素直な心で、愛という名の感謝を。

覚めた瞬間何となく感じた。
いつもより悪い目覚めの朝。昨日より早く鳴るうるさいアラーム。起きた時の気だるさ。身体の重さ。
のろまに手を伸ばしてスマホを取り、時間を確認してから嫌々身を起こして自分にまとわり付いてるタオルケットから抜け出して、軽く伸びをする。
 朝に弱い脳でも今日が学校始まりの朝だと分かってた。
昨日までのことが嘘みたいに今日から二学期だ。
体重を背負う足が頑張って自分の部屋を出て階段を降り、洗面所に向かう。鏡に映る自分は眠そうで、ボサボサで、やる気がなさそうで、朝日の当たり方の加減からしてまさしくこれから学校に行く準備をする顔。
何となく顔を洗って歯を磨いて、キッチンに向かって母親に挨拶をして、朝ごはんを済ませて、制服に着替えて、髪を整える。
そして何となく一ヶ月前のように学校に行く。別に苦痛ではない、ただ魔法が解けてしまったような気分だった。昨日までは家でダラダラ過ごしてた一ヶ月間を過ごしてたのにまた、暑さがまだ残る中学校に通うのは面倒臭い。
 でも、案外外に出てみると久しぶりで新鮮な気もした。家では静かにしていて、お盆に入ってからはほぼ引きこもりのような状態だったが、早い朝とはいろんな情報で満ち溢れてた。まだ本調子ではない日の光も鳥の囀りも、吹いてくる風も、外の匂いも。七月ぶりで懐かしいけど前とは違う、多分季節の移ろいのせいだと思う。
 駅前まで来てみると、先ほど歩いてた住宅街よりも賑やかで、人の声のざわめき、車のタイヤの音、信号機の合図、電車が来ると告げる踏切の警報音、視界にも色んな建物が並んでるのが入ってくる。
そして、一番手前にある駅に定期券を改札にかざして入りいつも通りの電車に乗る。電車が出発する時間は必ず通勤ラッシュが起こるので毎回少し早めに乗るようにしてる。そして、駅を何個か行ったところで卓也が現れた。
一ヶ月ぶりに彼と会った。クラス内の友達ではあるが夏休みに予定もなく、部活も違うので会う機会がなかった。
「久しぶり」
こくっと軽く頭を下げると卓也が嬉しそう「おすっ」と返事をして人の隙間を通り抜けて隣に来た。
「なぁ奏斗、夏休みの課題終わったぁ?」
吊り革に捕まった腕が邪魔そうに首を傾けてこちらを見てきた。
「まぁ。卓也も終わってるんでしょ」
「そうだけど、昨日心配になってさ、後で見せてくんね?」
「いいけど」
そこで一旦会話が区切られた。話を広めようとすれば出来るけど、静かな電車の雰囲気を壊したくなくてやめてしまった。それにそこまで話したいこともなかった。これは卓也限らず皆に言える。自分からそこまで人と関わりたいとは思わない。厳密にいうと自分が近寄りたいと思う時に人に近づいて気ままにしている。もちろん仕事で仲良くならなければならないならそうするがそんなことは今ないので自由にしてる。勉強もそうだ、ある程度やらなくてはいけないことはやる、あとは暇つぶしくらいしかしてない気がする。
だから、人から見たら少し距離のある人間なのかもしれないが正直あまり気にしてないかもしれない。マイペースで生きてるだけのままでいいと思ってる。
多分卓也はそんなことなくて皆でワイワイしたい陽気なタイプだと思うけど気を時々使って仲良くしてくれてる。優しい人なんだなと感じてる。
 そのまま卓也と学校まで一緒に登校した。他愛な会話をしながら何度も一ヶ月前の日常に戻るけど不慣れな毎年恒例の不思議な感覚になる。
学校では二学期始まりの集会が開かれて、その後掃除をして、課題テストを何個か受ける。それでその日は午前で終わった。新部長達から一緒にお昼でも食べにいかないか誘われたけど、行く気にならなくて断ってしまった。
家に帰ってからぼんやりしてるとなんとなく、部活に行きたいと感じた。活動開始は明日からだけど、少し考えるとワクワクした。あの、静かな独特な雰囲気の美術室に行きたいなと思う。他の教室にはない匂いとか、机が壊れてたり、壁が汚れてて少しカラフルで、程よい日加減だったり、隠れ場所のようなところが落ち着く。部員がいても自由な部活の時間が早く来て欲しい。

