「ねぇ、私が全部代役を務める場合、私は何回あそこに立つことになるの?」
夜風が黒ネコのお面を被ったままクラスメイトの彼女に問いかける。
夜風たちのクラスは、クラス内の立候補者が順番に出し物をする形式だ。話し合いでやりたいことがまとまらなかったが故の苦肉の策だったため、人によって出演時間も回数もかなりの差がある。1時間ほど前に早退した彼は何回出る予定だったのか、文化祭準備に殆ど関わっていない夜風は全く知らなかった。
「田代くん張り切ってたからなぁ。3回……だったはず。今日は午後にあと1回。よろしくね」
今日は、という言葉に、夜風の頬がひくっと引き攣る。文化祭1日目の今日は校内発表、明日は一般公開だ。嫌な予感がする、とでも言いたげに、夜風が自分の腕をさすった。
「えーと、明日も彼が戻らなければ更に4回追加。……ごめんね奇二ちゃん」
「マジかぁ。……私以外の代役は?」
「カードマジックを人前でできるほどやり込んでる人間がクラスに何人居るよ?」
2人の会話に入ってきた晴が呆れたように呟く。
「2人でも多い方だと……?」
「まぁ、な。マジック用トランプ持っている人なんてそう多くないだろ」
夜風は居心地悪そうに、私物のマジック用トランプをいじくり回している。
「マジック用……?」
「普通のに比べて薄くて柔くて、滑りが良いんだよね」
クラスメイトの彼女が首を傾げたのを見て、夜風がそう言いながら右手を彼女の前に差し出す。
ぱっとハートのエースが夜風の右手に現れて、クラスメイトの彼女は息を呑んだ。
「流石」
彼女がそう言って笑うと、夜風も得意気に笑った。
「あーおーいー!」
無遠慮な大声が聞こえて、晴はそちらに顔を向けた。5人程のグループが、教室の入り口の幅いっぱいに押し寄せている。晴の昨年のクラスメイト達であった。
晴はさりげなく彼らを廊下に押しやって「お化け屋敷行ってきたんじゃないの?」と尋ねた。ほんの15分前にお化け屋敷に行ってくると大騒ぎしていた気がする。
「行ってきたよ! 聞いてよ葵、コイツがもう本当に怯えててマジ面白くて」
「その話は良いだろー、それよりもホラ、葵のクラスのネコのお面被ったマジシャン。あれ誰なんだよ? みんな言ってるぞ、話も見せ方も上手いって。女子? 可愛い子か?」
幼馴染をわざわざ遠慮というものを知らない彼らに紹介するのも気が引けて、クラスメイトと最低限言うに留めておく。
「そりゃクラスの出し物なんだからクラスメイトだろうよ。誰なんだ、俺たち知ってる人か?」
「たぶん知らない人だし……エンターテイメントとしては知らない方が面白いと思うけどな」
晴がぼそりと呟くと、数秒の間の後、彼らが一斉に吹き出した。
「エンターテイメントって、大袈裟すぎるだろ、あはは! たかだか文化祭だぞ、高校の! しかもクラス発表! それなのに…はは、やっぱり葵面白いな、お前」
彼らの大きな笑い声が、晴の胸をぐさりと刺した。
「……知りたいの? 黒ネコが誰か」
「え、教えてくれんの?」
彼らの期待に満ちた眼差しが迫ってくる。それは何だか、晴には嫌味なほど眩しかった。
「黒ネコって、これのことですか?」
にゅっと細い指が晴と彼らの間に伸びてきて、晴は目を瞬かせた。夜風がエンターテイナーに変貌する、あのお面。それを、他でもない夜風が手にぶら下げて目の前に立っている。
「……夜風」
「そうそう、それ! その黒ネコのお面被った人、誰なのかなって話になっててさ。何か知らない? 誰なの?」
ハイテンションに話し続ける彼らを、彼女はどこか冷めた目で見据えている。それに彼らが気付く前に、夜風はふっと純粋そうな顔を作って、首を傾げた。
「黒ネコが誰か? どういうことです? 黒ネコは、黒ネコですよ。他の誰でもない」
黒ネコのお面を被った人は、黒ネコ。他の誰でもない。
絵に描いたように幼稚な回答に、彼らは呆気に取られたようだった。
「……ふぅん、そっか。じゃあ、黒ネコの中身分かったら教えてよ。葵、じゃあ俺たちそろそろ行くわ」
「…うん、じゃあね」
彼らが嵐のように去っていくと、夜風に彼女らしい大人びた表情が戻ってきた。
「ちょっと巫山戯すぎたかな?」
「いや、良いんじゃないか」
ふふっと楽しそうに笑う夜風を見て、コイツ将来詐欺師になったりしないよな、なんて晴は少し心配になる。でも、夜風は金銭よりもトランプにご執心だから、要らぬ心配であろう。
「マジックだって似たようなものでしょ? 私は皆に楽しい甘い夢を見せてあげる。向こうも騙されるのを承知で楽しんでる」
虚構と誇張はエンターテイメントの基本だよ、なんて一丁前に言う夜風に、晴は少し呆れたように笑った。
「なぁ、夜風」
「ん?」
「夜風は、なんでマジック始めたの?」
「……人がマジックを見るとさ、まず驚くでしょう? で、その後すごく楽しそうに笑うの。あの顔を見るのが好き」
夜風がまるで遠くにある舞台を眺めるように、どこか恍惚とした表情になる。
「…やっぱり、夜風はエンターテイナー向いてるよ」
