いつもの朝の通学路、電信柱の下で人影が動いた。
明らかにこちらを待ち構えている様子に鼓動が早まり、変な汗が吹き出した。
ニヤニヤとした顔で近づいてくる人影は、平井だった。
教室に入るまでもなく、自分には安全な場所など無いのだ。無性に悲しくなった。
平井の用事は「金を貸せ」ということだった。
近所のコンビニに品薄のバグモンカードが入荷していたから、放課後に買いに行くそうだ。
つまりはカツアゲだ。
「ほかの人にお金を渡しているところを見られたらイヤだから」
そういって受け渡し場所として、怪獣のいる校庭の隅を指定すると、平井はなんの疑いもなく怪獣のところまで付いてきた。
キーンコーンカーンコーン
しまった、朝礼開始のチャイムが鳴ってしまった。
急いで、あくまで目立たず、静かに教室のドアをスライドさせる。
それでも加藤先生に見とがめられた。
「海野、おまえ遅刻だぞ」
すでに朝礼は始まっていた。
後ろのドアから入ってきたボクに、クラスの視線が集まる。
「すいません、トイレ行ってました…」
「すいません、ウンコいってました~」
誰かが茶化した口調で、ボクの台詞を言い換える。
胃が、ケイレンした。
「じゃあ、今日居ないのは平井だけだな」
加藤先生が出席簿にチェックを付ける。
「あれ?平井が休みとか聞いてる?」
「あいつバグモンカード入荷されてんの見つけて『売り切れたらヤベェ』とか言ってたから、学校さぼって買いに行ったんじゃね?」
「うはッ、バカでぇ~」
自分の席に着く途中で、そんなヒソヒソ話が聞こえてきた。
昼休憩。
ひとり給食を食べ終えると、和気あいあいとするクラスメイトを横目に教室を後にした。
毎日が弁当持参の日ならいいのに。
『便所飯』や『非常階段飯』という言葉を聞いた。
ネット上でこの言葉を使った書き込みには、侮蔑や悲惨な意味合いを含んでいると感じたけど、大勢のなかでする、孤独な食事に比べたらどんなに快適かと思う。
給食では、便所や非常階段に持ち運べない。
弁当だったら、ここで食べるのもいいかもしれないな。
怪獣のいる、暗い、陰気な場所でそう思った。
<チェック項目①:怪獣の身体が線から出てないかチェックする。>
昨日は完全に線をはみ出していた尻尾も、今日は線の中へピッタリと収まっていた。
動くな、線から出るな、とは言ったが怪獣が理解してる?たまたまか。
<チェック項目②:怪獣の体温を計って変化がないかチェックする。>
この日はボクが体温計を差し込もうとすると、怪獣はあんぐりと口を開けた。
サウナの扉を開けたときのような、湿った熱風が全身にまとわりつく。
ニオイは…強烈。
「これはエサじゃないから、閉じていいぞ」
そう言うと、怪獣は残念そうにゆっくり口を閉じた。
やはり言葉が通じているのか?少なくともこの時点で、ボクにとってはクラスメイトよりも怪獣のほうがコミュニケーションが取れているといえる。
65.6℃。
かなり体温が上がった。そしてあいかわらず唾液は付着していたが、粘り気は少なくなっている。
少しだけ赤い物が混じっていたので、ティッシュで体温計を念入りに拭いた。
<チェック項目③:怪獣を周囲から5分間観察して気になることはないかチェックする。>
一度離れてから怪獣の全体を見まわして、次にマジマジと近距離で怪獣を観察した。
もうストップウォッチは使っていなかった。
血行が良くなったのか、ガサついて乾いた崖の断層のようだった怪獣の肌が、ツヤを含んだ気がする。
ウロコを『肌』と呼ぶのか、そして血行でウロコのツヤが変わるのかは知らない。
フワッ…
裏山の方角から吹いた風に乗って、やわらかな香りが鼻に届いた。
そちらから歩いてくるシルエットは、あいかわらず美しかったのだけれど、肩を落とし、少しうつむいていた。
足立さんの目は潤んでいて、泣いているようだった。
「足立…さん?」思わず声が出た。
「…あ、海野君…こないだはゴメンね、私が教室で海野君に話しかけちゃったから」
こちらに気づいた足立さんは、まずボクが安田に殴られた件を謝罪してくれた。
彼女はなにも悪くないというのに、いまは彼女自身がこんなに悲しそうだというのに。
「いや…それは全然。そんなことより…足立さんどうしたの?」
「あ…えっと…友達?と、ちょっとケンカして…」
気まずさを誤魔化すように、エヘヘと笑って彼女は大きな瞳を拭った。
足立さんを泣かすような奴が、この世にいるのだろうか?
足立さんは、そいつのことが嫌いだろうか?目障りだろうか?
