『矛盾方程式』――それは、私たちの志であり、叫びの歌。
※
四月
[八日]
新たな出会い、門出を迎えるこの季節。人々は清らかな春風に、何かを望む。
『蝦夷島学園高等部』にも、そんな季節がやってきた――と言いたいけど。
「はぁ……」
何かの青春群像劇のような、綺麗な春が訪れているのを実感できる人は、実際のところかなり少ないと思うのだ、僕は。
――「あの頃は、良かったよなぁ」
人生の春、青春――大人にとっての憧れ。
しかし多くの場合、肝心な学生時代にそれを感じることはない。
現実は青春どうこうよりも、学年が上がるだけ勉強は難しくなり、高望み過ぎる目標に挫折していく、というものだ。
僕、咲苗《さなえ》 零《れい》は、そんな未来が自分ごとにならないように、「人一倍」と思えるくらいの努力を続けている。
――春休み明け、初日。
「これは……まだ咲かないかな」
クリーニングに出してパリッとした制服を身に纏い、冷えた春風に時折ぶるっと震えながら、学校へ。
排気ガス色の雪が残る札幌は肌寒く、桜はまだ蕾。
「あ。そういえば、下駄箱の場所変わったんだった」
学校に着く。「キュッキュッ」と、ワックスが塗り直された床を踏み締める。
教室は四階から三階に変わり、教室移動が幾分か楽になった。
「妙に嬉しいんだよな、これが」
「新しい」と言っても、テレビの配置くらいしか変化のない教室に入る。
そして、去年と変わらないクラスメートをざっと見渡す。
「春休み、ほんと短過ぎ」
「明日って、休み明けテストだっけ? 今から焦っても仕方ないし、もう諦めよっかなぁ」
今日は初日で授業はないからか、みんな肩の荷を下ろして話し合っている。
話題は春休みの思い出が二割、学校に対する暴言が八割、と言ったところ。
僕は座席表を確認して、席に着く。
「時間もったいないし、本でも読もうかな」
鞄から本を取り出そうとした、その時。
「よう、咲苗。元気ないな。まぁ、内心、みんなそうだろうがな」
「おはよう。そうだろうね。春休みは、楽しく過ごせた?」
「あいつら《友達》と暫しの旅行に行ってさ、そこそこ楽しめたぞ」
「『友達』……か。楽しめて、良かったね」
崎島《さきしま》 翔太《しょうた》は、男子の一軍に属する人気者。
「『一軍』=他を見下す」――僕の勝手なイメージ。
そんな偏見を、彼のおかげで払拭できた。感謝してるし、良い人だとは思う。
「ところで、知ってるか? 転校生、来るらしいな」
「へぇ、そうなんだ」
出会いが大切な青春真っ只中に転校っていうのも、大変そう。あくまで、他人事だけど。
「お前、興味なさげだな。一人、うちのクラスに女子が増えるんだってさ」
「へぇ……。でも、ここの転入試験に受かるくらいなら、その人賢いんだろうね」
「あぁ、そうらしいぞ。でもな、源田によればただの転校生じゃないらしい」
源田《げんだ》 剛《つよし》。一軍リーダー。女子好きで趣味の悪い男子。
人気者だが、彼が言う下ネタは真面目に気持ち悪いと思う。正直、「クラスの天皇」と茶化される僕が関わりたくない人物の筆頭候補だ。
因みに崎島は、彼と仲が良い。だから正直、僕は崎島には完全に心を開けてはいない。
「そうなんだ」
「うちよりも偏差値高い、東京の学校から来るらしい」
「東京か……。ここよりも偏差値高いって、相当だね」
しかしそれを言う崎島の表情は、若干悩ましげだった。
「俺の勝手なイメージになるが、東京生まれでプロポーション高いっていうのも、なんだか『孤高のお姫様』みたいな雰囲気、纏ってそうだよな」
「いやいや、何その先入観。あまり決めつけるのは、良くないと思うけど――」
――しかし。
例の転校生は、崎島のイメージ通りだった。手始めに、自己紹介から。
「それじゃあ、元宮さん。自己紹介から――」
「元宮《もとみや》 花梨《かりん》です。よろしくお願いします」
笑顔一つ見せずにテンプレートだけ言うと、先生が何か言う前に自ら空席を見つけ出し、席に着いた。
長く整った黒髪。鋭い眼差しに新雪の如く白い肌。彼女は東京出身らしいが、正に「北国の女王」さながらの風格。
クラスの空気を、一瞬で彼女色に変えた。
