藤間くんは発明部を認めない

 顔を上げると、高木先生は目を丸くして僕と蜜木を交互に見ていた。
 僕は片手で持っていたきのこアンブレラくんを両手で持ち直し、前ならえをするみたいに高木先生の目前に出した。
「これは僕が考えた発明品のきのこアンブレラくんです。昨日の放課後に作りました。雨が降っていても、これを差せば雨に濡れることなく外で作業ができます。昨日、高木先生が第二美術室の幽霊だと勘違いしたのは、このきのこアンブレラくんなんです」
 蜜木が持っていたノートを脇に挟み、僕の手からきのこアンブレラくんを取って、それを差した。
 蜜木が傘の中に入り、きのこアンブレラくんの電気をつける。明るい場所なので分かりにくいが、きのこアンブレラくんがほのかにライトアップされた。
「あの時、きのこアンブレラくんを駐輪場で差していたのは蜜木です。黒い長靴を履いていました。長靴が暗闇と同化してしまっていたので、きのこアンブレラくんが浮いているように見えてしまったんです」
 高木先生はぽかんとした顔のまま、何も言わない。
 僕は内心怯えながらも、畳み掛けるように説明を続けた。
「水滴も、きのこアンブレラくんから滴った雨水です。高木先生が悲鳴を上げて走り去ってしまった後、僕は怖くなったので蜜木と一緒にきのこアンブレラくんを持って逃げました。その時に第二美術室の前を通ったので、たまたま水滴がそこで途切れたんだと思います」
 空気窓から第二美術室へきのこアンブレラくんを投げ入れたことは黙っておくことにした。
 うっかり話して空気窓に鍵をかけられてしまっては、僕らが部室に入れなくなってしまうからだ。
 蜜木がきのこアンブレラくんを閉じて、大雑把に生地をまとめた。
「……これが、昨日高木先生が見た第二美術室の幽霊の正体です。驚かせてしまって、すみませんでした」
 僕と蜜木は、もう一度揃って頭を下げた。
 一拍置いてから恐る恐るそおっと顔を上げると、高木先生は天井を仰いでいた。
 それから、空気の抜けていく風船のように大きく長く息を吐いてから、背後の壁に寄りかかった。
「良かったぁ…………」
 そして高木先生は安堵した様子でそう言ってから、突然ケラケラと笑い出したのである。
「いい発明品じゃない。そうよ。そういう発明品を作ればいいのよ」
 納得したように頷きながら、拍手まで始める高木先生。
 予想外の反応に、僕と蜜木は顔を見合わせる。
「怒らないんですか?」
 恐る恐る、尋ねてみた。
 高木先生は首を横に振った。
「怒らないわよ。だって私が勘違いしただけなんだから、あなたたち何も悪くないじゃない。それに、あんな悪天候の中、発明品を作ってまで真面目に奉仕活動をしようと頑張ったのは偉いわ。なぁんだ、私が見たのは第二美術室の幽霊じゃなかったのね。ひとまずは安心したわ」
 高木先生は「あー。怖かった」と胸に手を当てて、また笑った。
 その言葉に、緊張で強張っていた僕の肩の力も抜けた。
 怒られなかった。誤解も解けた。
 一時はもうおしまいだと思ったが、正直に謝ることができて本当に良かった。
——誰に対しても誠実に生きなさい。
 小さい頃に亡き母さんから繰り返し言い聞かされた言葉が、懐かしい声で脳裏によみがえる。
 そうだ。やはり人間は誠実さが一番大事なのである。
 窓の外、澄んだ秋晴れの空を見上げて心の中で母さんに胸を張った。今の僕の姿を、天国の母さんが見ていてくれていればいいなと思った。
 そんな時だった、
「あと、第二美術室の幽霊は存在しません」
 僕の横に立っていた蜜木が、唐突にさらりとそう言ったのだ。
 僕と高木先生は「え」と声を漏らして、蜜木を見た。
 存在しない? 何を根拠にそんなことを言うのだろう?
 ……いや、幽霊なんていないのだが。僕は、決して幽霊なんて信じていないのだが。幽霊が存在しないなんて、当たり前の常識なのだが。
 蜜木がきのこアンブレラくんを「会長、ちょっと持ってて」と手渡してきたので、僕はそれを「ん」と小さく頷いて受け取った。
 両手が空いた蜜木は、脇に挟んでいた糸とじのノートを手に取って、それをペラペラとめくり始める。
 そして、あるページを開いて、僕と高木先生に見せてきた。
「今から六十年前。当時の瑠璃村島中学校の生徒会長が書いていた活動日誌です。このページを読んでみてください」
 蜜木が開いたページを指差した。
 僕と高木先生は、揃ってそれを覗き込む。

【五月二十九日 木曜 晴れ
 いよいよ来週は東京への修学旅行だ。
 楽しみではあるが、心配事も多い。
 東京は車社会であると聞いた。我々瑠璃島村中学校の生徒は、車社会とは無縁である。生徒会長として、修学旅行中に生徒が交通事故に遭わないか今からとても不安なのである。
 考えた末、新聞部に協力してもらい、僕の作った創作怪談を校内で噂になっている怪談として記事にしてもらうことにした。
 その名も、『第二美術室の幽霊』だ。
 これで生徒たちは道路横断の際、必ず左右の確認をするようになるだろう。
 演劇部にも協力してもらうことにする。顔に白粉を塗ったおどろおどろしい姿で絵筆と筆洗を持ち、日暮れの頃に校舎の人気ない場所に立っていてもらうのだ。
 目撃した生徒たちは「幽霊が出た」と、口々に騒ぎ出してくれるに違いない。
 そして、幽霊を見たと勘違いした生徒だけでなく、見ていない生徒も必ず道路横断の際には左右の確認をするようになるだろう。
 我ながら素晴らしい思いつきである。

 藤間正一】

 日記の最後に書かれた名前を読んだ瞬間、僕はその名前を指差して声を上げた。
「御じい様!?」
 それは、僕の御じい様の名前であった。
 御じい様は寡黙な人で、あまり多くを語らない人である。中学生の頃にこの学校で生徒会長をしていたことは知っていたが、まさかこんなことをしていたとは。
「第二美術室の幽霊は、会長の御じい様が作った創作怪談。つまり、第二美術室の幽霊なんて最初から存在しないんです」
 あんぐりと口を開けている僕と高木先生に向かって、蜜木が得意げに微笑んだ。