超絶クールな先輩は俺の前でふにゃふにゃのSubになる

「あーーー。だるすぎ……」

 梅雨特有のまとわりつくような空気と重だるい身体に、大きなため息がこぼれる。
 
 前のめりに夏がやってきたかのような日々が続いて、ついに梅雨入り宣言された今週。週末もずっと雨予報だった。
 誰もが家にこもっていたくなる、そんな土曜日に僕は繁華街まで足をのばしていた。

 事情を知っている母親や姉は「(さく)、夜道にはほんっとーに! 気をつけてね」と見送ってくれたものの、なにも知らない妹や弟にはバイトだと言ってある。成人前の弟妹を除いて、家族はみんなUsualだ。
 
 それは本当によかったと思う。ダイナミクスなんてろくなもんじゃないし、特にSubはだめだ。定期的に誰かに支配してもらわなければ、本能的な欲求を解消できず体調を崩す。
 その不調には薬もあるとはいえ、飲み続けるとだんだん効かなくなるという副作用もあって、しかも高い。切実にジェネリックを希望したいけど、ダイナミクス関連のホルモン剤は新薬が多い。どんどんいい薬ができているというのはわかる。でも保険がきいてもお高いんだよ……

 もともと父の収入でほそぼそと生活していた僕の家族は、六年前に父が死んでから急激に経済状況が悪くなった。母がひとりと四人の子供。上は二十二歳の姉に一番下が十二歳の妹だ。
 姉は高校を出て働いているけど、僕は奨学金を使って大学まで卒業するよう家族から勧められている。本当は姉と母にだけ負担を強いるのが嫌で、高校を出たらすぐに働きたかった。
 でも担任に大学を出たほうが良い企業に就職できると説得されて、折れた。家族はホッとしていた。
 
 父が駆けおち同然で母と結婚したせいで親交はないが、父方の親類は大学教授とか国家公務員とか優秀な人が多いらしい。僕も勉強だけは得意なので血の繋がりはそんなところに出ているのかもしれない。
 結構、ぽやっとした父さんだったけどな……健康診断を怠ったせいであっさり死んだし。

 そんなわけで、僕は受験生になったいまもアルバイトをしながら学校に通っている。志望校はA判定。唯一のネックがSubという二次性だ。
 しかも隔世遺伝で成熟がかなり早いタイプだったようで、二次性判定直後から不安症に悩まされている。母方の祖父母がDomとSubだという。
 
 僕の場合、プレイもせず放っておくと倦怠感やイライラ、不眠が症状として出てくる。この前なんて、運の悪いことに学校で不安性によるパニックを起こして周りが全く見えなくなった。

「うわ、最悪なこと思い出した……」

 一学年下の風谷(かざや)。たぶんうちの高校で一番有名な男だ。去年一年のくせにミスターコンで優勝してたし、どこかの御曹司だと噂を聞いた。

 ああいうやつは僕みたいな貧乏人のSubと対極のところにいる。無意識といえど学校でコマンドを出すし、Subがもの珍しいのか僕を興味津々で見てきやがって……舐めたガキだ。
 僕にないものを全部持ってるくせに、やけに僕に関わってくる。たとえ偶然が重なった結果だとしてもすべてが気に食わなかった。
 
 それなのに……本当に地方の高校生かよ、と言いたくなるほどきらきらしい見た目は、気を抜けば目を奪われてしまいそうで。
 僕から見れば、はるか遠くの世界にいるやつにプレイの相手をしてもらうなんて、信じられなかった。

 でもあの日、保健室でサブドロップしかけたとき――あいつに救われた事実は変えられない。

『先輩。目を閉じて、眠って……今のことは忘れてください』

 低くて甘い声。コマンドは優しくて、ほぼケアばかりのプレイだった。
 Domのグレアなんて無理やり思考を奪われる感じがして嫌いだったのに、風谷のそれは僕をどうしようもなく蕩けさせる。Subの本能が目の前のDomに従いたいと、命令が欲しいと強く願ってしまう。

 ちゃんとしたプレイではなかったから、みっともなく縋ってしまうことはなかったけど……悲しいほど記憶はある。この前の放課後だってそうだ。あれだってあいつが悪いけど、馬鹿みたいに甘えてしまった。

「あ〜くそ、忘れたい。初めてあんなんなった……」

 プレイバーでのプレイ経験はあるけど、自分から甘えたことなんてない。風谷もはじめてっぽかったし、結果的にプレイになっただけのもの。
 それなのに、事後の爽快感はいままでで一番だった。イケメンはプレイまで爽やかなのか? Domなんて穏やかそうに見えても、根底に加虐的な支配性を秘めたやつばかりだと思っていた。

 ……まぁ、一度症状が改善しても永遠に保つわけじゃない。数週間たてばまた欲求は溜まり、身体や精神に不調をきたす。僕にはもう慣れた感覚で、限界を迎えそうになったらプレイバーに向かうのだ。

 繁華街の目立たないビルのひとつ、エレベーターに乗り込み四階で降りる。そのフロアにはここ……Dom/Sub専用のプレイバーしかない。
 元々プレイバーの運営は国の認可制だが、高校生も利用できるところは安全性を鑑みさらに上の認可が必要らしい。厳しい基準をクリアしたプレイバーで家の最寄りだったのがここってわけ。
 
 高校生ならなんと利用料は無料。知らない人とプレイすることに抵抗はあれど、やはり高い薬と比較するとこちらに軍配が上がる。
 というか、薬も無料にしてくれ。あー、副作用があるから無理か。念のための頓服薬は持ち歩いてるけど、僕の選択肢は実質これしかない。
 
 エレベーターを降りただけで静かに自動ドアが開き、重厚感のある受付で会員カードをかざす。このプレイバーに初めて来たとき、二次性や性的指向をカウンセリングされた。その内容がこのカードに登録されている。
 僕の場合は二次性がSub、相手は男、プレイは高校生なのでバニラ一択。
 
 他のプレイバーを知らないけど、ここは高級感があって落ち着いた空間だ。メジャーリーガーが使うロッカールームのような場所で荷物を預け、身だしなみをちょっとだけ整える。
 伸ばしっぱなしで普段は下ろしている前髪をかき上げる。加えてメガネをはずしコンタクトを装着すると、嫌というほど視界が明瞭になった。

 鏡に映るのは眠たげな目をした冴えない男だ。目の下には定期的にできる青い隈。これを隠すために学校では前髪や眼鏡で目元を覆っているのだ。
 あとは、そうだな。自分なりのSubの自衛手段として、必要以上に目立たず、関心を持たれないため。風谷が僕に関心を抱いてるっぽいのは完全に想定外だ。意味わかんねー。

 プレイバーは基本的に大人の空間だ。明らかに高校生らしい人が混じるのは、自分にとっても公序良俗的にもよくない。
 だから制服では来るなと言われているし、僕だって知り合いにバレたくないからささやかな変装をしてるってことだ。ま、同年代でここに来るやつなんてほとんどいないから、念のためだけど。