 次の日からは何故だかもう、学校に行くのが慣れていた。一ヶ月間の休みは嘘みたいでなんともなく授業もそこまで退屈じゃなかった。むしろどんどん部活の時間が迫ってると思うと胸が高鳴った。久しぶりの部活に期待をしていた。
放課後美術室に着くとまだ誰もいなくて、なんとなく窓にかかってるカーテンをどけて窓を開けた。涼しい秋に近くなってきた風が吹き込んでくるのが心地良い。
その時に軽く閉めたはずのドアがゴトゴトと古びた音を立てた。廊下から響いてくるはずの足音が聞こえなかったので驚いてそちらに身を向けると、誰かが入って来た。

「おはよう」

入って来たのは二年になってから入部して来た、南雲 笑真(なぐも えま)さんだった。同じクラスだけどあまり話したことがない。

「おはよう……」

ぎこちなく返事を返してしまった。でも南雲さんは案外気にしてないようで会釈するかのように軽く笑った。それから持っていたリュックを適当な机に置いてこちらの窓辺に近づいて来た。

「今日の朝はね、入道雲があったんだよね。まだ見えるかな? すごい綺麗だったんだよ?」

彼女はそうして窓から身を乗り出すように外を見上げた。自分も釣られて外を眺める。

「あれかな? 形が朝とは違うけど。入道雲の下はさ、雨が降るんだよね。私達が呑気に綺麗だな、夏の風物詩だなとか思ってる時に、その雲の下で空を見上げたら真っ暗で雨が降ってたりしていい迷惑なんて思ってるのかな?」

「……さぁ、」

南雲さんは不思議な人だなと思う。感性が人とはズレてて嫌気はしないけど、目立ったりするところがある。だけど明るくて、少し人との距離感がずれてて天然だねなんて言われてたりして、友達からも愛されキャラとして扱われてる。
 その時にまた、誰かの足音が入ってきた、それと同時に話し声も聞こえてきて誰だかすぐに分かる。

「やほぉ。二人とも早いね」

「奏斗も笑真もお久ですわ」

楓真がふざけるといつも通り横にいる穂乃花が「やだー楓真」なんて突っ込む。この会話も久しぶりだと思う。
そしてその後ろに続けて後輩達が三人入って来る。美術部は部員が少なくて、絵を描くことが好きな人はほとんどイラスト部に入ってる。理由としてはイラスト部の方がジャンルが広くて漫画を描いたり落書きしたり色んなことが出来るから、あとはゆるいあの感じが理由だと思う。正直いえば美術部だってゆるい所はあるし堅苦しいイメージかもだけどすごく楽しいと思う。
よって三年が引退した今は二年がこの四人と一年が五人という超こぢんまりとした部活になってしまった。まぁ、人数は少ない方が気楽なのでいいと思うが。

「先輩おはようございます」

「おはよう」

一年の(りん)だった。何故だかいつも近くにいる気がして僕に懐いてると楓真も言ってた。

しばらくすると顧問の新川(にいかわ)先生も美術室に入ってきて軽いミーティングが始まった。まず最初に新しい部長、副部長の紹介。ほぼ決まってたも同然だけどしっかりしてる榊 穂乃花(かしわ ほのか)が部長。元副部長に気に入られてた古市 楓真(こいち ふうま)が副部長になった。
楓真が自己紹介すると穂乃花がすこし皮肉を込めて。

「棚橋君が副部長になればよかったのに」

なんて意地悪気味た笑顔で言うと周りが少しくすりと笑った。

「なんだよ。穂乃花、俺に文句でもあんのか?」

「だってただ副部長の可愛い後輩ってだけじゃん。それならもっとしっかりしてる棚橋君の方がよっぽど向いてるもん。ねぇ」

二人の仲の良さを遠目で眺めてると急に話が振られたので苦笑いして見せる。

「いや、楓真が副部長になるならそれでいいよ」

元々面倒臭い仕事はやなので、頼りにそんなにならない楓真でもやってくれるならそれでいいと思う。楓真は一見運動部に見えるほど背が高くて体つきもいいのに案外、美術に興味があるらしくて珍しいなと思う。詳しくは中学ではバスケ部だったらしいが高校からは美学を学びたいと美術部に入ってくれた。本当に彼は本気で準備室の奥に眠ってた画材を引っ張り出して、皆に「この画材がこんな風に使えるしそこまで古くないから使ってみて」なんて宣伝しに来る。
特に今度の文化祭で美術部は展覧会をする予定で夏休み前から取り組んでいて楓真が見つけてくれたパールっぽい光沢が出る水彩絵の具を使いたいと計画立ててる。
 今日はその制作の報告と準備についても少し話した。他にも夏休みにあった絵画コンクールの発表やこれからある大きなコンテストの便りも伝えてくれた。
そして待ちに待った活動時間。

