知ってほしい。そのままの君が、こんなにも素敵なことを

文化祭前日(きょう)は作品を美術室に飾る準備を進めていた。

「これどこに置きますか?」

今は通路となるボードや作品の配置を決め終わり、その近くにぶら下げるランプの位置や台の上に敷く布の色を考えてた。
ただ一人を除いて。

「先輩帰らないんですか?」

振り向くと黄色の夕日に染まった夏服にリュックを背負った凛だった。

「うん。掃除もあるし」

「本当? そしたらごめんだけど戸締りお願いできる? これから塾でさ……」

「いいよ。後片付けとかやるから」

鍵を預かって笑わせてみせる。

「ありがとう。お疲れ」

「お疲れ……」

 それから一気に音が消える。
一人だけ広い空間に突っ立ってるみたいだった。
でも部屋を仕切るボードの向こうで足音や筆と筆が当たる軽い音が耳に微かに届く。

チャイムが鳴り響いた。
とっくに掃除なんて終わってる。

窓の方を見ると思っていたより空が染まってた。
太陽の近い方から淡い山吹、朱色、遠くに行くとまだ空の青さが残ってて間は少し白や灰色に近い。遠くにある形がくっきりとした頑固な雲には強く青の影が、近く崩れていくような雲の輪郭はピンクや紫っぽく色でなぞられてる。

「南雲さん……」

そろそろ、やめさせねば。

「……」

荷物を背負って仕切りの向こうを気にした。
新川先生はいないものの下校時刻に少し焦る。

「南雲さん……」

「……」

覗くと手はまだ動いたまま。
崩れた髪の隙間から見せる横顔は固い。怪訝にひそめた眉。獲物を追い詰めたみたいな黒い目。意識されてない口。
この前、入道雲を見てたパッとした顔を一瞬思い出せなかった。

「笑真」

一度大きく呼ぶ。

「えっ?」

体をビクッと震わせて、顔が元に戻ってしまった。

「まだ、終わりそうにない?」

「うん。でもあと少し……」

そう言ってそして顔にかかった髪をどかした。
指に絵の具がついてるのを気にせず。

「何が気に入らないの?」

キャンバスが彼女の後ろに隠れてる。
よく見るとイーゼルにも絵の具がはみ出てた。

「どう?」

それに気づいたのか彼女が半歩下がった。

「え?」

毛が一瞬にして逆立つ感覚を覚える。
キャンバスは別の世界に繋がる窓だった。
空想の世界。花畑はマス目状に違う花が植えられてる。ひまわりやチューリップ、牡丹、胡瓜の花のようにマス目ごとに印象が違う。しかも不思議なことにどこからか世界が陸ではなく海になってる。花が珊瑚やイソギンチャク、海藻、花畑の上に広がっていた青い空が碧い海に、トンボが魚やクラゲに。

「何これ……」

息が詰まるようだった。
筆の跡は印象派のモネやルノワールを連想させる。
ちゃんと、学生らしい完璧ではない雑なところもあった。なのに近いのにどんどん遠ざかるような。

「風景画だけど」

当たり前だろ。
隣の横顔はポカンとしてる。

「ここの花のところが遠くから見たら思ってたよりのっぺりしちゃって、雰囲気はこのままでいいんだけど、もう少し手を加えたくて」

彼女が筆先で示したのは画面の真ん中に近い所の花畑。菜の花の固有色が宿ってた。

「それで、奏斗君ならどう描く? もっとバランス整えたくて」

「いや。このままでいいよ」と、個人的に言いたくなった。でも仕方なく思考を働かせる。

「南雲さんは、この絵に奥行きを出したいの? 遠くから見た時に」

確かによく見えると浮いてるようにも見える。

「うん」

そう言われて少し引いて全体を確認する。
それから少し考えてから口を開いた。

「大袈裟にならない程度に大まかな薄い影を入れた方がいいかも、そこまで細かくない方が楽だし手前の花が綺麗に見える。あと彩度はちょっと高めに緑っぽい方がこの雰囲気は保てるはず」

