藤間くんは発明部を認めない

高木先生に謝るのは、朝一番がいい。心の負担になってしまうことは、早く終わらせてしまうべきだ。
 翌日の朝。決心を固めた僕は、いつもよりかなり早く登校した。
 高木先生が顧問を務める吹奏楽部には朝練習があった。吹奏楽部の朝練習が終わった頃、音楽室から職員室へ戻る高木先生を呼び止めて、そこで謝るつもりだ。
 だが決心を固めても、怖いものは怖い。登校中、何度ため息をついたかわからない。
 生徒玄関の辺りまで来ると、胃の辺りがキリキリと痛んだ。
 ああ。一体どうなるんだ、僕は。
 ひとまずカバンを置くために教室へ向かう。ぬかるみを歩いているみたいに、足取りは重い。
 まだ眠っているように静かな二年の教室の扉をそっと開けて、僕は目を疑った。まばたき二回分の間、思考停止。
 僕の席に、蜜木が座っていたのだ。
「おはよう。会長」
 夢でも見ているのかと思って、僕はブレザーの袖で目を擦る。
 蜜木はいつも遅刻ギリギリにのんびりと教室にやってくるか、悪びれる様子もなく遅刻してくるかの二択なのだ。こんな時間に蜜木が教室にいるのはおかしい。
「お、はよう」
 挨拶を返しながら、振り返って黒板の上の壁掛け時計を確認する。ホームルームが始まる30分前。……時計、壊れてないだろうな?
「会長、登校するの早いね」
 蜜木がふぁ、と小さくあくびをした。
「それは僕のセリフだ」
 ちらと教室内を見ると、クラスメイトは蜜木以外にまだ三人しか登校していなかった。
 その三人は吹奏楽部の女子生徒である。廊下側の席に集まって、三人で宿題のプリントを見せ合っていた。
 吹奏楽部は普段ならまだ朝練をしている時間なので、僕は高木先生の様子が気にかかった。
 高木先生……大丈夫だろうか。
「あのふたり、仲良かったっけ?」
 三人が少し驚いた様子で囁き合っているのが、かすかに僕の耳に届いた。
 聞こえなかったふりをして、蜜木に尋ねる。
「どうしてこんな時間に学校にいるんだ? いつもはもっと遅く来るだろう」
「早起きした。仲良しの、会長のために」
 蜜木にも女子生徒の囁きが聞こえたのだろうか。蜜木が〝仲良し〟をさりげなく強調して、僕に微笑んだ。
「うわ。朝から顔が良い」
 噛み締めるような、呻くような囁きが横から聞こえた。本当にその通りだ。
「僕のため?」
 まともに目を合わせるとペースが狂ってしまう気がしたので、さりげなく蜜木から目を逸らした。蜜木の顔がいいのは重々承知しているが、顔が良いことを変に意識して目を合わせると、僕のペースが乱れてしまうのである。
 目を逸らした先、蜜木の足元を見ると、折り畳まれた生乾きのきのこアンブレラくんがくったりと寝そべっていた。昨日、第二美術室に放り投げたままにして帰ったはずだが。
「どうしてきこのアンブレラくんがこんなところに?」
 僕の問いに、ふふふ、と含みのある笑みを浮かべる蜜木。
 そんな蜜木の手元には、見慣れぬ古めかしい糸とじのノートがあった。厚紙の表紙には毛筆で『生徒会日誌』と書かれている。
「なんだ、それは」
 かなり年季の入ったそのノートを指差すと、蜜木は「高木先生の恐怖心を消す魔法のノートだよ」と、得意げに答えた。
 意味がわからない。
 なぜかここにあるきのこアンブレラくんと、謎のノート。
 説明を置き去りにしたまま、蜜木がやけに真面目ぶった表情で明後日の方向を見て腕を組んだ。
「あのさ。俺、昨日の夜に布団の中で真面目に考えたんだけどさ。会長は根が正直者だから、昨日のことをこのまま黙っていても、多分ずっと辛いだけだと思うんだよね」
 「だからさ」と、蜜木が僕を見て微笑む。
「今から教務室に行って、高木先生に謝ってこようよ」
 そう言った蜜木の表情は明るくて、口調もまるで遊びに誘うみたいに楽観的なものだった。
「早く謝って、一緒に怒られて、すっきりしよう。俺、会長が元気になってくれるなら、高木先生に怒られるくらいどうってことないよ。まあ、俺は普段から先生に怒られるくらい別に気にしないタイプなんだけど」
「……もしかして、僕と朝一番に高木先生のところへ謝りに行くつもりで、そのために早く登校したのか?」
「そうだよ」
 あっさり頷く蜜木。
 遅刻常習犯の蜜木が、僕のためにこんなに早く登校した?