朝のホームルームが終わると、源田はさっそく彼女のもとへ向かう。
一体、どこから転校生が来る情報を仕入れたのか、いつにも増してその容姿は整っていた。
「やぁ、初めまして。俺、源田 剛。まぁ、『剛くん』って呼んでくれればそれで――」
他の男子たちも早々、元宮さんの容姿に惹きつけられたのか、鋭い横目で源田を睨みつける。
源田は、学力については良くない。だが、見た目はかなりのイケメン。
野球部で球技を得意とし、体育の授業でも活躍中――と言うより、一軍は彼を含めて「出しゃばってる」と表現した方が正しいと思う。
しかし、やはりイケメン揃いなので、女子人気は高め。外見って大切だけど、やっぱり残酷だ。
「元宮さん、どうするんだろう……」
僕も陰ながら、その様子を窺っていた。別に、他意はない。
ただ、一軍メンバーは先生からの呼び出しを頻繁に喰らっており、正直転校生の彼女が心配だったから。
まぁ、心配に思ったところで何もできないから、僕の気遣いなんて無意味なんだけど――。
「本、読んでるの。話しかけないでくれる?」
「……ごくり」
源田の唾を飲む音が、ここからでも聞こえた。いや、その場の雰囲気からくる、ただの空耳だろうか。
すると、源田はあり得ない行動に出た。なんと、彼女の本を引ったくったのだ。
「話しかけてくれるなら、目を見て話して欲しいんだけどな」
源田の強引な態度に、惹かれる女子は多い。でも、転校生に対してこれはない。
僕にとっては、この上なく不快だった。
「きっ……」
思わず立ち上がりそうになった、その時。
「その本、捨てておいて。汚れた手で触れられた本なんて、私、二度と触りたくないから」
教室一体が凍りつく。僕を含めて。
「…………は」
源田は一瞬呆ける。僕は彼を警戒し続けていたが、その必要はなさそうだ。
ふらつきながら、背中を丸めて引き返していく。
「これは……辛いだろうな」
と、憐れむのはあくまで建前。それにしても――。
「五線譜……?」
元宮さんが次に取り出した本の表紙には、五線譜が記されていた。
音楽にでも、造詣があるのだろうか。
当然ながら、彼女に話しかける人は源田を最後に現れなかった。
――昼食時。
彼女はおにぎり二つを食べ終えると、再び本の続きを読み始めた。妙にその本が気になる。
彼女に目線を向けていた、その時。
「あっ……」
最悪だ……本当に最悪。
元宮さんと視線がぶつかった。
「変態」って、思われただろうな。
でも、今は正直それどころではない。
新年度最初の関門、学級委員決めがあるからだ。
「委員決め」――それは、クラスによって重みが異なる。
「俺やります」って、積極的に引き受けてくれる人がいれば、万事解決と言える。
しかし候補者が募らなければ、推薦ということになる。このクラスが後者になるのは想像の範疇だった。だって――。
「咲苗くんが、良いと思います」
そう……。去年も、この流れだったから。
我ながら僕は学力優秀な上、球技は超絶苦手だが、走るのだけは速い。そして、相手を選ばずに平等に接している。
自分でこれを言うのは気が引けるが、以上のことから僕は、このクラスのいわゆる〝頼れる人物〟になっていた。
「はぁ……」
そして、何より僕が要求に対して断るような人物ではない、と思われているのだろう……実際、そうなんだよな。
もう少し、芯の通った強い人になれたら良いのに。
「あら、咲苗くん。二年連続で推薦されましたが、よろしいでしょうか?」
二年連続、担任になった花平先生は優しい笑みを浮かべながら、形式ばった口調で尋ねてくる。
しかしその表情には「早く決め終えたい」という息苦しさも垣間見えた。
去年は全く決まらなくて、僕が折れるまでは推薦された者同士の言い争いが続いたから。
「お願い。誰か……引き受けてくれませんか?」
花平先生は、真面目で優しい新任教師。
強く当たる人ではないから、それを前にどこか辛そうにしていたっけ――まぁどちらにしろ、断れないし。
「はい、分かりました。頑張りたいと思います。よろしくお願いします」
明るく元気に応える。選ばれたからには、しっかりやる。それが、僕のスタイル。
「今年も、自分で自分を誇れる仕事をしていきたい」