指で花を指し示す。

「あとは、目立つところに細かく影を描くとか差し色を入れるのもいい、かも」

色々口出しをすると上から目線で少し声が小さくなった。それに彼女には余計神経が敏感になった。
少し顔色を覗いた。

「天才だよ奏斗君」

一瞬で瞳が輝く。

「天才。なるほどね、そうすればいいんだ。何回も描き直してると訳わかんなくなっちゃって、でも今のすごく分かった。ありがとう。その案頂くね」

「うん、」

肩の力がほっと抜けた。
南雲さんが結局笑うことが多い。でも近くで見ると楽しそうで、ベタだけど可愛らしい花みたいにふわっとしてた。

「すごいイメージできた。絶対綺麗」

 彼女の迷いのない動きで筆がキャンバスに向いだした。焦っているのか筆で載せた色が少しはみ出していたり、垂れそうな絵の具を指で押さえたり。おかげで手や、よく見ると顔周りの髪にも絵の具が付いてる。

 やっと手を止めたのはそれから数分後。一度キャンバスから離れて全体を確認する。

「すごいよ、完璧。ずっと闇雲だったのに一瞬で光が差し込んできて、天使が舞い降りた」

「見て見て」とキャンバスを上機嫌にキャンバスを指差した。確かに全体の奥行きが整ってより一層良くなった。

「いいと思う。綺麗」

彼女も「でしょ? ありがとう」と先程より頬をほんのり赤らめた。それに釣られ口角が上がる。

「まだ、やってんのかぁ?」

音もなく現れた声の主は新川先生だった。

「こんな時間なんだから、早く帰った。榊もいないしお前ら二人だけ?」

「はい。すぐに帰宅します」

「うん」

「それにしてもまた色々と散らかってるな、南雲は」

「へへっ」

隣にいる彼女はただ誇らしげに頬を丸くして頷く。
 仕方なく固まって作品の一部化してしまってパレットは手伝った。先生も呆れて手を貸す。

 下校時間を過ぎているのに先生に責められず昇降口を抜けられたのは文化祭前日(きょう)のおかげだった。

「駅まで一緒に行こ」

「いいけど、」

結局、南雲さんと一緒にいた。
 外は陽が落ちていてさっきより冷たい青の面積が大きい。でもまだ、肌が張り付くような蒸し暑さが残ってる。
たまに吹く風はもっと湿っていて重たい。

「まだ夏が終わってないね」

ぼーっとしてしまいそんな中、弾んだ様子だった。

「まぁ、そうだね……」

少し笑って見せた。
すると急に立ち止まって顔を覗かれる。

「奏斗君は疲れてる?」

「なんで?」

後ろに反った。

「夏がまだ残ってるのに嬉しくなさそうだから」

「え?」

確かに夏の風景というのは日本らしい美しいさがある。だがあの暑さには敵わなくて好きかどうかと言われたら苦手な季節だ。

「南雲さんは夏が好きなの?」

「好きだよ。元気が出る感じしない?」

「元気……?」

体力なんかとっくに奪われてしまったが。

「暑いけどそれって太陽のエネルギーって思うと自分も頑張らないとって思わない? 蒸し暑いのは蒸し器の中の焼売にでもなったみたいだけどセルフサウナだと思えば楽しくない?」

それはポジティブな捉え方なのか、今年の暑さで狂った思考なのかよく分からなかった。

「それはすごいね……」

「あとさ、太陽が長い間見守ってくれてる気がするんだよね。今はもう寝てるけど」

「目?」

「太陽が昇ってる間に活動して太陽が沈むと眠りにつくって生活と同じで太陽も空からしたら大きな目みたいで、お昼の間は目が開いてるけど、夜は寝るために目を閉じるから暗いって考えたら生き物みたいじゃん?」

