君と偽りのない自分でいたい。〜もう後悔しないように〜

帰ってきた時生きた心地がしなかった。足がグラグラと震えて、全身に筋肉が縮まってる。
何故だろう。でも体が重くて勝手にベットに転がり込んでた。まだ着替えもしてないし、お風呂にも入ってない。
でもぼぉっと机を眺めてるうちに――

――――

 瞼がまだ重い。連日で寝るのが遅かった。それに眠りが浅かった気がする。

「んん……」

布団の外が寒くて、出たくない。でも毎日時間は余ってない。
すぐに準備を整え家を出て早歩きで駅に向かう。本能的に一本早い電車に乗った。
無意識に何分か電車に揺られてぼぉっとした。それに気づいて急いで単語帳を開いて昨日の確認をしていた。

「おはよう」

「うす」

席について教科書を開いてた。
朝練の運動部員がゾロゾロ登校して来た。その中に卓也もいる。

「昨日の理解とかむずくなかった?」

荷物を置いて真っ先にこちらにやって来た。

「本当だよ。ちょっとややこしかった」

「全然ちょっとじゃなーい。()()()だ」

卓也が冗談で額をペンで突い来る。

「いたいなー」

ちょっと拗ねて見せた。

「かなりね、かなりー」

 昨日は期末テストという名のビッグイベントがあった。昨日のためにいくらの時間を費やしたことか。
いつ返されるかは分からない。でも全力を出し切ったはずなのに怖い。思い出すと息が詰まりそうだ。肩にも力が入る。そして勝手に脳が最悪の情景を創り出す。
成績は低い訳じゃない。むしろ全体から見たらかなり高いと思う。でもそれでも毎回毎回評価がつくものには人一倍に恐怖を覚えてる。今日の返される予定の理科の課題も恐ろしい。

「棚橋、評価なんだった」

三限目。息を整えてプリントの評価欄に目を向けた。

「……うん、」

とりあえず一安心。

「まぁまぁかな……」

「そんなことないじゃん。どうやったらそんな点数取れんだよ」

「ここに考察を入れてみた。あとは前に習ったことまで関連付けられるからそれも書いた」

「なるほどねー、さすがじゃん」

「成績交換しようよぉ。オレ今回やばくて半分頂戴」

「やーだよ。僕も頑張ってるんだから」

 今日は掃除の最後の最後までスローモーションのような時間だった。いつもよりどっと疲れた。重力が倍になってるんじゃないかというほど体が重くて今すぐにベットに横になりたい。脳もどこか働いてない。でも足は自然と美術室へ向かう。
 やっと解放された。

「おつかれー」

「お疲れ様……」

部室にはもう何人か集まっていた。
適当な席に荷物を下ろして一息つこうと椅子に深く腰掛ける。何気なく景色を眺めた。
窓際に近い席で風が気持ち良い。
 勝手に瞼が垂れた。
まずい、でも眠い――

――――

 心地良い。でも何か当たった。
頭が揺れて何かが耳に届く。

「――、奏――、奏斗君」

今度ははっきり「奏斗君」と聞こえた。
慌てて目を開けて辺りを見回した。
そうだ、ここは美術室だ。こんなところで怠けてしまった。

「おはよう、奏斗君ってまつ毛長いね」

起こしてくれたのは隣に座ってた笑真だった。寝起きで眩しく見える。というか彼女以外いない。
窓から見えた景色はもう真っ暗。

「あれなんで、こんな……」

寝てたのは一瞬のはずなのに。

「もう、終わっちゃう時間」

その一言で理解した。

「嘘、そんな寝てたのか……」

サボるなんて情けない。何やってるんだろう、学校で爆睡なんて。自然とため息が出る。
笑真はその姿を見てクスクス笑ってた。

「大丈夫だよ。お疲れ様。皆『奏斗君が珍しい』って言ってた」

「そう……」

呆れられてないのなら良かった。

「というか、ごめん。待たせちゃって。迷惑だった」

そう言って慌てて立とうとするが上手く足に力が入らなくて、すとんと椅子に腰が戻った。

「そんなことないよ。ゆっくりしてて」

笑真はにっこり微笑んでた。その喋り方がゆったりしててどこか気を遣わせた気がした。
部屋はすっかり静まり返ってて二人だけ、文化祭の準備の時も同じだったがその時と違って今は彼女が隣にいる。気まずいはずなのにまだ頭がぼぉっとしてた。息も浅い。

