君と偽りのない自分でいたい。〜もう後悔しないように〜

覚めた瞬間何となく理解した。

「……あぁ……」

重たい瞼。うるさいアラーム。起きた時の気だるさ。
身にまとわりつくタオルケットを脱いで、階段を降り、洗面所に向かう。鏡に映る自分はボサボサで、やる気がなさそうな顔。
何となく顔を洗って歯を磨いて、キッチンに向かって母親に挨拶をして、朝ごはんを胃に押し込めて、夏用の制服に腕を通し、寝癖を直す。
そして何となく一ヶ月前のように学校に行く。魔法が解けてしまったような気分だった。そう思うと少し足が重い。昨日までは涼しい家で一応自由だったのにまた、暑さがまだ残る高校に通うのは面倒臭い。
 でも案外外に出てみると空気が違った。
 駅前まで来てみると、先ほど歩いてた住宅街よりも賑やかで、人の声のざわめき、車の走る音、信号機の合図、踏切の警報音、視界にも色んな建物が並んでるのが入ってくる。
そして、定期券を改札にかざして駅に入りまたいつも通りの電車に乗る。駅を何個か過ぎた頃、一人またいだ先に最上 卓也(もがみ たくや)がいるのに気づいた。彼とは中学から一緒。
一ヶ月ぶりに彼と会った。友達ではあるが夏休みは忙しく、部活も違うこともあり会う機会はなかった。

「うっす」

卓也もこちらに気づいた。

「久しぶり」

こくっと軽く頭を下げると卓也が「なぁ」と間の人の邪魔にならないよう首を後ろに傾けて話しかけた。

棚橋(たなばし)、夏休みの課題終わったぁ?」

「まぁ。卓也も終わってるんでしょ」

「そうだけど、昨日心配になってさ、後で見せてくんね?」

「いいけど……」

そこで一旦会話が区切られた。話を広めようとすれば出来るけど、静かな電車の雰囲気を壊したくなくてやめてしまった。
そしたら急にスマホの通知音が鳴る。卓也からだ。

『棚橋眠そう。前髪がやばいよ?』

え。
確かに寝癖が酷かったがちゃんと整えたはずだった。
でも急いでカメラアプリを開く。

『嘘じゃん』

全く酷いことなんてなかった。

『騙されたー。笑』

画面越しに彼を睨んだ。
他愛のない話をしながら学校まで一緒に登校した。
学校に着くとやはり毎年恒例の落ち着かない感覚に襲われる。一ヶ月前の生活に戻るだけなのにその時がどんなだったか思い出せない。

「あっ、棚橋久しぶり」

「やっほー。なぁ課題持ってる?」

「えっ、俺も見せて欲しい」

たった一ヶ月なのに懐かしい顔に見えた。

「しょうがないなー」

そう言って問題集をざっと机に出した。

「おぉー。すげーめっちゃあってる」

「ここさ。何回やっても理解できなくてさ――」

その時横の方から「ねぇ」と甲高い声が聞こえた。

奏斗(かなと)君」

「はい」

馴染みない声に跳ねて立ち上がった。

「私にもそれ見せてくれる?」

問題集を指差したのは南雲 笑真(なぐも えま)だった。

「えっ、あぁ。いいよ」

「ありがとう」

彼女はニコっと笑って問題集を開いた。
一瞬周りの男子達の視線が問題集からこちらに向けられた。だがすぐに戻った。

一限目は二学期始まりの集会が開かれて、その後掃除をして、課題テストを何個か受ける。それでその日は午前で下校となった。

「ねぇ、奏斗」

声をかけてきたのは美術部の新部長、榊 穂乃花(かしわ ほのか)

「この後、美術部の皆でお昼食べに行く予定でなんだけど。楓真(ふうま)(りん)君も奏斗に来て欲しいって言ってる」

「あーー」と頭に手を置いて考える振りをした。

「僕はいいや。楓真達にはごめんって。穂乃花も行くんでしょ?」

なんとなく足が重い気がしてお昼は一人で過ごすことにする。登校初日の若干の疲れを感じてた。

「うん。分かった。じゃあそう言っとくね。お疲れ」

相変わらず彼女はテキパキとした様子で去って行った。その姿を見て「部長は大変だな」と言葉が浮かんだ。

 次の日からは本当に一ヶ月間の休みは嘘みたいに授業開始。部活動も再開した。何故だか久しぶりの部活のことを考えると心躍った。
 放課後、美術室に着くとまだ誰もいなくて、なんとなく窓にかかってるカーテンをどけて窓を開けた。秋に近くなってきた風が心地良い。
その時に軽く閉めたはずのドアがゴトゴトと古びた音を立てた。廊下から響いてくるはずの足音が聞こえなかったので驚いてそちらに身を向ける。

「おはよう。奏斗君早いんだね」

入って来たのは南雲さんだった。

「おはよう……」

つまり気味な返事だった。彼女は気にしてない様子で軽く微笑んでた。それから持っていたリュックを適当な机に置いた。
何気なく窓辺に近づいて空を見上げた。
美術室の電気は付いてなくて空の青さが一層眩しい。

「今日の朝はね、入道雲があったんだよね。まだ見えるかな? すごい綺麗だったんだよ?」

南雲さんが急にこっちに寄ってきた。
一歩引く。

「あれかな? 形が朝とは違うけど。入道雲の下はさ、雨が降るんだよね。私達が呑気に綺麗だな、夏の風物詩だなとか思ってる時に、その雲の下で空を見上げたら真っ暗で雨が降ってたりしていい迷惑なんて思ってるのかな?」

