何事もほどほどがちょうどいい。
そう思っていたはずが、いつの間にかこの身長は190センチを超えていた。
中学の頃、新しく買ってもらった靴は三ヶ月で履けなくなった。スラックスの丈は毎日少しずつ短くなっていった。
誰かのイタズラかと思っていたが、どうやら身長が爆発的に伸びていたらしい。気づけば平均より少し高い両親の身長をあっさりと追い越し、家族写真で頭がひとつ飛び抜けるようになった。それが高校入学時点。
やがて高二の健康診断で190.1センチを叩き出すと、ついにやってしまったと思った。
いや、伸びすぎだろ。
日本人男性の平均身長、約170センチ。その数値を20センチも上回ると、目線の合う人間というものがこの世界から奪われてしまうらしい。
むしろ人間より自販機の方がよっぽど親近感が湧いてくる、それが超高身長の領域だ。
そんな壁のような男が平均身長で形成されるコミュニティに溶け込もうとすると、なにが起きるか。
相手の目が泳ぐ。沈黙がよく生まれる。なにかこう、気まずい。
それでも物怖じしない連中や、長身だというだけで寄ってくる女子もいるにはいるが、俺が欲しかったのはもっと湿度の高い居場所。
放課後のサイゼでアニメやゲームの話をだらだら語り合いたかっただけなのに、返ってきたのはこんな残酷な言葉だった。
『矢壁くん、僕らと一緒にいてムリしてない?』
いつまでも外れることのない「くん」付け。
挨拶は交わすものの、帰りにサイゼへは決して誘われない関係性。
それから俺こと矢壁左之助は、一人でいることを選ぶようになった。
まあ、これが人間の本来の生き方のように思う。今教室の窓の外に見える桜だって、あれほど集まって咲いていながら、やがては散ってひとひらずつ離れていくのだから。
この春から三年生になり、高校生活も残り一年。机の上の染みをひとつずつ目でたどっていれば、卒業なんてあっという間だ。
ほら、そうしている間にダルい朝礼の時間だって――。
「種子島からやってきました、小島です」
やたら高いところから落ちてきたような声。
それは教壇から聞こえ、重く、低かった。
机に落としていた視線を持ち上げる。
そいつの背丈は、黒板の上端に届きそうなほど高かった。
「でっか」「うお……」「矢壁くんと同じくらい?」
そんな声で教室はザワついていた。
……転校生?
三年になってからの転校だなんて珍しい。しかも身長がやたら高く、俺とほとんど変わらないなんて。
そいつの制服はこの学校のブレザーではなかった。おそらく、元の学校の制服。
ああ、こいつは絶対に〝特注〟が間に合わなかったんだな。
身体の大きさだけで、そいつのこれまでの人生の解像度が人より上がってしまった自分が少し気持ち悪い。
「あ、種子島って知ってます? 鹿児島県ね、鹿児島県」
転校生の声は、少し作ったようだった。
それは朗らかで、教室に漂う不安をひとつずつ取り除くような。
「鹿児島県がこーんくらいでっかくて、種子島はこんくらい。まあ、ちっさい島なんすよね」
ゆったりとした口調と少し大袈裟なジェスチャー。
細身ではあるが、腕を広げるとそのデカさがひときわ目立つ。教室中の視線もそこに吸い寄せられた。
大きな手が、そいつの軽く立ち上がった短髪の上へ乗っかると――。
「んで、オレ、小〝島〟はこんくらい。つーことで〝島〟界隈じゃ一番チビなんで、デカくても怖がらないでください! よろしく!」
ちょうどいい笑い声と拍手が転校生を出迎えた。
転校生もほっとしたように笑うと、健康的な白い歯がのぞき、人懐っこい大型犬のように穏やかそうな目元が見える。
やがて転校生への質問がわやわやと矢継ぎ早に飛び交うと、そんな光景を眺めた俺はこう思う。
……まさか俺の上位互換がやってきてしまったのか?