「奏斗君大丈夫?」

隣を振り向くと彼女が真剣にこちらを覗き込んでた。

「目がちょっと赤い……」

手で目を軽く抑えた。視界が軽くぼやけてた。
息が吸えてない気がして一回上を向いて深く鼻で吸い込んだ。でも吸えてない。息が漏れ出してしまう。

苦しい、

そう思った時に目が熱くなった。

「えっ?」

自分でも訳が分かんない。
熱は体に広がっていった。目もどんどんぼやける。

「奏斗君……」

そっと手が握られた。包まれるような感覚。不思議と自分の手の方が体温が高いはずなのに笑真に触れられてるところが一番温かい。

「強がらなくてもいいんだよ? 赤ちゃんみたいに泣いても」

「え?」

その言葉を聞いて初めて頬に伝った物が自分の涙だと気づいた。どうしたんだろう。急に溢れて来るなんて。何も悲しいことなかったのに。
でも一滴じゃ収まらなかった。自分の手で拭ってもまだ溢れて来る。どんどん顔が熱くなってった。
隣にいた彼女はただ見守ってた。少し心配そうな顔をしてたけど目が合うと「大丈夫だよ」と微笑んでる。距離は近いし手も握られてた。でも自然と恥ずかしくない。

「奏斗君、一回外出れる? もう少しで出ないと」

数分経って涙が収まった頃。笑真は人の荷物分まで待って連れ添ってくれた。何もできなかった。ただ手で目を押さえて鼻をすすって前に進むことしか。

玄関口まで行くと一人人影が仁王立ちしてた。

「おい、奏斗。今日一緒に帰るって約束したじゃんか。何、人を――」

目があった瞬間、彼の驚く顔が見えた。きっと真っ赤な目元で子供みたいな顔が彼の瞳に映ったんだろう。

「どうした? 泣いてんの?」

「疲れた、みたいな……」

笑真がそう軽く状況説明すると、教科書が何冊か入ったリュックを代わりに卓也が持ってくれた。それから腕を引いて校門前のベンチまで引っ張ってもらった。
ベンチに腰掛けてから軽く卓也が背中に手を回した。