もしそうなら…
そんなことがあるのなら…
それをボクに相談してくれるなら…
今のボクならもしかしたら役に立てるかもしれない。
-------------------------
家に帰って宿題をしていると、夕食を作っているお母さんのスマホが鳴った。
「もう!いま火にかけたところなのに!」
「もしもし、あ!ハイ大丈夫ですよ~どうしました?」
イラっとしたクセに。
通話ボタンを押した瞬間、頭のてっぺんから出ているような、ヨソゆきの高い声に変わる。
「え!?そうなんですか?それは心配ですね~。ちょっと大地に聞いてみます。」
どうやら中学校の連絡網らしい。
「平井君がまだ家に帰ってないんだって、大地あんた知らないわよね?」
「知らない」
「知らないみたいです、えぇ、なにかあったらすぐに、ハイ、ハイ」
明日のは朝礼は大騒ぎかもな。
久しぶりにちょっとワクワクした。

明らかにこちらを待ち構えている様子に鼓動が早まり、変な汗が吹き出した。
ニヤニヤとした顔で近づいてくる人影は、平井だった。
教室に入るまでもなく、自分には安全な場所など無いのだ。無性に悲しくなった。
平井の用事は「金を貸せ」ということだった。
近所のコンビニに品薄のバグモンカードが入荷していたから、放課後に買いに行くそうだ。
つまりはカツアゲだ。
「ほかの人にお金を渡しているところを見られたらイヤだから」
そういって受け渡し場所として、怪獣のいる校庭の隅を指定すると、平井はなんの疑いもなく怪獣のところまで付いてきた。
キーンコーンカーンコーン
しまった、朝礼開始のチャイムが鳴ってしまった。
急いで、あくまで目立たず、静かに教室のドアをスライドさせる。
それでも加藤先生に見とがめられた。
「海野、おまえ遅刻だぞ」
すでに朝礼は始まっていた。
後ろのドアから入ってきたボクに、クラスの視線が集まる。
「すいません、トイレ行ってました…」
「すいません、ウンコいってました~」
誰かが茶化した口調で、ボクの台詞を言い換える。
胃が、ケイレンした。
「じゃあ、今日居ないのは平井だけだな」
加藤先生が出席簿にチェックを付ける。
「あれ?平井が休みとか聞いてる?」
「あいつバグモンカード入荷されてんの見つけて『売り切れたらヤベェ』とか言ってたから、学校さぼって買いに行ったんじゃね?」
「うはッ、バカでぇ~」
自分の席に着く途中で、そんなヒソヒソ話が聞こえてきた。
昼休憩。
ひとり給食を食べ終えると、和気あいあいとするクラスメイトを横目に教室を後にした。
毎日が弁当持参の日ならいいのに。
『便所飯』や『非常階段飯』という言葉を聞いた。
ネット上でこの言葉を使った書き込みには、侮蔑や悲惨な意味合いを含んでいると感じたけど、大勢のなかでする、孤独な食事に比べたらどんなに快適かと思う。
給食では、便所や非常階段に持ち運べない。
弁当だったら、ここで食べるのもいいかもしれないな。
怪獣のいる、暗い、陰気な場所でそう思った。
<チェック項目①:怪獣の身体が線から出てないかチェックする。>
昨日は完全に線をはみ出していた尻尾も、今日は線の中へピッタリと収まっていた。
動くな、線から出るな、とは言ったが怪獣が理解してる?たまたまか。
<チェック項目②:怪獣の体温を計って変化がないかチェックする。>
この日はボクが体温計を差し込もうとすると、怪獣はあんぐりと口を開けた。
サウナの扉を開けたときのような、湿った熱風が全身にまとわりつく。
ニオイは…強烈。
「これはエサじゃないから、閉じていいぞ」
そう言うと、怪獣は残念そうにゆっくり口を閉じた。
やはり言葉が通じているのか?少なくともこの時点で、ボクにとってはクラスメイトよりも怪獣のほうがコミュニケーションが取れているといえる。
65.6℃。
かなり体温が上がった。そしてあいかわらず唾液は付着していたが、粘り気は少なくなっている。
少しだけ赤い物が混じっていたので、ティッシュで体温計を念入りに拭いた。
<チェック項目③:怪獣を周囲から5分間観察して気になることはないかチェックする。>
一度離れてから怪獣の全体を見まわして、次にマジマジと近距離で怪獣を観察した。
もうストップウォッチは使っていなかった。
血行が良くなったのか、ガサついて乾いた崖の断層のようだった怪獣の肌が、ツヤを含んだ気がする。
ウロコを『肌』と呼ぶのか、そして血行でウロコのツヤが変わるのかは知らない。
フワッ…
裏山の方角から吹いた風に乗って、やわらかな香りが鼻に届いた。
そちらから歩いてくるシルエットは、あいかわらず美しかったのだけれど、肩を落とし、少しうつむいていた。
足立さんの目は潤んでいて、泣いているようだった。
「足立…さん?」思わず声が出た。
「…あ、海野君…こないだはゴメンね、私が教室で海野君に話しかけちゃったから」
こちらに気づいた足立さんは、まずボクが安田に殴られた件を謝罪してくれた。
彼女はなにも悪くないというのに、いまは彼女自身がこんなに悲しそうだというのに。
「いや…それは全然。そんなことより…足立さんどうしたの?」
「あ…えっと…友達?と、ちょっとケンカして…」
気まずさを誤魔化すように、エヘヘと笑って彼女は大きな瞳を拭った。
足立さんを泣かすような奴が、この世にいるのだろうか?
足立さんは、そいつのことが嫌いだろうか?目障りだろうか?
もしそうなら…
そんなことがあるのなら…
それをボクに相談してくれるなら…
今のボクならもしかしたら役に立てるかもしれない。
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家に帰って宿題をしていると、夕食を作っているお母さんのスマホが鳴った。
「もう!いま火にかけたところなのに!」
「もしもし、あ!ハイ大丈夫ですよ~どうしました?」
イラっとしたクセに。
通話ボタンを押した瞬間、頭のてっぺんから出ているような、ヨソゆきの高い声に変わる。
「え!?そうなんですか?それは心配ですね~。ちょっと大地に聞いてみます。」
どうやら中学校の連絡網らしい。
「平井君がまだ家に帰ってないんだって、大地あんた知らないわよね?」
「知らない」
「知らないみたいです、えぇ、なにかあったらすぐに、ハイ、ハイ」
明日のは朝礼は大騒ぎかもな。
久しぶりにちょっとワクワクした。