◇
いや、俺は別に気にしていない。クラスのことなんてなんにも気にしていない。
俺と同じくらいデカいクセにクラスの輪にあっさりと溶け込んでいる転校生が現れたところで、なんにも感じていない。
だから全然気にならんわ。マジで。あーだる。今日も机の上の染みを眺めるか。あいつらの会話なんてなんにも耳に入っちゃこないが――、
「なんでこの時期に転校?」「喧嘩でボコボコに」「え、不祥事?」「いや、された側」「そっちかよっ」
転校生とクラスメイトのクッソどうでもいいやり取りで浅っっさい談笑が生まれ、
「前の学校でなんて呼ばれてたの?」「ビッグスリー」「他にもデカい奴いたんだ」「鹿児島、種子島、オレ小島……」「それもっかい出てくるんかいっ」
仕込んできたにしてはなんの捻りもない話で、それでも、転校生を中心に笑い合う輪がクラスにできていた。
いや、泣いてない。俺は別に泣いてない。
しかしそいつは触れたものをそのまま吸収するように、体育や家庭科の時間を重ねるうち、クラスの連中と片っ端から打ち解けていった。その中には、俺を一度もサイゼに誘わなかった連中もいる。
なんでだ? どうしてこうなった?
これじゃあまるで、俺がひとりでいることが身長のせいじゃないみたいじゃないか。
「矢壁くん、だよね?」
するとどうしたことか。
転校生がクラスの〝最後の一人〟と仲良くならんとばかりに、俺の机にやってきたではないか。
「……そう、だけど」
「絡むの初めてだよね。あ、てか邪魔してたらゴメン」
俺の机の前に、椅子を逆向きにして腰を下ろした転校生。
デカい二人が並んだ。教室に異様な絵が生まれたのだろうと、それが俺視点からもなんとなく分かった。
「矢壁くん、でっかいと思ってさ。最初に絡みたかったんだけど」
「はぁ」
「ちなみにどんくらい?」
「……185」
「え、マジ? もっとない?」
公称185センチ。実際は190あるが、普段から猫背にしているからそう見られなくもない。というか多分、185と190の違いは大抵の奴にはわからない。
意味なんてないが、それがささやかな〝壁〟としての抵抗だった。
「ていうかそのゲーム、オレもやってる」
そう言った転校生が指した先には、俺のスマホの画面があった。
――『ギャラクシー・ハンターズ』。略して『ギャラハン』。
銀河を冒険し、人型惑星キャラを育成する宇宙探索型ソシャゲだ。
「矢壁くん、ハンターランクいくつ? フレンド申請送ってもいい?」
転校生が見せたスマホの画面には、ランク90の数字が光っていた。
プレイヤー人口は多いが、ここまでのやり込みを見るのは珍しい。
こんなハイプレイヤーと昼休みや放課後のサイゼで協力プレイすることを一度は夢見たが――。
「悪い。〝ほどほど〟にしかやってないから、俺とやってもつまんないと思う」
なんとなく、この転校生と仲良くしている未来を拒む自分がいた。
「矢壁くん?」
「俺なんかより他の奴と絡めって。転校初日、仲良くする人選ミスったら終わるぞ」
「なんで。オレ、矢壁くんと仲良くなりたいんだけど」
にへっと人馴れした犬みたいに笑うその顔を見て、ため息が出た。
ああ、こいつはなんにも分かっちゃいない。
「俺と転校生、こんだけデカい二人がつるんでたら周りからなんて言われると思う?」
「へ?」
「よくて『ツインタワー』、悪けりゃ『都庁』だ。そうなる前に俺とは関わるな。以上」
俺はこの身長のせいで、高いビルを見上げるだけで気持ち悪くなる体質になっちまったんだよ。
とりあえず伝えることは伝えたと鞄を背負い、帰りの支度を始める。
転校生はといえば、ぽかんと呆気にとられたままのようだった。
「本気で言ってる?」
「? 本気だ。俺は別館なんて呼ばれるつもりはない。悪いが今日はもう帰……」
「いやいや、そうじゃなくて。矢壁くんのそれ、ネタじゃなくて素……?」
「は?」
意味がわからず、眉をひそめる。
転校生はその小さな顔を大きな手で覆い、声を押し殺して笑っていた。
「く……ふふ、ははっ……まじかよ、すっげぇ……」
すると転校生はのっそりと立ち上がり、それは生き物が突然巨大化したようだった。
大きな身体が隣にぴたりと並ぶ。190センチの俺と目線が並んだ人間は初めてだ。
