藤間くんは発明部を認めない

 少し笑ったくらいでそんなにも喜んでもらえるなら、今後はもっと笑ってみようか、なんて。まるで僕らしくないことを考えて、胸の辺りが少し苦しくなる。
「笑った会長、すごく可愛い。俺、幸せすぎて死ぬかもしれない」
 骨が抜けたようにその場にしゃがみ込んで、ため息をつきながら頭を抱える蜜木。
 僕に『可愛い』と言ってくるのは歳上の人ばかりなので、同級生の蜜木に言われたのは少し驚いた。嫌な気分にはならなかったが、どう反応すればいいのかわからない。
 僕は自分を可愛いと思ったことは一度もないし、可愛くなりたいと思ったことすらないのだ。
「僕は別に、可愛くはないだろう」
「自覚がないところも可愛い。ああ可愛い」
 僕の否定を、頭を抱えたままの蜜木が早口で打ち返してきた。
 僕は気恥ずかしさでややムキになりながら、それをさらに打ち返す。
「僕はもう中学生だ。可愛くはない」
「会長は大人になっても可愛いよ」
「可愛いという形容詞は、普通男には使わないだろう」
「そんなルール無いよ。俺が可愛いって言ったら、絶対に可愛い。会長は可愛い」
「可愛い可愛いって、僕のどこが可愛いんだ。僕はちっとも可愛くない!」
「全部。真面目で頑張り屋で不器用なところとか、ちょっと流されやすくて危なっかしいところとか、まんまるの後頭部とか、サラサラの黒髪とか、ちょっと吊り気味の猫みたいな目とか、小学生より下手くそな字とか、とにかく全部。全部」
「……………………わかった。もういい」
 これ以上何を言ったとしても、どうあがいても、力づくで〝可愛い〟という結論へねじ伏せられそうな予感がしたので、僕は反論をやめた。
 そもそも、あまりに不毛な争いである。この議論に勝ったとして、なに一つ僕に得るものがない。
 大きな大きなため息を、これ見よがしについた。この大きなため息は、呆れてなにも言い返せなくなったのだという意思表示である。
 しゃがみ込んでいる蜜木のワイシャツの襟を無言で鷲掴み、真上に引っ張り上げる。「わっ」とよろめきながら、蜜木が立ち上がった。
「この僕が仮入部するからには、発明部は存在意義のある素晴らしい部活動でなければならない。だから今後は人に迷惑をかける発明品ではなく、人の役に立つ発明品を作っていくんだ。そして発明部が皆が認める素晴らしい部活動になった暁には、僕も発明部のことを認めて正式に入部する」
 蜜木に右手を差し出し、握手を求めた。
「あくまで仮入部だが、今日からよろしく」
 蜜木が素早くそれに応じる。
 明確に、この瞬間、蜜木との関係が特別なものになった気がした。
 子供の頃に大人の真似をして御じい様と握手をしたことがあるが、真似事ではない本物の握手はこれが初めてだった。
「よろしくね、会長」
 蜜木がはにかんでいたから、それにつられて僕もほんの少しだけ笑う。
 瑠璃村島中学校創設以来前例のない〝発明部〟という前代未聞の部活動が、長年使われていなかった第二美術室という名の物置で幕を上げたのであった。


 僕と蜜木は、第二美術室の後ろに積まれていた埃を被った箱椅子を一台づつ教卓の前に持ってきて、それぞれをひとまず自分たちの椅子とした。教卓は共用机となった。
 部長は蜜木。もちろん異論はない。僕は仮部員なのだから。
 黒板の上の壁掛け時計を見上げる。昼休みはあと十五分。(ちなみに、この壁掛け時計の電池は、蜜木が別の教室の壁掛け時計の電池と交換したらしい。流石だ)
 昼休みはまだ残っているので、僕の頭の中にひとつだけ引っかかったままになっていた疑問を聞いておくことにした。
