「その何かから、私の命が危ないから預かってほしいとかって言われたんでしょ?」
そう聞かれ、忍は頷く。
あの時理解できなかった内容は、不思議なくらい忍の中に残っていて、薄皮を向くように少しずつ少しずつ、年々理解できるようになっていた。
「そう。生まれた世界にそのままいたら危ないって」
「ふーん。じゃあ、もしかしたら私はどこかのお姫様で、亡命だったりして」
いたずらっぽく笑ういぶきに、忍も笑う。
「それもロマンチックだね。王子様が迎えに来るならなおよしってところかな」
もし亡命なら、迎えなんか来なくていいと本心では思っていたけれど。
だけどいぶきは、いつか行く世界がどんな世界でも生きていけるようにと、勉強も沢山している。おかげでキャンプは忍も得意になってしまったのは、自分もついて行けたらと願っているからかもしれない。
ちなみにいぶきの中学時代、いつか生きることになる世界に関する悩みは、
「せめてトイレは水洗がいいんだけど……」
だった。ドレスの世界は楽しそうだが、現代日本に馴染んだ身としてはおまるは絶対に避けたいだろう。もしもにそなえて、水洗トイレの仕組みを勉強してたことも知っている。
「逆にめちゃくちゃ未来チックかもしれないよね」
「ああ、車が空飛んだりね。やっぱり十八歳になったら免許をとっとくべきかな?」
「どっちにしても、ここは車がないと不便な土地なんだから取ればいいと思うよ」
離婚後腰を落ち着けたこの土地は、車は一人一台が当たり前だ。
いぶきが料理をするとき、滅多に〇〇の素の類を使わないのも、アウトドア料理をするのも、裁縫を頑張ってるのも、数学に興味を持ったかと思えば高校は普通科だったくせに簿記の検定を取ったりするのも、すべて未来を見据えて――。
「いや、半分趣味よ?」
「うん、知ってる」
好奇心旺盛でパソコンさえ自作するのだから、物づくりが好きなだけかもしれない。
学びたいことや時間の関係で大学進学もしなかった。事情があって……と、今はフリーターだ。海外旅行は勧めたものの、なぜかパスポートを作りたくないと言われ却下されてしまう。
友だちは多いのに、彼氏は作らない。それが忍には、娘が大人になる要素を省こうとしてるかのようにも見えた。
「私のことは、いぶきが彼氏を作ったら考えるよ」
食後のデザートを食べつつ、ふと忍がそんなことを口にすると、いぶきは呆れたような顔をする。
「それはさすがに、私がいなくなった時かわいそうじゃない? たとえば私が初カノだと、カウントゼロになっちゃうのよ」
「それはそれでありのような」
「うわ、このおばさん鬼畜」
「母親捕まえておばさん言うな」
四十歳はおばさんだけどね、わかってるけどね。
「うそだよー。ママ若い! 二十歳の子がいるようには絶対見えない! あ、これはお世辞じゃないからね? だから浅倉さんのこと考えてあげなよ」
ふざけたときだけママと呼ぶいぶきは、一瞬だけまじめな顔に戻った。
「またそこに戻る?」
「だっていい人じゃない」
浅倉直人は確かにいい人だ。彼とは四年ほど前、地元のキャンプ場で偶然知り合った。最初に話したのは忍ではなくていぶきで、二人は年齢を超えた「友だち」らしい。
その直後、忍の勤める会社が移転したビルに浅倉の会社も入っていたことから、割とよく顔を合わせる間柄だ。でも、だからと言って忍と特別な関係ではない。顔見知りよりは親しい。友だちと言ってもいいくらいには。
ただいぶきが知ってる男性で忍の年に近いのが彼だから、冗談半分言ってるのだろうなぁと思い、いつもネタとして話半分に流している。
「浅倉さん、年下だしなぁ」
「二歳だけじゃない」
「男女逆ならそうかもね。でも男の人にとっては、おばさんよりピチピチの若い子のほうがいいわよ」
「ピチピチって……」
言葉のチョイスがおばさん過ぎとでも言いたげないぶきに、余計なお世話と目で言い、食後のお茶を淹れることにする。実際彼は、こんなおばさんとの未来を考えなくてはいけないような男性ではないのだ。
「それより、今日はあれないの? なんだっけ。成人式の」
「実行委員会ね。あれはまだ始まってもいないよ」
いぶきは去年、友人の美奈子ちゃんに誘われ、市の成人式のための実行委員会とかいうものに参加していて、今年も継続するという。文化祭の委員のようなものらしい。市の行事だが高校卒業以上の一般ボランティアが作るのが、この市の成人式の特徴だ。いぶきが参加しているのは、二十歳で参加できないことも考えてのことだろうか?