「うーん……」

南雲さんとの会話は宇宙人と会話するような感覚かもしれない。

「でも、奏斗君が夏を素直に喜べないのも分かる。水筒がぬるくなったり、汗がベタベタしたりとか。あと暑くて寝れないとか熱中症になるとかは夏の欠点かな……」

今のは共感できた。

彼女とはそのまま、この前のように駅まで語らいあった。

「全然電車来ないね、いつもより遅れてるし……」

南雲さんとは帰る方面が違うが、彼女の乗る電車の方が遅いので見送ってくれるらしい。

「そりゃ、遅くなったんだからしょうがない」

「?」

キョトンとした顔を見て、彼女が時間を全く気にしていないことを察した。しかたなくスマホの時計を見せる。

「嘘、なんで遅いの?」

「だから準備してたんでしょ? 文化祭の」

「えっ、そんな遅かった? ずっと待たせてた?」

「まぁ……」

南雲さんの目が丸くなる。
 その瞬間電車が来る放送が流れた。

『黄色い線までお下がりください』

放送後すぐにホームに車両が蒸された空気と共に滑りこんできた。

 完全に列車が止まった。奏斗は降りてくる人の流れに逆らって乗り込もうとした丁度だった。南雲さんに挨拶をしようとしたとたんまだ行かせなまいと服を引っ張られた。

「ちょっと待ってよ」

「なに?」

彼女は少し不満気な顔だった。

「申し訳ないよ。人の時間裂いちゃって。なにかさせて?」

「いいよ、別に。もう帰りたいし」

「……そう」

「……」

急に彼女の顔が暗くなる。
結局身体は動かず電車は乗り損ねた。

「余計だったらいいよ。でも私奏斗君と仲良くしたい……」

「え?」

急の発言に跳ねる。それはどういう意味なのか。
彼女はその場でしゃがみこんだ。

「だって、同じクラスになっても部活でも全然仲良くなれてないし」

「南雲さ――」

「それ!」

指を指された。

「美術部の人は呼び捨てなのに私だけ仲間外れにされてる気がする」

「……じゃあ。笑真?」

「うん。それ」

そうして元気に立ち上がった。
何だかいつも距離感の分からなくてなんとなくさん付けをしてた。でも彼女もそういう人との距離を気にしているんだと意外に思う。

「私はずっと仲良くなろうとしてるつもりなのに」

次の電車を待ってる間。二人でベンチに腰掛けた。
彼女の乗る予定の電車は大丈夫なのだろうか。

「だけど、奏斗君は反応がよく分からないし」

何だかすごく見られていた。

「なんで僕だけなの?」

教室には他にももっと沢山彼女があまり関わってない人がいるはずだ。

「だって、奏斗君絵が上手でしょ?」

「はぁ……」

「同じクラスになって、何かしらの課題とか授業で奏斗君って絵を描くのが好きなのかなって思って。あと美術部も気になってたからさ。それに入部して気づいたけど奏斗君って多分この学校で一番絵が好きで上手なんだろうなって」

南雲さんが「ははっ」と何が面白かったのか笑った。

「だからね、気になったけどちょっとライバル? とか思った!」

分かる気がして吹き出した。

「それはある。小さい頃とか絵を上手い人見て敵視してた」

「そんな感じ」

空気がフワッと軽くなる。

「でも……」

今日見た作品を振り返った。
あの絵は彼女みたいに他には真似できない印象がある。あれは上手い下手とかでは言い表せられない。
芸術は測りがない。僕が上手いのなら多分それだけ。きっと彼女にはもっと情熱的なものがある気がする。

「あの作品はすごく良かった。僕のなんかよりずっと綺麗だった」

「本当?」

彼女は頬を真っ赤に染めて嬉しそう。あの絵の菜の花みたいに花開いてる。
無意識か「えへへ」という声も漏れてる。

「そんなに?」

「だって、この前は作品に文句言われてさ」

「そうなの?」

「でも今そんなの吹っ飛んじゃった」

目を細めて笑ってるのを見てこちらも口角が上がる。
 文化祭当日。
卓也と校内を回っていると美術部の展示を見に行くことになった。部員の作品は何度か見てるせいか展示を見ててもただなんとなく見つめてるだけになったが彼女の作品だけは鳥肌がたった。
やっぱり圧巻だ。