晴がそう呟くと、夜風は嬉しそうに顔を輝かせた。
夜風が黒ネコのお面を被ったままクラスメイトの彼女に問いかける。
夜風たちのクラスは、クラス内の立候補者が順番に出し物をする形式だ。話し合いでやりたいことがまとまらなかったが故の苦肉の策だったため、人によって出演時間も回数もかなりの差がある。1時間ほど前に早退した彼は何回出る予定だったのか、文化祭準備に殆ど関わっていない夜風は全く知らなかった。
「田代くん張り切ってたからなぁ。3回……だったはず。今日は午後にあと1回。よろしくね」
今日は、という言葉に、夜風の頬がひくっと引き攣る。文化祭1日目の今日は校内発表、明日は一般公開だ。嫌な予感がする、とでも言いたげに、夜風が自分の腕をさすった。
「えーと、明日も彼が戻らなければ更に4回追加。……ごめんね奇二ちゃん」
「マジかぁ。……私以外の代役は?」
「カードマジックを人前でできるほどやり込んでる人間がクラスに何人居るよ?」
2人の会話に入ってきた晴が呆れたように呟く。
「2人でも多い方だと……?」
「まぁ、な。マジック用トランプ持っている人なんてそう多くないだろ」
夜風は居心地悪そうに、私物のマジック用トランプをいじくり回している。
「マジック用……?」
「普通のに比べて薄くて柔くて、滑りが良いんだよね」
クラスメイトの彼女が首を傾げたのを見て、夜風がそう言いながら右手を彼女の前に差し出す。
ぱっとハートのエースが夜風の右手に現れて、クラスメイトの彼女は息を呑んだ。
「流石」
彼女がそう言って笑うと、夜風も得意気に笑った。
「あーおーいー!」
無遠慮な大声が聞こえて、晴はそちらに顔を向けた。5人程のグループが、教室の入り口の幅いっぱいに押し寄せている。晴の昨年のクラスメイト達であった。
晴はさりげなく彼らを廊下に押しやって「お化け屋敷行ってきたんじゃないの?」と尋ねた。ほんの15分前にお化け屋敷に行ってくると大騒ぎしていた気がする。
「行ってきたよ! 聞いてよ葵、コイツがもう本当に怯えててマジ面白くて」
「その話は良いだろー、それよりもホラ、葵のクラスのネコのお面被ったマジシャン。あれ誰なんだよ? みんな言ってるぞ、話も見せ方も上手いって。女子? 可愛い子か?」
幼馴染をわざわざ遠慮というものを知らない彼らに紹介するのも気が引けて、クラスメイトと最低限言うに留めておく。
「そりゃクラスの出し物なんだからクラスメイトだろうよ。誰なんだ、俺たち知ってる人か?」
「たぶん知らない人だし……エンターテイメントとしては知らない方が面白いと思うけどな」
晴がぼそりと呟くと、数秒の間の後、彼らが一斉に吹き出した。
「エンターテイメントって、大袈裟すぎるだろ、あはは! たかだか文化祭だぞ、高校の! しかもクラス発表! それなのに…はは、やっぱり葵面白いな、お前」
彼らの大きな笑い声が、晴の胸をぐさりと刺した。
「……知りたいの? 黒ネコが誰か」
「え、教えてくれんの?」
彼らの期待に満ちた眼差しが迫ってくる。それは何だか、晴には嫌味なほど眩しかった。
「黒ネコって、これのことですか?」
にゅっと細い指が晴と彼らの間に伸びてきて、晴は目を瞬かせた。夜風がエンターテイナーに変貌する、あのお面。それを、他でもない夜風が手にぶら下げて目の前に立っている。
「……夜風」
「そうそう、それ! その黒ネコのお面被った人、誰なのかなって話になっててさ。何か知らない? 誰なの?」
ハイテンションに話し続ける彼らを、彼女はどこか冷めた目で見据えている。それに彼らが気付く前に、夜風はふっと純粋そうな顔を作って、首を傾げた。
「黒ネコが誰か? どういうことです? 黒ネコは、黒ネコですよ。他の誰でもない」
黒ネコのお面を被った人は、黒ネコ。他の誰でもない。
絵に描いたように幼稚な回答に、彼らは呆気に取られたようだった。
「……ふぅん、そっか。じゃあ、黒ネコの中身分かったら教えてよ。葵、じゃあ俺たちそろそろ行くわ」
「…うん、じゃあね」
彼らが嵐のように去っていくと、夜風に彼女らしい大人びた表情が戻ってきた。
「ちょっと巫山戯すぎたかな?」
「いや、良いんじゃないか」
ふふっと楽しそうに笑う夜風を見て、コイツ将来詐欺師になったりしないよな、なんて晴は少し心配になる。でも、夜風は金銭よりもトランプにご執心だから、要らぬ心配であろう。
「マジックだって似たようなものでしょ? 私は皆に楽しい甘い夢を見せてあげる。向こうも騙されるのを承知で楽しんでる」
虚構と誇張はエンターテイメントの基本だよ、なんて一丁前に言う夜風に、晴は少し呆れたように笑った。
「なぁ、夜風」
「ん?」
「夜風は、なんでマジック始めたの?」
「……人がマジックを見るとさ、まず驚くでしょう? で、その後すごく楽しそうに笑うの。あの顔を見るのが好き」
夜風がまるで遠くにある舞台を眺めるように、どこか恍惚とした表情になる。
「…やっぱり、夜風はエンターテイナー向いてるよ」
晴がそう呟くと、夜風は嬉しそうに顔を輝かせた。