「……」

何か返すべきだったか。
彼女はまだ入部してまだ大体一ヶ月。つまり夏休みと同時に入ってきたのだ。なんでそんな時期なのか、彼女のそういう所が理解し難い。
 その時何人かの足音が入ってきた。話し声からしても誰だかすぐに分かる。

「おはよう。二人とも早いね」

「奏斗も笑真もお久ですわねー」

楓真がいつも通りおどけると穂乃花が「やだー」なんて呆れて笑う。
そしてその後ろに続けて三人後輩達が入って来た。美術部は部員が少ない。三年が引退した今はだいぶこじんまりしてる。

「先輩おはようございます」

「おはよう」

すぐ近くに寄ってきたのは後輩の一人、琴寄 凛(ことより りん)だった。

「なんか、髪伸びました?」

「そうかな? あんまり実感ないけど」

自分より少し小さな凛が一歩詰めて顔を覗いてきた。それから「ほんのちょっと」と付け足した。

しばらくすると顧問の新川(にいかわ)先生も集まってミーティングが始まった。今後のイベントやコンクールの予定を伝えられた。それから部長と副部長の古市 楓真(こいち ふうま)が進行役となり文化祭に備えての確認や方針について軽く話し合った。

「今のところは皆作品は出す予定であってるよね? 特に一年は出来終わらなそうだったら私でもいいし先輩に頼ってくれていいから」

「特に奏斗ちゃんとかー」

「え?」

「ふふっ」

周りが吹き出した。
一瞬でミーティングの真剣だった空気が流された。

「なんで自分じゃないのよ? 副部長でしょー?」

「だって奏斗は絵だって上手いしー、勉強もできて爽やかボーイじゃん?」

くすぐったくて笑いにならない声が漏れた。

「でも、楓真は一生懸命にやってくれるじゃん」

これはお世辞でもなく本当のことだ。ムードメーカーですぐおどける彼だが、準備室で探してた絵の具が見つからない時に必死に探してくれた。結局手の届かない高さ棚の入れ物に先生が片付けてしまったらしいが彼の背の高さがまた役に立った。

「まぁ、照れちゃうー」

褒めると彼は頬を手で押さえて可愛らしいポーズをとってみせた。

「もー」

穂乃花の前ではいつもふざける彼は少し宝の持ち腐れのようにも見えるが。
ミーティングが終わった後は活動時間となった。久しぶりに石膏像を描いてみる。観察をするだけの作業だがなぜか楽しくて手つきが軽い。
これはこれから文化祭で出す絵にするモチーフだ。

「先輩、石膏とかも描けちゃうんですね」

休憩がてら凛がキャンバスを覗いてきた。

「石膏像は描くの楽しいよ」

「そうなんですか? それなら今度文化祭が終わったらデッサンとか挑戦しようかなー」

「いいね。というか文化祭の作品で挑戦すれば?」

「いや、そんな誰かに見せれるようなのは描けないんで。先輩に今度教えてもらいたいです」

凛の笑顔は肩の力が抜ける魔法がある。
その後も凛と休憩する合間に話をして作業時間はあっという間だった。
 放課後は駅までは彼と向い、それから本屋に寄って前から気になってたポーズ集を購入した。
満足してホームに向かうと次の電車まで時間がだいぶある。

「奏斗君」

待ってる間ベンチに腰をかけてると最近よく聞く跳ねるような声が聞こえた。また反射的に立ち上がると南雲さんがいた。
もう少しで沈んでしまう西陽が彼女の長い髪の毛を淡く照らしていた。

「あれ、南雲さんってこっちの方面だっけ?」

彼女を登下校時に電車で見かけたことはない。

「いや」

南雲さんが当たり前のように隣に来た。

「……。」

「?」

彼女は平気そうだが変な時間が流れる。

「なんで、こっちなの?」

本能で口が動いた。

「あのね、お気に入りの画材屋さんがあって。家からは遠回りだけど今日はすごい行きたいなって思って」

彼女の声は表情と同じでウキウキな様子。

「奏斗君も一緒に行く?」

また一歩近づかれ、半歩下がる。

「僕はいい、かな……」

「そう?」

「……」

不思議な顔をされた。それもじっとこちらを見つめてくる。いや、もしかしたらもっと遠くを見つめてるのかもしれない。
その時。

「奏斗君ってさ!」

急に何かを見透かしたかのように言われた。

「世界の全て見通してそう……」

「え?」

眉をひそめて見た。その焦茶の曇りなき眼を。

「なんで?」

それは南雲さんの方じゃないか?
教室でも部活でも不思議ことをしてる彼女こそ何かを知ってて意図してしてるのではないか。正直その行動に意味を持ってるように思えたことはないし、よく分からないが。

「本当にこの世を知り尽くしてるから()()()()行動するのかなって」

「どういうこと?」

その、目の奥に何か宿ったような鋭さが周りの音を消した。

「本当は神様みたいになにもかもお見通しだからこそ、それを隠してその完璧をたしなんでる。とかどう?」

「とかどうって?」

「いいや。ただちょっとひらめいただけ」

そう言って目を細めて笑った。急にパッと明るくなる。
何かの思いつきだったのかもしれない。けどやっぱり変わってる。

「……はぁ」

「ねぇ、綺麗だね」

近寄られた。指された指の先は自分の髪だった。

「いつも黒いのに陽に照らされるとやや茶色になってよく見るとキラキラしてる」

「……」

今度は一歩逃げなかった。
というか足が迷って固まった。
彼女の作り出すものにどう乗っかったらいいか分からない。
 電車に乗り込んだ。その時何故だかやっと心が落ち着いたような気がした。