十月も半ばを過ぎた。
いぶきは瑛太に何度目かの告白を受けた際、「お友達になりましょう」と宣言したらしい。美奈子は不満そうだったが、いぶきにとっては相当気が楽になったらしく、意外とうまくいっているようだ。
十月は毎年平日の二日間を使って、元義父母に会いに行く。
元夫たちに遭遇しないよう、命日や世間の長期休みを外しているのだ。
「じゃあ、今回は電車ってことでいいわね」
今年は最後になるので二人で行くのだが、電車でも車でも片道三時間程度の距離である。たまには電車を乗り継ぐのもいいねと話し合ったのだ。
「あ、それがね、お母さん。二日目のことなんだけど。お母さんが友達に会ってるとき、私は近くで時間潰す予定だったじゃない。たまたまその話をしてたら、瑛太君が午後休みだからって、彼の大学を案内してくれるらしいの」
たしか彼の通う大学は、忍が離婚前に住んでいた街の沿線上にある。いぶきは大学に興味があったが結局諦めていたため、瑛太の申し出をとても楽しみにしていることが分かった。
「別にいいよ。大学って、部外者も入れるんだ」
「うん、大丈夫だって。学食に興味があるって言ったら、午後が休みだから連れて行ってくれるって約束したの。大学もだけど、学食って初めてだから、すごく楽しみ」
「よかったわね」
「それでね、夜の成人式の委員会に出るために瑛太君もこっちに帰るから、車でついでに送ってくれるって言うんだけど。お母さん、それでもいい?」
――あら。ついでなんて口実でしょうに。
思わず浮かれている瑛太の顔が思い浮かび、顔がにやけそうになる。
「じゃあ、二人で帰るといいと思うわ。その足で委員会に行けるでしょ?」
「ええっ、お母さんは?」
気を利かせた忍にいぶきが不満の声を上げる。不満というより、不安だろうか?
「お母さん一人なら、デパートに寄って、ちょっと贅沢に特急使って帰るわ」
「え、ずるい。特急いいな、デパートで何買うの?」
「ずるくない。駅前のデパートはちょうど見たかった絵画展やってるし、おばあちゃんのお見舞い用のお土産と、浅倉さんの誕生日プレゼントも探そうかなぁって」
浅倉とは、結婚を前提に正式にお付き合いを始めた。付き合うと言っても、ほぼ結婚準備と言っていいだろう。
亡くなった浅倉の妻子の墓参りに行き、元々交流があったが、彼の家族とも会った。浅倉の義理の兄からはなぜか忍は女神、いぶきは天使と讃えられ、下にも置かない歓迎ぶりで驚いた。忍の両親は、それはこちらのセリフですと恐縮していたが。
浅倉の姉は特にその傾向が強く、とくにいぶきは彼女に抱きしめられ泣かれてしまっていた。だがいぶきのほうは、何もかも分かってるような慈愛に満ちた顔で、彼女の頭を撫でていたのが不思議な光景ではあったのだが。
彼の友人たちとも会ったが、何人かはキャンプで一緒になったことがあるため、全くの初対面の人はいなかったのが不思議な気持ちだ。
今回は元姑に「友人として」その報告もする予定なのだ。本当は今回、忍の母も行きたがっていたのだが、腰を痛めて断念した。昨日からぎっくり腰で動けないらしい。母のために前に喜んでいた菓子を買おうと、スマホにメモをする。
「ええ、じゃあ尚更私も行きたいんだけど」
ぷくっとふくれたいぶきの頬をつつき、忍はわざと「めっ」という顔をした。
「大学、興味があるんでしょう? お母さんと別行動のほうがゆっくり楽しめるだろうし、帰りも時間のロスがない。お母さんは買い物を1人で楽しめて、ウィンウィンじゃない、ね?」
きっと忍が一緒でも、瑛太は嫌な顔をしないだろう。
話を聞く限り、いぶきとはきちんと友人の距離を保っているという。美奈子が言うには、「本当はすっごい未練たらたらで、まずは友人として信頼を得るため頑張ってるみたいですよ。あれは諦める気ないですね」らしいが。
時間は刻一刻と過ぎていく。だが、
「たまには何も考えないで楽しんできなさい。友達なんでしょ」
「でも、二人きりは……」
「記憶なんて曖昧なものなんだから、あとで覚えてなくても気にならないんじゃない?」