刻一刻と別れが近づいていることに胃がよじれそうだが、お互い表には出さない。
かぐや姫を育てている気分とでもいうのだろうか。
実際、一部の人から娘が「難攻不落のかぐや姫」と呼ばれていることは、忍の耳にも入ってきていた。告白されても誰とも付き合わない。かぐや姫と違って条件を出すわけでもなく、ばっさりと断ってしまう。しかも理由が「結婚の約束をしてる人がいるの」ときたものだ。
――でもいぶき、それは幼稚園のときの話でしょ。
ただ断るだけだと、しつこく付きまとわれることにうんざりしたからだと言うが、それにしたって本気にするやついる? しかも相手の顔も名前も覚えていないらしいのに。
「たあ君、だった気がするけど……。父方のおばあちゃんなら覚えてるかもね」
そう笑ういぶきに、ふと、恋も知ってほしいと思ってしまったのはエゴだろうか……。自分は失敗したくせに身勝手なのは分かっているけど、いぶきは賢いから自分のようなことにはならないだろう。
でもそんなことを言ったら、また話が堂々巡りするだろうし……。
そんなことを考えてた忍に、ピコンといい考えが浮かんだ。
「ねえ、いぶき。初カノがアウトなら、モテまくってる人とかどうよ。付き合った中の一人ならセーフじゃない? お母さん、いぶきの彼がイケメンだと嬉しいなぁ」
もちろん、その初恋のたあ君でもいいけど。
幼稚園のお迎え関係は忍はほとんど関われず、行事は参加したものの、たあ君がどの子だったかは全く覚えていない。年中でやめたので、その幼稚園の卒園アルバムさえないのが残念だ。
「はあ? それが母親の言うことですか? まったく。――お母さんに彼氏が出来たら考えてみるよ」
あ、やっぱりそうなる?
そう聞かれ、忍は頷く。
あの時理解できなかった内容は、不思議なくらい忍の中に残っていて、薄皮を向くように少しずつ少しずつ、年々理解できるようになっていた。
「そう。生まれた世界にそのままいたら危ないって」
「ふーん。じゃあ、もしかしたら私はどこかのお姫様で、亡命だったりして」
いたずらっぽく笑ういぶきに、忍も笑う。
「それもロマンチックだね。王子様が迎えに来るならなおよしってところかな」
もし亡命なら、迎えなんか来なくていいと本心では思っていたけれど。
だけどいぶきは、いつか行く世界がどんな世界でも生きていけるようにと、勉強も沢山している。おかげでキャンプは忍も得意になってしまったのは、自分もついて行けたらと願っているからかもしれない。
ちなみにいぶきの中学時代、いつか生きることになる世界に関する悩みは、
「せめてトイレは水洗がいいんだけど……」
だった。ドレスの世界は楽しそうだが、現代日本に馴染んだ身としてはおまるは絶対に避けたいだろう。もしもにそなえて、水洗トイレの仕組みを勉強してたことも知っている。
「逆にめちゃくちゃ未来チックかもしれないよね」
「ああ、車が空飛んだりね。やっぱり十八歳になったら免許をとっとくべきかな?」
「どっちにしても、ここは車がないと不便な土地なんだから取ればいいと思うよ」
離婚後腰を落ち着けたこの土地は、車は一人一台が当たり前だ。
いぶきが料理をするとき、滅多に〇〇の素の類を使わないのも、アウトドア料理をするのも、裁縫を頑張ってるのも、数学に興味を持ったかと思えば高校は普通科だったくせに簿記の検定を取ったりするのも、すべて未来を見据えて――。
「いや、半分趣味よ?」
「うん、知ってる」
好奇心旺盛でパソコンさえ自作するのだから、物づくりが好きなだけかもしれない。
学びたいことや時間の関係で大学進学もしなかった。事情があって……と、今はフリーターだ。海外旅行は勧めたものの、なぜかパスポートを作りたくないと言われ却下されてしまう。
友だちは多いのに、彼氏は作らない。それが忍には、娘が大人になる要素を省こうとしてるかのようにも見えた。
「私のことは、いぶきが彼氏を作ったら考えるよ」
