この日の教室はいつも以上に騒然としていた。
みんながみんな、突如起こった非日常に浮足立っている感じだ。
「お前のとこにも電話きた?」
「きたきた、そういや昨日は朝から居なかったよな」
クラスメイトがしている噂話に、それと感づかれない様に聞き耳を立てる。
そうしていると、本当に心配している生徒は何人いるのだろう?と思った。
遠足のような、オリエンテーリングのような、退屈な学校生活にサプライズで用意されたイベントを楽しんでいるような雰囲気がする。
「オイ」
いきなり後ろから肩を掴まれ、ムリヤリ身体を捻られた。
そこに居たのは威圧的にボクを見下ろす福原だった。
福原は肥満体といって差し支えない巨体だが、脂肪の下に内包している筋肉によって、ただのデブという評価をまぬがれてクラス内での地位を確立している。
あぁ、さすがに平井といつもセットの福原は心配しているんだな。
なぜか少しホッとした。
「ちょっとツラ貸せよ」
そのセリフは教室内で浮いていて、言われたこっちがなんだか気恥ずかしかった。
昔のヤンキー漫画でも読んで、どこかで言ってみたかったんだろうな。
そんなことを思った。
「平井が行方不明になる前にお前と話してたことは知ってるんだよ!」
ボクがツラを貸したのは校庭だった。怪獣のいる場所ほど奥まってはいない、その途中の場所だ。
「どこ行ったか知ってんだろ?平井になにしたんだよテメェ」
「だったら先生にでも警察にでも言えばいいじゃん…」
「ハァッ!?」
「言えないよね、カツアゲしてたんだもんね。平井に金を渡したときは、いつもキミも一緒に使ってたことは知ってるよ」
ゴッ!!
頬に重い衝撃が走る。奥歯に違和感がして口の中に鉄の味が広がった。
あぁ、コイツは、福原は単細胞だった。
頭に血が上ってしまっている。
いつもは平井や安田がいるからまだ制止が効いていたんだ。
あの二人がいるときは、顔を殴られるようなことはない。
目立つ場所にアザや傷をつけては後々面倒だからだ。
顔を真っ赤にした福原は、デタラメに腕や足を振り回す。
こめかみに血管を浮き上がらせ、鼻の穴をこれでもかと広げ、目を血走らせて、鬼の形相になっている。
「すっげ、ブサイク」
ボコボコにされているのに、なぜか笑いが込み上げて、そんな言葉が口に出てしまった。
「アァッ!?」
すぐには意味がわからなかった様子の福原も、ボクが顔を歪ませて笑っているので、バカにされたと理解したらしい。
「ンガアァァァァァッ!!」
筋肉を脂肪で覆った巨体による渾身の体当たりに、ボクの身体は木の葉のようにスッ飛んだ。
< 空 >
< 地面 >
< 空 >
< 自分の足 >
< 土埃 >
< 空 >
グルグルと景色が変わるなぁ、遊園地の乗り物みたいだ。
こんな状況にも関わらずボクの思考にはまるで切迫感がなく、それどころか自分でも『こんな状況なのに切迫感がないな』と思ってしまう始末だった。
たぶんアレ、他人が必死になっていると変に冷静になってしまうやつ。
もしくはゾーンとか、そういうやつの最上位版。
呼吸を荒くした福原が、肩を揺らしノッシノッシと近付いてくるのを、地面に這いつくばりながら、視界の端に捉えた。
このまま馬乗りになられたら、スイッチの入った福原は容赦なく、何度でも顔面に拳を叩きつけるだろう。
固い地面と丸太のような福原の腕のあいだで、バウンドしている自分の頭部を想像した。
それは…死ぬかもしれない。
「こんなことで死ぬのは、さすがにイヤだなぁ」
福原がたどり着く前に身を起こし、そのままの勢いで足を蹴りだすと、クラウチングスタートのような形でボクは走り出した。
…勝手に自分がそう思っただけで、実際にはもっとみっともない姿だったのだろうけど。
福原にとっては、その行動が予想外だったようで、反応が遅れていた。
いつもどおり泣き喚いて、助けを乞うと思っていたのだろう。
それは間違いじゃない、いつもならそうだった。
ボクは他人の暴力や悪意が怖くて、逃げることすら出来ない臆病者だった。
そんな獲物であるボクが、急に脇目も振らず逃亡するという『抵抗』を示した。
呼びだされたのが校庭でよかった。
すぐ後ろには怒りの咆哮を上げながら、理性を失った巨体が追っては来ているが、この角を曲がればあの場所だ。
福原は身体がデカイぶん、走るのは速い方ではない。
運動神経のないボクでも、あそこまでなら逃げきれそうだ。
角を曲がると、それはいつも通りの場所に、いつも通りの姿で横たわっていた。
みんなから存在を無視される、黒い大きな塊。
走ってくるボクの姿を見つけて嬉しそうだった。
飼い主がエサを持って近づいてくるときの犬のように。