記憶の齟齬を心配しているいぶきに、忍はあえて気楽な言葉をかける。人間あったことすべてを覚えているわけではないのだし、あの「何か」はうまくつじつまが合うと言ったのだから。
「そうだね。――うん、わかった。そうする。ありがと、お母さん」
そしてソワソワと服を選んでる娘の姿を瑛太が見たら、多分彼はとても喜ぶだろうなと微笑ましくなる。だがいぶきは、瑛太の前ではけっしてそんな姿は見せないだろう。だが最後まで仲のいい友人の一人を演じ切ることを決めたのなら、それはそれでいいのだと思う。ただ楽しい思い出を、抱えきれないくらい作ってほしい。
* * *
一日目は予定通り元義父の墓参りに行った後、元義母とランチに行った。
元義母は忍の再婚予定に涙を流しながら喜んでくれ、いぶきには二十歳のお祝いにと美しい髪飾りとハンカチ、それから真珠のネックレスをプレゼントしてくれた。
「おばあちゃん、こんな高いものもらえないよ」
「いいのよ。女の子の孫はあなただけだもの。貰ってちょうだい。ずっと楽しみにしてたんだから。振袖の写真も可愛いわ。本当にきれいになって」
やっと写真館で撮った振袖の写真を見て笑う姿に、ほら早めに撮ってよかったでしょうといぶきに目で言う。仕上がりがギリギリだったが、間に合ってよかった。
どうせ忘れてもいいじゃないか。
矍鑠としているとはいえ、ホームの人の話では少し認知症が始まっているらしい彼女に、ウキウキした気持ちは大切だ。
いぶきは少し考えて、スマホに入れていた写真の一つを拡大して祖母に見せる。
「まあ、たあくんじゃない。立派になって!」
いぶきが教える前に、元義母はそれが誰だかわかったらしい。目をキラキラさせて少女のような顔になった。
「いぶちゃん、今もたあくんと仲良しなの?」
「うん、仲良しだよ」
祖母の言葉に一瞬目を見開いたいぶきは、すぐ無邪気な笑顔で頷いた。
「よかったわ。幼稚園の頃はいつも手をつないで歩いてたわよね。たあくん、いっつもおばあちゃんに、いぶちゃんは僕のお嫁さんになるんだって言ってたわね。いぶちゃんが引っ越してからは、お外で二、三度会ったことがあるけど、本当にさみしそうだったのよ。――そう。また会えたのね。ずっと会わせてあげたいって思ってたのよ。よかった、本当によかった」
「うん。会えたよ。ありがとう、おばあちゃん」
いぶきは少し涙ぐみながらも、祖母に握られた手を握り返してにっこりと笑った。
いぶきは瑛太に何度目かの告白を受けた際、「お友達になりましょう」と宣言したらしい。美奈子は不満そうだったが、いぶきにとっては相当気が楽になったらしく、意外とうまくいっているようだ。
十月は毎年平日の二日間を使って、元義父母に会いに行く。
元夫たちに遭遇しないよう、命日や世間の長期休みを外しているのだ。
「じゃあ、今回は電車ってことでいいわね」
今年は最後になるので二人で行くのだが、電車でも車でも片道三時間程度の距離である。たまには電車を乗り継ぐのもいいねと話し合ったのだ。
「あ、それがね、お母さん。二日目のことなんだけど。お母さんが友達に会ってるとき、私は近くで時間潰す予定だったじゃない。たまたまその話をしてたら、瑛太君が午後休みだからって、彼の大学を案内してくれるらしいの」
たしか彼の通う大学は、忍が離婚前に住んでいた街の沿線上にある。いぶきは大学に興味があったが結局諦めていたため、瑛太の申し出をとても楽しみにしていることが分かった。
「別にいいよ。大学って、部外者も入れるんだ」
「うん、大丈夫だって。学食に興味があるって言ったら、午後が休みだから連れて行ってくれるって約束したの。大学もだけど、学食って初めてだから、すごく楽しみ」
「よかったわね」
「それでね、夜の成人式の委員会に出るために瑛太君もこっちに帰るから、車でついでに送ってくれるって言うんだけど。お母さん、それでもいい?」
――あら。ついでなんて口実でしょうに。
思わず浮かれている瑛太の顔が思い浮かび、顔がにやけそうになる。
「じゃあ、二人で帰るといいと思うわ。その足で委員会に行けるでしょ?」
「ええっ、お母さんは?」
気を利かせた忍にいぶきが不満の声を上げる。不満というより、不安だろうか?