「そういえば、あの校内新聞の記事はなんだ? どうしてあんな嘘をついたんだ」
 僕の箱椅子に黒の油性ペンで『会長』という文字と、威嚇している黒猫の絵をせっせと描いていた蜜木が「ん?」と顔を上げた。(当然のように堂々と書いていたので注意しそびれてしまったが、学校の備品に落書きしていいわけがない。まあでも、長いこと使っていない備品のようだし、いいか……)
「あれはね、会長が発明部に入部したってことを校内新聞の記事にすれば、会長も入部届を取り下げにくくなって、そのまま入部してくれるかなぁって思ったんだ。鴉取先輩、前から俺の写真を新聞に載せたいって何度も言ってきてたから、話をしたら喜んでOKしてくれたよ。……でも、あんまり効果なかったみたいだけどね」
 眉を下げて蜜木が笑った。
「つまり、騙し討ちで入部届を書かせて、校内新聞で既成事実を作って外堀を埋める作戦だったわけだ」
 露骨に呆れた顔をした僕を見て、蜜木が少し焦り出す。
「いや、あのね、俺だって、ちょっとズルくて無茶なことしてる自覚はあったよ? でも、会長を発明部に入部させる方法なんて、その時は他に思いつかなかったから……」
 あたふたと言い訳を並べた後、蜜木は最後に「ごめんね」と小さく謝った。僕に謝った蜜木はしゅんとしょげていて、普段より一回り小さく見えた。
 やったことははた迷惑なことであったが、蜜木は蜜木なりに僕と仲良くしようとしてやったことなのだ。
 僕の中に、蜜木を怒る気持ちはもう残っていなかった。
「もう怒っていないからいい。でも次からは、そんな遠回しなことはせず、僕に何かやってほしいことや言いたいことがあれば直接伝えてほしい」
「うん。そうする。ありがとう」
 へへ、と蜜木がくすぐったそうに笑った。
「それにしても、新聞部を騙すなんてすごい度胸だ。僕にはとても真似できない」
「騙す? 騙す、かあ……」
 蜜木が眉間に皺を寄せて「うーん」と唸る。
「あのね。これは俺の勘なんだけど、新聞部は全部気づいてたと思うよ」
「気づいてた? 何にだ?」
「あの人……、鴉取先輩ね。多分、俺の作った、入部届かかせるくんのこと知ってたと思うんだよね。俺のやってた校内アンケート、結構噂になってたみたいだし。だってほら、生徒の間で流行ってる噂話を、情報通の新聞部が知らないわけがないからさ」
 僕の口から自然と「あっ」と声が漏れた。確かにその通りだ。
「でも、それはつまり、どういうことになるんだ?」
「鴉取先輩は会長の入部届が本人の意思で書いたものじゃないと察しながら、僕のインタビュー内容にも疑いを持ちながら、それでも信じているフリをして記事にしたんじゃないかな。もし記事の嘘がバレて問題になっても、鴉取先輩は全て俺のせいにできるからね。記事で稼いだお金を返金する責任は鴉取先輩には発生しないし、新聞部はそれを記事にすることでまた一儲けできる。問題にならなければ、予定通り会長のインタビューと俺の写真を載せて一儲け。新聞部はどっちに転んでもおいしいってこと」
 本人に確認していないので確証は無い。だが蜜木の推測は筋が通っていて、充分頷けるものだった。
 ——新聞部が掴まされた証拠が捏造だった場合は、嘘になりますね。まあその時は、新聞部は嘘の記事を書かされた言わば被害者になるわけですから、こちらにはなんの責任もないと思いますけど。
 今朝、鴉取先輩が僕に言った言葉を思い出す。
 ……底が知れない人というのは、鴉取先輩の人のようなことを言うのかもしれない。