……なんだよ、こいつの目。
さっきまでのぬるんでいた眼差しには、ひやりとした気配が差し込んでいた。
「お前、よんごーもんじゃな」
転校生の低い声。
朝礼でクラスの笑いをさらったあの軽い調子とはちょっと違う。
しかしなにを言われたのかはさっぱり分からなかった。
転校生は貼りつけたようなにへら笑いへと戻し、
「てことで矢壁くん、またダベろっか」
俺に柔らかく手を振って、教室の中心へと戻っていった。
そう思っていたはずが、いつの間にかこの身長は190センチを超えていた。
中学の頃、新しく買ってもらった靴は三ヶ月で履けなくなった。スラックスの丈は毎日少しずつ短くなっていった。
誰かのイタズラかと思っていたが、どうやら身長が爆発的に伸びていたらしい。気づけば平均より少し高い両親の身長をあっさりと追い越し、家族写真で頭がひとつ飛び抜けるようになった。それが高校入学時点。
やがて高二の健康診断で190.1センチを叩き出すと、ついにやってしまったと思った。
いや、伸びすぎだろ。
日本人男性の平均身長、約170センチ。その数値を20センチも上回ると、目線の合う人間というものがこの世界から奪われてしまうらしい。
むしろ人間より自販機の方がよっぽど親近感が湧いてくる、それが超高身長の領域だ。
そんな壁のような男が平均身長で形成されるコミュニティに溶け込もうとすると、なにが起きるか。
相手の目が泳ぐ。沈黙がよく生まれる。なにかこう、気まずい。
それでも物怖じしない連中や、長身だというだけで寄ってくる女子もいるにはいるが、俺が欲しかったのはもっと湿度の高い居場所。
放課後のサイゼでアニメやゲームの話をだらだら語り合いたかっただけなのに、返ってきたのはこんな残酷な言葉だった。
『矢壁くん、僕らと一緒にいてムリしてない?』
いつまでも外れることのない「くん」付け。
挨拶は交わすものの、帰りにサイゼへは決して誘われない関係性。
それから俺こと矢壁左之助は、一人でいることを選ぶようになった。
まあ、これが人間の本来の生き方のように思う。今教室の窓の外に見える桜だって、あれほど集まって咲いていながら、やがては散ってひとひらずつ離れていくのだから。
この春から三年生になり、高校生活も残り一年。机の上の染みをひとつずつ目でたどっていれば、卒業なんてあっという間だ。
ほら、そうしている間にダルい朝礼の時間だって――。
「種子島からやってきました、小島です」
やたら高いところから落ちてきたような声。
それは教壇から聞こえ、重く、低かった。
机に落としていた視線を持ち上げる。
そいつの背丈は、黒板の上端に届きそうなほど高かった。
「でっか」「うお……」「矢壁くんと同じくらい?」
そんな声で教室はザワついていた。
……転校生?
三年になってからの転校だなんて珍しい。しかも身長がやたら高く、俺とほとんど変わらないなんて。
そいつの制服はこの学校のブレザーではなかった。おそらく、元の学校の制服。
ああ、こいつは絶対に〝特注〟が間に合わなかったんだな。
身体の大きさだけで、そいつのこれまでの人生の解像度が人より上がってしまった自分が少し気持ち悪い。
「あ、種子島って知ってます? 鹿児島県ね、鹿児島県」
転校生の声は、少し作ったようだった。
それは朗らかで、教室に漂う不安をひとつずつ取り除くような。
「鹿児島県がこーんくらいでっかくて、種子島はこんくらい。まあ、ちっさい島なんすよね」
ゆったりとした口調と少し大袈裟なジェスチャー。
細身ではあるが、腕を広げるとそのデカさがひときわ目立つ。教室中の視線もそこに吸い寄せられた。
大きな手が、そいつの軽く立ち上がった短髪の上へ乗っかると――。
「んで、オレ、小〝島〟はこんくらい。つーことで〝島〟界隈じゃ一番チビなんで、デカくても怖がらないでください! よろしく!」
ちょうどいい笑い声と拍手が転校生を出迎えた。
転校生もほっとしたように笑うと、健康的な白い歯がのぞき、人懐っこい大型犬のように穏やかそうな目元が見える。
やがて転校生への質問がわやわやと矢継ぎ早に飛び交うと、そんな光景を眺めた俺はこう思う。
……まさか俺の上位互換がやってきてしまったのか?