密かに、何かのお手本のような目標を掲げる自分がいた。
※
四月
[八日]
新たな出会い、門出を迎えるこの季節。人々は清らかな春風に、何かを望む。
『蝦夷島学園高等部』にも、そんな季節がやってきた――と言いたいけど。
「はぁ……」
何かの青春群像劇のような、綺麗な春が訪れているのを実感できる人は、実際のところかなり少ないと思うのだ、僕は。
――「あの頃は、良かったよなぁ」
人生の春、青春――大人にとっての憧れ。
しかし多くの場合、肝心な学生時代にそれを感じることはない。
現実は青春どうこうよりも、学年が上がるだけ勉強は難しくなり、高望み過ぎる目標に挫折していく、というものだ。
僕、咲苗《さなえ》 零《れい》は、そんな未来が自分ごとにならないように、「人一倍」と思えるくらいの努力を続けている。
――春休み明け、初日。
「これは……まだ咲かないかな」
クリーニングに出してパリッとした制服を身に纏い、冷えた春風に時折ぶるっと震えながら、学校へ。
排気ガス色の雪が残る札幌は肌寒く、桜はまだ蕾。
「あ。そういえば、下駄箱の場所変わったんだった」
学校に着く。「キュッキュッ」と、ワックスが塗り直された床を踏み締める。
教室は四階から三階に変わり、教室移動が幾分か楽になった。
「妙に嬉しいんだよな、これが」
「新しい」と言っても、テレビの配置くらいしか変化のない教室に入る。
そして、去年と変わらないクラスメートをざっと見渡す。
「春休み、ほんと短過ぎ」
「明日って、休み明けテストだっけ? 今から焦っても仕方ないし、もう諦めよっかなぁ」
今日は初日で授業はないからか、みんな肩の荷を下ろして話し合っている。
話題は春休みの思い出が二割、学校に対する暴言が八割、と言ったところ。
僕は座席表を確認して、席に着く。
「時間もったいないし、本でも読もうかな」
鞄から本を取り出そうとした、その時。
「よう、咲苗。元気ないな。まぁ、内心、みんなそうだろうがな」
「おはよう。そうだろうね。春休みは、楽しく過ごせた?」
「あいつら《友達》と暫しの旅行に行ってさ、そこそこ楽しめたぞ」
「『友達』……か。楽しめて、良かったね」
崎島《さきしま》 翔太《しょうた》は、男子の一軍に属する人気者。
「『一軍』=他を見下す」――僕の勝手なイメージ。
そんな偏見を、彼のおかげで払拭できた。感謝してるし、良い人だとは思う。
「ところで、知ってるか? 転校生、来るらしいな」
「へぇ、そうなんだ」
出会いが大切な青春真っ只中に転校っていうのも、大変そう。あくまで、他人事だけど。
「お前、興味なさげだな。一人、うちのクラスに女子が増えるんだってさ」
「へぇ……。でも、ここの転入試験に受かるくらいなら、その人賢いんだろうね」
「あぁ、そうらしいぞ。でもな、源田によればただの転校生じゃないらしい」
源田《げんだ》 剛《つよし》。一軍リーダー。女子好きで趣味の悪い男子。
人気者だが、彼が言う下ネタは真面目に気持ち悪いと思う。正直、「クラスの天皇」と茶化される僕が関わりたくない人物の筆頭候補だ。
因みに崎島は、彼と仲が良い。だから正直、僕は崎島には完全に心を開けてはいない。
「そうなんだ」
「うちよりも偏差値高い、東京の学校から来るらしい」
「東京か……。ここよりも偏差値高いって、相当だね」
しかしそれを言う崎島の表情は、若干悩ましげだった。
「俺の勝手なイメージになるが、東京生まれでプロポーション高いっていうのも、なんだか『孤高のお姫様』みたいな雰囲気、纏ってそうだよな」
「いやいや、何その先入観。あまり決めつけるのは、良くないと思うけど――」
――しかし。
例の転校生は、崎島のイメージ通りだった。手始めに、自己紹介から。
「それじゃあ、元宮さん。自己紹介から――」
「元宮《もとみや》 花梨《かりん》です。よろしくお願いします」
笑顔一つ見せずにテンプレートだけ言うと、先生が何か言う前に自ら空席を見つけ出し、席に着いた。
長く整った黒髪。鋭い眼差しに新雪の如く白い肌。彼女は東京出身らしいが、正に「北国の女王」さながらの風格。
クラスの空気を、一瞬で彼女色に変えた。
朝のホームルームが終わると、源田はさっそく彼女のもとへ向かう。