「お母さん一人なら、デパートに寄って、ちょっと贅沢に特急使って帰るわ」
「え、ずるい。特急いいな、デパートで何買うの?」
「ずるくない。駅前のデパートはちょうど見たかった絵画展やってるし、おばあちゃんのお見舞い用のお土産と、浅倉さんの誕生日プレゼントも探そうかなぁって」
浅倉とは、結婚を前提に正式にお付き合いを始めた。付き合うと言っても、ほぼ結婚準備と言っていいだろう。
亡くなった浅倉の妻子の墓参りに行き、元々交流があったが、彼の家族とも会った。浅倉の義理の兄からはなぜか忍は女神、いぶきは天使と讃えられ、下にも置かない歓迎ぶりで驚いた。忍の両親は、それはこちらのセリフですと恐縮していたが。
浅倉の姉は特にその傾向が強く、とくにいぶきは彼女に抱きしめられ泣かれてしまっていた。だがいぶきのほうは、何もかも分かってるような慈愛に満ちた顔で、彼女の頭を撫でていたのが不思議な光景ではあったのだが。
彼の友人たちとも会ったが、何人かはキャンプで一緒になったことがあるため、全くの初対面の人はいなかったのが不思議な気持ちだ。
今回は元姑に「友人として」その報告もする予定なのだ。本当は今回、忍の母も行きたがっていたのだが、腰を痛めて断念した。昨日からぎっくり腰で動けないらしい。母のために前に喜んでいた菓子を買おうと、スマホにメモをする。
「ええ、じゃあ尚更私も行きたいんだけど」
ぷくっとふくれたいぶきの頬をつつき、忍はわざと「めっ」という顔をした。
「大学、興味があるんでしょう? お母さんと別行動のほうがゆっくり楽しめるだろうし、帰りも時間のロスがない。お母さんは買い物を1人で楽しめて、ウィンウィンじゃない、ね?」
きっと忍が一緒でも、瑛太は嫌な顔をしないだろう。
話を聞く限り、いぶきとはきちんと友人の距離を保っているという。美奈子が言うには、「本当はすっごい未練たらたらで、まずは友人として信頼を得るため頑張ってるみたいですよ。あれは諦める気ないですね」らしいが。
時間は刻一刻と過ぎていく。だが、
「たまには何も考えないで楽しんできなさい。友達なんでしょ」
「でも、二人きりは……」
「記憶なんて曖昧なものなんだから、あとで覚えてなくても気にならないんじゃない?」
記憶の齟齬を心配しているいぶきに、忍はあえて気楽な言葉をかける。人間あったことすべてを覚えているわけではないのだし、あの「何か」はうまくつじつまが合うと言ったのだから。
「そうだね。――うん、わかった。そうする。ありがと、お母さん」
そしてソワソワと服を選んでる娘の姿を瑛太が見たら、多分彼はとても喜ぶだろうなと微笑ましくなる。だがいぶきは、瑛太の前ではけっしてそんな姿は見せないだろう。だが最後まで仲のいい友人の一人を演じ切ることを決めたのなら、それはそれでいいのだと思う。ただ楽しい思い出を、抱えきれないくらい作ってほしい。
* * *
一日目は予定通り元義父の墓参りに行った後、元義母とランチに行った。
元義母は忍の再婚予定に涙を流しながら喜んでくれ、いぶきには二十歳のお祝いにと美しい髪飾りとハンカチ、それから真珠のネックレスをプレゼントしてくれた。
「おばあちゃん、こんな高いものもらえないよ」
「いいのよ。女の子の孫はあなただけだもの。貰ってちょうだい。ずっと楽しみにしてたんだから。振袖の写真も可愛いわ。本当にきれいになって」
やっと写真館で撮った振袖の写真を見て笑う姿に、ほら早めに撮ってよかったでしょうといぶきに目で言う。仕上がりがギリギリだったが、間に合ってよかった。
どうせ忘れてもいいじゃないか。
矍鑠としているとはいえ、ホームの人の話では少し認知症が始まっているらしい彼女に、ウキウキした気持ちは大切だ。
いぶきは少し考えて、スマホに入れていた写真の一つを拡大して祖母に見せる。
「まあ、たあくんじゃない。立派になって!」
いぶきが教える前に、元義母はそれが誰だかわかったらしい。目をキラキラさせて少女のような顔になった。
「いぶちゃん、今もたあくんと仲良しなの?」
「うん、仲良しだよ」
祖母の言葉に一瞬目を見開いたいぶきは、すぐ無邪気な笑顔で頷いた。
「よかったわ。幼稚園の頃はいつも手をつないで歩いてたわよね。たあくん、いっつもおばあちゃんに、いぶちゃんは僕のお嫁さんになるんだって言ってたわね。いぶちゃんが引っ越してからは、お外で二、三度会ったことがあるけど、本当にさみしそうだったのよ。――そう。また会えたのね。ずっと会わせてあげたいって思ってたのよ。よかった、本当によかった」
「うん。会えたよ。ありがとう、おばあちゃん」
いぶきは少し涙ぐみながらも、祖母に握られた手を握り返してにっこりと笑った。