◇
いや、俺は別に気にしていない。クラスのことなんてなんにも気にしていない。
俺と同じくらいデカいクセにクラスの輪にあっさりと溶け込んでいる転校生が現れたところで、なんにも感じていない。
だから全然気にならんわ。マジで。あーだる。今日も机の上の染みを眺めるか。あいつらの会話なんてなんにも耳に入っちゃこないが――、
「なんでこの時期に転校?」「喧嘩でボコボコに」「え、不祥事?」「いや、された側」「そっちかよっ」
転校生とクラスメイトのクッソどうでもいいやり取りで浅っっさい談笑が生まれ、
「前の学校でなんて呼ばれてたの?」「ビッグスリー」「他にもデカい奴いたんだ」「鹿児島、種子島、オレ小島……」「それもっかい出てくるんかいっ」
仕込んできたにしてはなんの捻りもない話で、それでも、転校生を中心に笑い合う輪がクラスにできていた。
いや、泣いてない。俺は別に泣いてない。
しかしそいつは触れたものをそのまま吸収するように、体育や家庭科の時間を重ねるうち、クラスの連中と片っ端から打ち解けていった。その中には、俺を一度もサイゼに誘わなかった連中もいる。
なんでだ? どうしてこうなった?
これじゃあまるで、俺がひとりでいることが身長のせいじゃないみたいじゃないか。
「矢壁くん、だよね?」
するとどうしたことか。
転校生がクラスの〝最後の一人〟と仲良くならんとばかりに、俺の机にやってきたではないか。
「……そう、だけど」
「絡むの初めてだよね。あ、てか邪魔してたらゴメン」
俺の机の前に、椅子を逆向きにして腰を下ろした転校生。
デカい二人が並んだ。教室に異様な絵が生まれたのだろうと、それが俺視点からもなんとなく分かった。
「矢壁くん、でっかいと思ってさ。最初に絡みたかったんだけど」
「はぁ」
「ちなみにどんくらい?」
「……185」
「え、マジ? もっとない?」
公称185センチ。実際は190あるが、普段から猫背にしているからそう見られなくもない。というか多分、185と190の違いは大抵の奴にはわからない。
意味なんてないが、それがささやかな〝壁〟としての抵抗だった。
「ていうかそのゲーム、オレもやってる」
そう言った転校生が指した先には、俺のスマホの画面があった。
――『ギャラクシー・ハンターズ』。略して『ギャラハン』。
銀河を冒険し、人型惑星キャラを育成する宇宙探索型ソシャゲだ。
「矢壁くん、ハンターランクいくつ? フレンド申請送ってもいい?」
転校生が見せたスマホの画面には、ランク90の数字が光っていた。
プレイヤー人口は多いが、ここまでのやり込みを見るのは珍しい。
こんなハイプレイヤーと昼休みや放課後のサイゼで協力プレイすることを一度は夢見たが――。
「悪い。〝ほどほど〟にしかやってないから、俺とやってもつまんないと思う」
なんとなく、この転校生と仲良くしている未来を拒む自分がいた。
「矢壁くん?」
「俺なんかより他の奴と絡めって。転校初日、仲良くする人選ミスったら終わるぞ」
「なんで。オレ、矢壁くんと仲良くなりたいんだけど」
にへっと人馴れした犬みたいに笑うその顔を見て、ため息が出た。
ああ、こいつはなんにも分かっちゃいない。
「俺と転校生、こんだけデカい二人がつるんでたら周りからなんて言われると思う?」
「へ?」
「よくて『ツインタワー』、悪けりゃ『都庁』だ。そうなる前に俺とは関わるな。以上」
俺はこの身長のせいで、高いビルを見上げるだけで気持ち悪くなる体質になっちまったんだよ。
とりあえず伝えることは伝えたと鞄を背負い、帰りの支度を始める。
転校生はといえば、ぽかんと呆気にとられたままのようだった。
「本気で言ってる?」
「? 本気だ。俺は別館なんて呼ばれるつもりはない。悪いが今日はもう帰……」
「いやいや、そうじゃなくて。矢壁くんのそれ、ネタじゃなくて素……?」
「は?」
意味がわからず、眉をひそめる。
転校生はその小さな顔を大きな手で覆い、声を押し殺して笑っていた。
「く……ふふ、ははっ……まじかよ、すっげぇ……」
すると転校生はのっそりと立ち上がり、それは生き物が突然巨大化したようだった。
大きな身体が隣にぴたりと並ぶ。190センチの俺と目線が並んだ人間は初めてだ。
……なんだよ、こいつの目。
さっきまでのぬるんでいた眼差しには、ひやりとした気配が差し込んでいた。
「お前、よんごーもんじゃな」
転校生の低い声。
朝礼でクラスの笑いをさらったあの軽い調子とはちょっと違う。
しかしなにを言われたのかはさっぱり分からなかった。
転校生は貼りつけたようなにへら笑いへと戻し、
「てことで矢壁くん、またダベろっか」
俺に柔らかく手を振って、教室の中心へと戻っていった。