みんながみんな、突如起こった非日常に浮足立っている感じだ。
「お前のとこにも電話きた?」
「きたきた、そういや昨日は朝から居なかったよな」
クラスメイトがしている噂話に、それと感づかれない様に聞き耳を立てる。
そうしていると、本当に心配している生徒は何人いるのだろう?と思った。
遠足のような、オリエンテーリングのような、退屈な学校生活にサプライズで用意されたイベントを楽しんでいるような雰囲気がする。
「オイ」
いきなり後ろから肩を掴まれ、ムリヤリ身体を捻られた。
そこに居たのは威圧的にボクを見下ろす福原だった。
福原は肥満体といって差し支えない巨体だが、脂肪の下に内包している筋肉によって、ただのデブという評価をまぬがれてクラス内での地位を確立している。
あぁ、さすがに平井といつもセットの福原は心配しているんだな。
なぜか少しホッとした。
「ちょっとツラ貸せよ」
そのセリフは教室内で浮いていて、言われたこっちがなんだか気恥ずかしかった。
昔のヤンキー漫画でも読んで、どこかで言ってみたかったんだろうな。
そんなことを思った。
「平井が行方不明になる前にお前と話してたことは知ってるんだよ!」
ボクがツラを貸したのは校庭だった。怪獣のいる場所ほど奥まってはいない、その途中の場所だ。
「どこ行ったか知ってんだろ?平井になにしたんだよテメェ」
「だったら先生にでも警察にでも言えばいいじゃん…」
「ハァッ!?」
「言えないよね、カツアゲしてたんだもんね。平井に金を渡したときは、いつもキミも一緒に使ってたことは知ってるよ」
ゴッ!!
頬に重い衝撃が走る。奥歯に違和感がして口の中に鉄の味が広がった。
あぁ、コイツは、福原は単細胞だった。
頭に血が上ってしまっている。
いつもは平井や安田がいるからまだ制止が効いていたんだ。
あの二人がいるときは、顔を殴られるようなことはない。
目立つ場所にアザや傷をつけては後々面倒だからだ。
顔を真っ赤にした福原は、デタラメに腕や足を振り回す。
こめかみに血管を浮き上がらせ、鼻の穴をこれでもかと広げ、目を血走らせて、鬼の形相になっている。
「すっげ、ブサイク」
ボコボコにされているのに、なぜか笑いが込み上げて、そんな言葉が口に出てしまった。
「アァッ!?」
すぐには意味がわからなかった様子の福原も、ボクが顔を歪ませて笑っているので、バカにされたと理解したらしい。
「ンガアァァァァァッ!!」
筋肉を脂肪で覆った巨体による渾身の体当たりに、ボクの身体は木の葉のようにスッ飛んだ。
< 空 >
< 地面 >
< 空 >
< 自分の足 >
< 土埃 >
< 空 >
グルグルと景色が変わるなぁ、遊園地の乗り物みたいだ。
こんな状況にも関わらずボクの思考にはまるで切迫感がなく、それどころか自分でも『こんな状況なのに切迫感がないな』と思ってしまう始末だった。
たぶんアレ、他人が必死になっていると変に冷静になってしまうやつ。
もしくはゾーンとか、そういうやつの最上位版。
呼吸を荒くした福原が、肩を揺らしノッシノッシと近付いてくるのを、地面に這いつくばりながら、視界の端に捉えた。
このまま馬乗りになられたら、スイッチの入った福原は容赦なく、何度でも顔面に拳を叩きつけるだろう。
固い地面と丸太のような福原の腕のあいだで、バウンドしている自分の頭部を想像した。
それは…死ぬかもしれない。
「こんなことで死ぬのは、さすがにイヤだなぁ」
福原がたどり着く前に身を起こし、そのままの勢いで足を蹴りだすと、クラウチングスタートのような形でボクは走り出した。
…勝手に自分がそう思っただけで、実際にはもっとみっともない姿だったのだろうけど。
福原にとっては、その行動が予想外だったようで、反応が遅れていた。
いつもどおり泣き喚いて、助けを乞うと思っていたのだろう。
それは間違いじゃない、いつもならそうだった。
ボクは他人の暴力や悪意が怖くて、逃げることすら出来ない臆病者だった。
そんな獲物であるボクが、急に脇目も振らず逃亡するという『抵抗』を示した。
呼びだされたのが校庭でよかった。
すぐ後ろには怒りの咆哮を上げながら、理性を失った巨体が追っては来ているが、この角を曲がればあの場所だ。
福原は身体がデカイぶん、走るのは速い方ではない。
運動神経のないボクでも、あそこまでなら逃げきれそうだ。
角を曲がると、それはいつも通りの場所に、いつも通りの姿で横たわっていた。
みんなから存在を無視される、黒い大きな塊。
走ってくるボクの姿を見つけて嬉しそうだった。
飼い主がエサを持って近づいてくるときの犬のように。