食後のデザートを食べつつ、ふと忍がそんなことを口にすると、いぶきは呆れたような顔をする。
「それはさすがに、私がいなくなった時かわいそうじゃない? たとえば私が初カノだと、カウントゼロになっちゃうのよ」
「それはそれでありのような」
「うわ、このおばさん鬼畜」
「母親捕まえておばさん言うな」
四十歳はおばさんだけどね、わかってるけどね。
「うそだよー。ママ若い! 二十歳の子がいるようには絶対見えない! あ、これはお世辞じゃないからね? だから浅倉さんのこと考えてあげなよ」
ふざけたときだけママと呼ぶいぶきは、一瞬だけまじめな顔に戻った。
「またそこに戻る?」
「だっていい人じゃない」
浅倉直人は確かにいい人だ。彼とは四年ほど前、地元のキャンプ場で偶然知り合った。最初に話したのは忍ではなくていぶきで、二人は年齢を超えた「友だち」らしい。
その直後、忍の勤める会社が移転したビルに浅倉の会社も入っていたことから、割とよく顔を合わせる間柄だ。でも、だからと言って忍と特別な関係ではない。顔見知りよりは親しい。友だちと言ってもいいくらいには。
ただいぶきが知ってる男性で忍の年に近いのが彼だから、冗談半分言ってるのだろうなぁと思い、いつもネタとして話半分に流している。
「浅倉さん、年下だしなぁ」
「二歳だけじゃない」
「男女逆ならそうかもね。でも男の人にとっては、おばさんよりピチピチの若い子のほうがいいわよ」
「ピチピチって……」
言葉のチョイスがおばさん過ぎとでも言いたげないぶきに、余計なお世話と目で言い、食後のお茶を淹れることにする。実際彼は、こんなおばさんとの未来を考えなくてはいけないような男性ではないのだ。
「それより、今日はあれないの? なんだっけ。成人式の」
「実行委員会ね。あれはまだ始まってもいないよ」
いぶきは去年、友人の美奈子ちゃんに誘われ、市の成人式のための実行委員会とかいうものに参加していて、今年も継続するという。文化祭の委員のようなものらしい。市の行事だが高校卒業以上の一般ボランティアが作るのが、この市の成人式の特徴だ。いぶきが参加しているのは、二十歳で参加できないことも考えてのことだろうか?
刻一刻と別れが近づいていることに胃がよじれそうだが、お互い表には出さない。
かぐや姫を育てている気分とでもいうのだろうか。
実際、一部の人から娘が「難攻不落のかぐや姫」と呼ばれていることは、忍の耳にも入ってきていた。告白されても誰とも付き合わない。かぐや姫と違って条件を出すわけでもなく、ばっさりと断ってしまう。しかも理由が「結婚の約束をしてる人がいるの」ときたものだ。
――でもいぶき、それは幼稚園のときの話でしょ。
ただ断るだけだと、しつこく付きまとわれることにうんざりしたからだと言うが、それにしたって本気にするやついる? しかも相手の顔も名前も覚えていないらしいのに。
「たあ君、だった気がするけど……。父方のおばあちゃんなら覚えてるかもね」
そう笑ういぶきに、ふと、恋も知ってほしいと思ってしまったのはエゴだろうか……。自分は失敗したくせに身勝手なのは分かっているけど、いぶきは賢いから自分のようなことにはならないだろう。
でもそんなことを言ったら、また話が堂々巡りするだろうし……。
そんなことを考えてた忍に、ピコンといい考えが浮かんだ。
「ねえ、いぶき。初カノがアウトなら、モテまくってる人とかどうよ。付き合った中の一人ならセーフじゃない? お母さん、いぶきの彼がイケメンだと嬉しいなぁ」
もちろん、その初恋のたあ君でもいいけど。
幼稚園のお迎え関係は忍はほとんど関われず、行事は参加したものの、たあ君がどの子だったかは全く覚えていない。年中でやめたので、その幼稚園の卒園アルバムさえないのが残念だ。
「はあ? それが母親の言うことですか? まったく。――お母さんに彼氏が出来たら考えてみるよ」
あ、やっぱりそうなる?