「そういえばさ、奏斗君ってこの前賞とってたよね?」

準備室に入って小さい石膏像に手を伸ばした時、南雲さんがひょこっと入って来た。彼女も何か取りに来たのか絵の具の入った棚に手を伸ばした。

「展示会も見に行ったよ」

一体なんの話なのか思い出せないでいると彼女が「ほら、夏休み前に出した動物の絵のやつ」と人差し指をくるくる回しながら付け足してくれてようやく何の話か思い出した。
丁度夏休み前に「第二十七回 絵画コンクール 地球の儚い生き物たち」というコンテストに応募し、期待してなかったものの金賞を受賞して展示会で飾られた。そういえば夏休み中の展示会では応募していたはずの南雲さんの作品はなかった。

「あの絵、綺麗だったよね。少し風変わりなところがあって。審査員にもそういうところが評価されたんだと思う」

「ありがとう」

そう返事しながら出した作品がどんなものだったか想像した。ホッキョクグマの子供が一頭だけ氷河に残されて流されてしまう絵だった。地球の暑さで氷が溶けていくことをどこか思わせるように描いた絵だった。
 そんなことをぼんやり頭に浮かべてから、今度はどんな作品にしようと切り替えた。他の像よりも比較的小柄な石膏を手に取り運んで光のあたりの良い場所を選んだ。
これはこれから文化祭で出す絵にするモチーフだが明日にはこの光加減も位置も違うので今日中に石膏像のところだけ仕上げてしまう。
 久しぶりに描く石膏像は楽しかった。家に石膏像はないのでなかなか描く機会は部活以外だとなかった。

「先輩、石膏とかも描けちゃうんですね」

休憩がてら凛がキャンバスを覗いてきた。

「石膏像は描くの楽しいよ」

「そうなんですか? それなら今度文化祭が終わったらデッサンとか挑戦しようかな」

「それなら、凛も文化祭出す作品をデッサンっぽくすればいいじゃん」

「いや、そんな誰かに見せれるようなのは描けないんで。先輩に今度教えてもらいたいです」

凛はすごくいい子だと思う。もしかしたら先輩だからこういう態度なのかもしれないがそこまでかしこまった感じではないし、積極的に話しかけに来てくれて親しみやすい気がする。

「もちろん。専門的なことは知らないけど基本くらいなら」

凛はそのまま奏斗の隣に腰を下ろした。

「久しぶりにイラストのメイキング動画見てる見たいです」

そう言われると視線を感じて苦笑いしてしまう。
「見られてると思うと上手く手が動かないんだよな」

すると凛も苦笑いが移った。

「あぁそれ、分かります。綺麗に描かないとって思うけど実際絵を描くのは消して描いての繰り返しでその消す前の上手くいってない線とか見られたくないって意識しますよね。でも先輩って全然そんなことなさそう。誰の視線も気にしないで無神経そう」

「失礼な」なんて笑って話が弾む。
 やっぱり久々の部活は楽しかった。他人と話すのが休み中になかなか無かったからか、その後も凛と思い出話や他愛無い話で盛り上がって残り十分の活動時間はあっという間に過ぎた。
 放課後も駅まで凛と向かった。凛とは方面が違うのでそこで分かれて駅内にある本屋に立ち寄る。この前から気になっていたポーズ集を購入しに来たのだ。買い物を速やかに済ませてホームに向かう。
 夏が終わったといえ、まだまだ外は蒸し暑くて日もまた長い。六時半ほどなのに空は今も夕日の色が残って明るく見える。
その時。

「奏斗君」

その控えめなのにいつも跳ねてるような声が聞こえた。
振り向くと予想通り南雲さんがいた。もう少しで沈んでしまう西陽が彼女の長い髪の毛を淡く照らしていた。

「あれ、南雲さんってこっちの方面だっけ?」

「いや……」

南雲さんが当たり前のように隣に来た。

「……。」

「?」

彼女は平気そうだが変な時間が流れる。慣れてない人と沈黙となると気まずい。

「なんで、こっちなの?」

反射的に口が動いた。
南雲さんは本当に何も気にしてないみたいで、一瞬ポカンとしてから楽しそうに語り出した。

「あのね、部活ギリギリまで今日やってたら、お気に入りの画材屋さんが家から遠いんだけどこっち方面にあって、今日はすごい行きたいなって思って。お店の品揃えが好きなんだよね。何だか分からないけど楽しくてペンとか絵の具とか眺めてるだけでワクワクして、シールコーナーの商品が毎回行くたびに変わるから今回はどんなのあるかなって楽しみになって」