 昨日の昼休み、高木先生の呼び出しを聞かなかったことにしようとしていた蜜木が、僕のために一緒に謝罪をしようと提案してくれている?
 信じられない。
 それだけじゃない。お互いがそれぞれ考えた末に出した結論が〝朝一で謝る〟だった。示し合わせたわけでもないのに、同じことを考えていたのだ。
 呆気にとられてしまうくらい嬉しかったが、それを認めるのはどうしても照れ臭くて、口を尖らせてみた。
「蜜木は悪くないだろう。悪いのは僕だ。あの時、きのこアンブレラくんを作ろうと言ったのは僕なんだから。僕だけが謝れば済む話だ」
「そんなことないよ。俺と会長が一緒に作った共同発明品なんだから連帯責任だよ。それに会長、すやすやメガネくんのこと、俺と一緒に怒られてくれたじゃん」
 そうだった。
 すやすやメガネくんのことを思い出したら、少し腹が立った。思い出し立腹だ。
 あの時、僕はすやすやメガネくんとは全くの無関係だったのに、理不尽に巻き込まれて高木先生に怒鳴られたのである。
「そうだな。あれに関しては、僕は何ひとつ悪くなかった」
 僕は一瞬で考えを改めて、今回のことは蜜木も一緒に怒られるべきである気がしてきた。
 だが、これでおあいこだ。
「うん。じゃあ行こうか。高木先生に早くネタバラシしてあげないと、かわいそうだし」
「ああ」
 覚悟は決まった。
 自分でも驚くくらい、恐怖心はなかった。むしろ、やってやるぞという気持ちになっている。不思議だ。
 蜜木と揃って教室を出る間際、背後から「え? あの二人、友達なの?」と話す声が聞こえた。
 友達、なんだろうか?
 いや。友達なのだろう。僕と蜜木は、きっともう友達だ。
 けれど、友達のはずなのに、友達だと物足りない気がするのは何故だ。
「今はまだ、ね」
 蜜木が短く呟いた。けれど、引き戸を開ける音にかき消されて、僕はそれをうまく聞き取ることができなかった。


 職員室では、高木先生が力無く机に突っ伏していた。
「二年の藤間秀一です。高木先生、いらっしゃいますか。大事なお話があるのですが」
 僕が入り口で高木先生の名前を呼ぶと、ゆっくりと高木先生が顔を上げた。げっそりとした表情で僕らを見る高木先生は、一日で十歳くらい歳を取ったように見えた。
 高木先生の赤縁メガネは修繕されている。
 昨日の放課後、蜜木は用務員さんに傘を借りに行くついでに、部室にあった瞬間接着剤を高木先生の机の上に置いて帰ったらしい。今さっき、蜜木から聞いた。
「おはようございます。なにかありましたか?」
 僕が〝大事なお話〟と言ったせいか、高木先生は廊下で話すべきだと判断したのかもしれない。普段ヒールをカツカツと鳴らしながら歩いている高木先生とは別人のように弱々しい足取りで、静かに廊下に出てきてくれた。
 僕と蜜木は並んで立ち、お互いの決意を確かめるように目を合わせてから、 
「すみませんでした!」
と、声を揃えて謝罪し、高木先生に頭を下げた。
「……な、何がですか?」