「奏斗君。辛い?」

「なんかあったん? 言ってみ?」

そう言われても悲しい訳でもないし。
口を開こうとしたけど声が出なかった。喉で詰まる。

「わか、……な、い……」

もがいて声を絞り出した。
その時卓也に背中を叩かれた。

「お前さ、自覚あるだろ。疲れだ。俺の約束は覚えてないし、期末もあったし」

今日一日を振り返った。特にいつもと変わらない一日だと思う。強いて言えば卓也の言う通り期末試験のことだけ。
でもなんで。今までも何回も受けてきたはずなのに。

「……」

「自分の気持ちには正直になれよ」

なんか、ちょっと胸の奥が苦しい。重石が積まれてってるみたいに。
息をしてるのに辛い。肺の動きが止まってしまったのだろうか。

「勉強そんなに追い込んだ?」

近そうで違う。

「部活やだった?」

「うぅん……」

わずかに首を振った。

「なんて言ったら、いいんだろぅ」

言葉を探した。
少し迷ってると笑真の手が優しく重なった。

「ゆっくりでいいよ」

やっぱり思い浮かんだのはテスト。
 だけど、それだけじゃない……

「評、価……」

もう一度声帯を動かそうとする。

「評価が、気になって……」

自分のズボンを見下ろした。自然と手に力が入っててシワができてる。

「ずっと。いい評価、取らなきゃいけない気がして……取れなきゃ白い目で見られるような感覚があって……」

ある人の顔が浮かんだ。親と教師の顔だった。

「『できるよ』とか進路のこととか……やっても、やっても終わらなくて」

声が少し揺れた。
また目が熱くなった。
それに気づいたのか笑真が距離を詰めた。

「テストだけでも、時間が惜しいくらいに必要で、その上良い評価ばっか取って……」

 何だか声に出すと違和感があった。高い成績をとってるのに苦しいだなんて。

「でも、」

感情じゃなくて理性が抵抗した。

「これって贅沢なことだよね……」

「だって成績取れてるんだからそれに越したことはないのに。努力しても評価取れないことの方がきっと嫌だと思う……」

もし、さっきの涙の要因がこれなのだったら「悩むことなんて何もない」そう思う。

そう言い切ったら何故か本当にそれでしっくり来てしまった。
息苦しい。重い。疲れた。辛い。

「奏斗君……」

左隣を見た。笑真の悲しそうな顔がこちらをじっと見つめてた。

「苦しいは苦しいだよ。成績がいいから文句が言えないなんてないよ。嫌だって言って良いんだよ」

握られた左手が熱くなった。

「ちょっと、辛かった……」

そう言い切ったら何故か本当にそれでしっくり来てしまった。
息苦しい。重い。疲れた。辛い。
また涙腺が緩んだ。
でも今度は理由があった。

「そうだよ素直になっていいんだよ。我慢して泣かないとか、一人になっちゃうとか、沢山無理して縮こまっちゃうとか」

「棚橋はなんか、頼るとか苦手そうだけど」

また、軽く背中を叩かれた。

「でも、今ちょっと楽になったんだったらまた話そう。いつでも口頭でもメールでも、思った時に」

笑真のその微笑みが心地よかった。見ててどこか軽くなるような優しい雰囲気を纏ってる。

「ありがと……」

少し息が楽になった。涙は完全き落ち着いてはないが目元はもう熱くない。
 どこか温かかった。夜は冷え込むはずなのにどこか温もりがある。

「そんな、浸るなよ彼氏」

「え?」

卓也が横にいるのを思い出した。一瞬ぼんやりしていた。

「まぁ、それで気が楽ないいけど」

「えっ、あぁ。ごめん」

慌てて笑真の手を離した。
少し照れたが彼女はあまり気にしてもいない様子。

「ううん。大丈夫だよ。それより帰る?」

「そうだね……」

そう言って卓也が持っててくれた荷物を背負い、歩き出した。
もう下校する生徒は三人だった。ずっと時間を気にしてなかったが下校時間からは十分程度が過ぎてしまってた。

「なんか、さっき色々溢れてた……」

数歩先の道を眺めながらさっきのことが脳で再生されてた。見せようと思ってない涙も話そうと思ってなかった本音も溢れだしてしまった。少し冷静になってみれば恥ずかしい。

「赤ちゃんみたいに泣いていいなんて言ったけど、奏斗君は赤ちゃんじゃないよ? むしろ、嫌だったこととかもっと言っていいよ。言ってくれて楽になってたら嬉しい」

「そう……」

自然と笑真に釣られて控えめだけど口角が上がった。
卓也はその空気感を逃さない。

「もう、両思いじゃん」

茶化されて、ちょっと意識してしまう。

「たまたまだから……」

「へへへ。そんなつもりじゃないんだけどね」

駅までいつも通り過ごして笑真とわかれた。

「ありがとね」

「うん。じゃあまた明日」

「じゃあね」

それから、すぐ帰りの電車が来た。
運良く二席空いてるので腰掛ける。

「寝てろよ。起こすから」

「ありがとう」

瞼を閉じればすぐにうとうとと睡魔が襲ってきた――

――――

「んん……」

まだ降りないが目が覚めた。
あれ、なんか視界が斜めになってる。

「起きた?」

すぐ真横に卓也の顔があって、もたれてたことに気づく。

「ごめん。重かった?」

ゆっくり体を起こした。

「俺の彼女じゃないんだから、肩こりそうだわ」

そう言って卓也が大袈裟に反応するから「ごめん」と笑ってしまった。

「貸しだからな。今度何かしら返せよ」

そのツンとしたのがいつもの卓也で、いつもの卓也なのに何故か微笑ましかった。

「わかった。ありがとう」

そう言うとさりげなく「別に……」と拗ねたようにでもどこか嬉しそうに返された。