一体、どこから転校生が来る情報を仕入れたのか、いつにも増してその容姿は整っていた。
「やぁ、初めまして。俺、源田 剛。まぁ、『剛くん』って呼んでくれればそれで――」
他の男子たちも早々、元宮さんの容姿に惹きつけられたのか、鋭い横目で源田を睨みつける。
源田は、学力については良くない。だが、見た目はかなりのイケメン。
野球部で球技を得意とし、体育の授業でも活躍中――と言うより、一軍は彼を含めて「出しゃばってる」と表現した方が正しいと思う。
しかし、やはりイケメン揃いなので、女子人気は高め。外見って大切だけど、やっぱり残酷だ。
「元宮さん、どうするんだろう……」
僕も陰ながら、その様子を窺っていた。別に、他意はない。
ただ、一軍メンバーは先生からの呼び出しを頻繁に喰らっており、正直転校生の彼女が心配だったから。
まぁ、心配に思ったところで何もできないから、僕の気遣いなんて無意味なんだけど――。
「本、読んでるの。話しかけないでくれる?」
「……ごくり」
源田の唾を飲む音が、ここからでも聞こえた。いや、その場の雰囲気からくる、ただの空耳だろうか。
すると、源田はあり得ない行動に出た。なんと、彼女の本を引ったくったのだ。
「話しかけてくれるなら、目を見て話して欲しいんだけどな」
源田の強引な態度に、惹かれる女子は多い。でも、転校生に対してこれはない。
僕にとっては、この上なく不快だった。
「きっ……」
思わず立ち上がりそうになった、その時。
「その本、捨てておいて。汚れた手で触れられた本なんて、私、二度と触りたくないから」
教室一体が凍りつく。僕を含めて。
「…………は」
源田は一瞬呆ける。僕は彼を警戒し続けていたが、その必要はなさそうだ。
ふらつきながら、背中を丸めて引き返していく。
「これは……辛いだろうな」
と、憐れむのはあくまで建前。それにしても――。
「五線譜……?」
元宮さんが次に取り出した本の表紙には、五線譜が記されていた。
音楽にでも、造詣があるのだろうか。
当然ながら、彼女に話しかける人は源田を最後に現れなかった。
――昼食時。
彼女はおにぎり二つを食べ終えると、再び本の続きを読み始めた。妙にその本が気になる。
彼女に目線を向けていた、その時。
「あっ……」
最悪だ……本当に最悪。
元宮さんと視線がぶつかった。
「変態」って、思われただろうな。
でも、今は正直それどころではない。
新年度最初の関門、学級委員決めがあるからだ。
「委員決め」――それは、クラスによって重みが異なる。
「俺やります」って、積極的に引き受けてくれる人がいれば、万事解決と言える。
しかし候補者が募らなければ、推薦ということになる。このクラスが後者になるのは想像の範疇だった。だって――。
「咲苗くんが、良いと思います」
そう……。去年も、この流れだったから。
我ながら僕は学力優秀な上、球技は超絶苦手だが、走るのだけは速い。そして、相手を選ばずに平等に接している。
自分でこれを言うのは気が引けるが、以上のことから僕は、このクラスのいわゆる〝頼れる人物〟になっていた。
「はぁ……」
そして、何より僕が要求に対して断るような人物ではない、と思われているのだろう……実際、そうなんだよな。
もう少し、芯の通った強い人になれたら良いのに。
「あら、咲苗くん。二年連続で推薦されましたが、よろしいでしょうか?」
二年連続、担任になった花平先生は優しい笑みを浮かべながら、形式ばった口調で尋ねてくる。
しかしその表情には「早く決め終えたい」という息苦しさも垣間見えた。
去年は全く決まらなくて、僕が折れるまでは推薦された者同士の言い争いが続いたから。
「お願い。誰か……引き受けてくれませんか?」
花平先生は、真面目で優しい新任教師。
強く当たる人ではないから、それを前にどこか辛そうにしていたっけ――まぁどちらにしろ、断れないし。
「はい、分かりました。頑張りたいと思います。よろしくお願いします」
明るく元気に応える。選ばれたからには、しっかりやる。それが、僕のスタイル。
「今年も、自分で自分を誇れる仕事をしていきたい」
密かに、何かのお手本のような目標を掲げる自分がいた。
