、誰が宇宙に到達しだの、そんなニュースは今日の天気予報よりも軽く受け流していた。だってそれは俺たちの「自分ごと」じゃなく、外の世界の話なんだから。

 だけど、俺はたった一ヶ月足らずで小島のなにを知ったつもりだったのだろうか。

 それから小島の言葉の意味を探っていくと、ある情報に辿りついた。

 宇宙飛行士になるための身長条件、最低、149.5センチ。


 最高――190.5センチ。


 それは190センチの男に、〝全宇宙飛行士の中で最も高い視点〟を与える条件だった。

「……あー……」

 小島はそんな声を出してから、うんともすんとも言わなかった。
 ただ、沈みかけた太陽のじりじりとした光を浴びている。

 やがて小島は残念がるように、顔に手を当て、身体を小さくした。

「使った、んか。視界共有(サイト・シェア)。……便利な力だもんな」

 冷静に言うが、自分の中で言葉を並べ直したようだった。
 それでも、そのあとに続いた言葉には小島の感情が滲んでいた。

「オレのこと……どこまで見た? 部屋の様子か? どんくらい長い時間、オレの視界を見てた? なあ、勝手に使うなって、オレら約束したろ……?」
「使ってない」
「は……」

「小島のことを覗き見るためにこの力を使ったことは……これまで一度も、ない」

 そうやって小島のことを知るのは、ズルい気がしたから。
 使おうと思ったことは正直ある。だけどやっぱり直前になってやめた。

 だから俺は小島の部屋の様子も、家族の顔も、こんな能力を授かったクセに実はなにも知らない。
 それは小島に興味がなかったからじゃない。なんとなく、一線を引いていたんだ。

「猫っかぶりの小島のことだ。どうせ隠したいことの一つや二つ、あるだろうから勝手に覗くのはズルいと思って……」
「…………」

 転校初日からすぐわかったよ。こいつはきっと無理してる奴なんだろうなって。
 それからの小島はぽつりと俺に謝っていた。

「……悪い。逆にお前の裏っかわを見ようと力を使ったのは……オレの方、だったわ」
「俺の母親のこと知ってたもんな」
「ああ、でも左之助がヤメロって言ったからその一度きりで……」
「俺も物理の小テストで小島の回答見たから、イーブンだ」

 小島をつついてやると、よく笑っていた。
 ぶはっと遠慮のない笑い声を久々に聞かされて。

「……ん。そうだよ、ずっと宇宙に憧れてた」

 白状するように、小島はようやく認めた。
 小島のこれまでについて。

 やっと、そんな話が始まった。