横目で見てても彼女の瞳がキラキラ輝いてるのが分かる。すごく楽しそうなんだなとぼんやり話を聞いてると電車が来た。大きな車輪の音と共に勢いよく風が吹いて髪が乱された。

「奏斗君も一緒に行く?」

電車に一歩踏み入れた時に南雲さんが急に誘って来た。なんだかいつも彼女の話し出すタイミング、話さない時の感覚がよく分からない。
そして彼女との距離感もよく分からない。そこまで親しく無い相手でも下の名前で呼ぶのが珍しいし、仲良くしたいのか無意識なのか距離が近くなったり。でも不思議と心の距離はどんな時も同じな気がする。
凛や卓也と違って掴みづらい相手な気がする。だから自分から近づこうと思ったことはなかった。

「僕はいいや、書いたかったポーズ集も買ったし」

「そう……」

何だか急に南雲さんが落ち込んで見えた。
一緒に来て欲しかったのだろうか。でもなんで自分なんだろうと不思議に思う。
その時。

「奏斗君って不思議だよね」

「いや、それは笑真でしょ」

「えっ……?」

一瞬口と胸がむぎゅっとした。
思ってもいないことを言われて「どこが?」と突っ込んでしまいたくなったのを堪えられなかった。苛立った訳でもなくただのノリだったが口を慎めきれなかった。しかもよりによって「南雲さん」を呼び捨てで呼んだのを後から後悔する。
 時間が止まったような気がした。南雲さんはどんな気持ちで驚いてるのか分からなくとも自分は冷や汗をかきそうなくらいに焦ってしまった。何だか申し訳ない態度をとったと深く感じた。
 だがそんな感情はすぐに強風に吹かれた。

「あははっ。あはっ、ふふふっ」

電車の中で彼女が数秒注目された。
何がおかしかったのか楽しそうにお腹を抑えて笑うのがよく分からない。が気を悪くした訳ではなさそうでほんの少し安堵を覚えた。

「奏斗君って面白い」

「?」

理解できなくて眉が勝手に上がった。
彼女が僕を面白いというように、ある意味彼女も面白い存在であるのかもしれない。

「いや、なんか奏斗君が割に合わないこと言ったなというか、いつもさん付けだから上がるとそんな風に呼ぶんだって思って楽しくなっちゃった」

「はぁ……」

気が抜けた返事をした。

「奏斗君っていつも部活の人とはすごく仲良いでしょ? みんな呼び捨てして、親しい感じなのに私だけ違う気がして、同じ学年なのに。だからちょっと今の新鮮だった」

「あぁ、それは……」と言いかける。もともと楓真と穂乃花は中学が同じで、後輩にはそこまで堅くならない方が良いと思ってただけで。

「それに少し自分の世界観持ってそうだなって。さっきポーズ集買ったからって断った時もなんかこれからこの本をじっくり味わいたい。みたいなすごく自分だけの楽しみさがありそうで不思議だな人だなって思って」

バカは自分がバカだということに気づかない。というように彼女も不思議な人ほど自分が最も不思議ということに気づいてないのか、それとも自分がそれに当てはまっているのか。
南雲さんは新しく興味深いものを見つけたみたいに目が輝いていた。まさしく先ほど画材屋に行く時の話をしてた時みたい楽しそうに、話をし出した。
最初は今起きた出来事について、でも次第漢字(かんじ)に話がそれてどういう道順か部活の始まり前に話してた空の話に戻った。
 気づけば南雲さんの降りる駅に着いたらしく「じやあね」と手を振って来た。
その時、咄嗟に言い返してやろうと思ったのか彼女に「気づいてないみたいだけど僕より南雲さんの方が摩訶不思議だよ」と笑いを取ろうとした訳ではないが突っ込んだ。
すると、一瞬足を止めてキョトンとしてから呆れたように笑って「笑真って呼んでよ。南雲さんじゃなくて」と。
 気にするところはそこなのかと、久しぶりに吹き出してしまった。