「まあでも、俺も新聞部を利用させてもらったわけだからさ。もしそうであっても、どっちが悪いとかでもなく、お互い様なんだけどね」
 そう言って、へへへと能天気に笑った蜜木にも、鴉取先輩に負けず劣らずの強かさがある気がした。二人とも将来は大物になりそうだ。
 蜜木が鼻歌を歌いながら、自分の箱椅子に『蜜木』と書く。蜜木が自分の箱椅子に書いたのはそれだけだった。
 僕の箱椅子には名前と威嚇している黒猫のイラストが描かれているのに、蜜木の箱椅子には名前だけ。並べてみるとなんだかアンバランスだ。
「僕も描く」
 蜜木が教卓の上に戻した油性ペンを取って、蜜木の箱椅子の前にしゃがみ込む。
 なんとなく、黒猫の絵は僕を意識して描かれたものであることはわかっていたので、僕も蜜木を意識して猫の絵を描くことにした。
 箱椅子を片手で傾けて、考える。
 蜜木が猫だとしたら、それはきっと長毛の、ペットショップに並んでいるような澄ました顔の猫だ。口元には猫だけどちょっぴり八重歯を覗かせる。黒いペンだから表現できないけれど、毛並みは蜂蜜色がいい。
「できた。蜜木猫だ」
 僕は絵があまり得意ではないが、それでもなかなか上手に描けたのではないだろうか。
「わぁ! 会長、字は下手くそなのに、絵は下手くそじゃないんだね」
「字は下手くそなのには余計だぞ!」
 怒った僕に、蜜木がケラケラと笑った。
「でも、嬉しいよ。ありがとう。そっか。会長から見て、俺はこんなふうに見えてるんだね」
 蜜木はポケットからスマホを取り出し、「壁紙にするね」と言って、パシャパシャと蜜木猫の写真を撮り始めた。
 勿論言うまでもないが、瑠璃島村中学校はスマホの持ち込みを禁止している。
「会長のことも撮っていい?」
「嫌だ」
 嫌だと言ったのに迷いなくレンズをこちらに向けられたので、僕は仏頂面のまま仕方なくピースだけ向けてやった。特別サービスである。
 急にシャッター音が連写モードになったのと、「やっぱりこっちを壁紙にしよう」という独り言が聞こえたのがやや気になったが、蜜木が嬉しそうにしているのでまあいいかと流すことにした。
「スマホの持ち込みは校則で禁止されている。明日からは持ってこないように」
 充分撮影して満足した様子の蜜木に、生徒会長らしく釘を刺す。
 「はーい」と良い返事が返ってきたが、たぶん明日もスマホを持ってくるに違いない。今までの経験上、そう予想した。
 時計を見上げる。昼休みは残り十分とちょっと。
 随分といろいろなことがあった昼休みであった。
 僕は、いつも昼休みには図書館で本を読んでいる。だから、こんなにも忙しい昼休みを過ごした経験はなかったし、正直に言えば楽しかった。昼休みがもっと長ければいいのになんて、柄にもないことを考えてしまうくらいには。
「五分前になったら教室に戻ろうか」
 蜜木に言った。でも、もしかしたら、それは心の奥で教室に戻りたくないと我儘をぼやいていた自分に言っていたのかもしれない。
 そんな時、黒板の右上に取り付けられたスピーカーから、ピンポンパンポンと、聞き慣れたメロディが流れた。
 校内放送の合図である。
 僕と蜜木は、二人同時にスピーカーを見上げた。
 間髪入れずノイズ混じりの放送が流れる。
 その放送が、僕を一瞬で地獄へと突き落とした。

『二年、蜜木和(みつき にこ)藤間秀一(とうま しゅういち)。今すぐ職員室へ来なさい。繰り返します。二年、蜜木和と藤間秀一。今すぐ職員室へ来なさい。以上!』

 反論など一切受け付けないと言わんばかりのピシャリとした口調と、ついさっき聞いたばかりの聞き覚えがありすぎる声。
 ——高木先生である。