六花は夜の町を疾走していた。
普段落ちこぼれの六花に天鬼月としても任務は回ってこないのだが、まったくないわけではない。人手が足りない時は駆り出される時もある。
最小限に抑えられているのは、暁天が便宜を計らってくれているからだ。
六花の目的を暁天は知っているため、六花が落ちこぼれであることを逆手に取り、あまり任務が向かわないようにしてくれていた。
いつも人をおちょくってくるので面倒臭い暁天だが、彼がいるからこそ六花と霞は実力主義の一族の中で陰口を叩かれながらも平穏に暮らしていけている。
暁天がいなければ六花と霞を守ってくれる者はひとりとしていないだろう。
しかし、いつまでも暁天が現役でいられるわけではない。
考えたくはないが、生きている以上はいつか別れの時は来る。
自分がいなくなった後のことを暁天はとても気にしていた。
いつまでも暁天の影に隠れているわけにもいかないのだ。自分の力を一族に認めさせなくてはならない。
そのためには憂いとなる呪いの張本人を一刻も早く探し出さなければと、六花の焦燥感は日増しに高まっている。
呪いの件と一族に認めさせるのとは、違っているようでいて本質は同じだ。
呪いの主を見つけるには宵闇の力を使いこなす必要があり、宵闇の力を使えれば必然的に一族は六花を認める。
一石二鳥とポジティブに考えられればいいが、現実は残酷だ。どうしたら使いこなせるのか、それは当主である暁天にすら分からないのだから。
宵闇は自ら主人を選ぶという特殊性から文献も少なく、使用法などが書かれているわけでもない。
主として選ばれたのなら使えて当然という理屈で、誰も使い方を残そうとは思わなかったのだろう。
『誰でもいいから残してないんかい!』と、過去の文献を読み漁って絶叫したのは記憶に新しい。
もし自分が使いこなせるようになったら、後世のために恨みも込めて事細かに記してやるつもりだ。
「くそう。こんな暇があるのでしたら、あいつを探しに出かけたいというのに」
全速力で走りながらも息切れひとつしない六花はさすが鬼といったところか。
霊力は使いこなせずとも、あやかしとしての身体能力まで使えないわけではない。
本当は他の人間やあやかしにとってはそれだけでも脅威と言えるのだが、いかんせん一族の中で落ちこぼれ扱いされてばかりのため、六花は自分の能力を過小評価しがちである。
だが、そこらのあやかし程度に負ける気はないし、暁天も難しいと判断した任務を六花に任せはしないだろう。
つまり、今回の標的はさほど強い相手ではないということ。ならば恐れを抱く理由もなく、ただ時間が消費されることへの苛立ちが生まれるだけだ。
六花は宵闇をそっと撫でる。
いまだに使いこなせぬ宵闇は、もしちゃんと扱えるようになったらどれほどの力を発揮し助けとなってくれるのか、六花はまだ宵闇が秘めている力の一端を経験した試しがない。
もし使いこなせていたら、あの男をもっと早くに見つけられるかもしれないのに、現実は無常だ。
「けど、あの時はいつもと違う反応だった……」
六花はぽつりとひとり言を漏らす。
それは氷雨と会った時の話だ。宵闇がこれまで感じたことのない反応を見せていた。
なぜ?という疑問の答えを六花は持っていない。
「神の血を引いているから?」
宵闇はもともと神より与えられた神器なので、遥か昔仕えていた神子の血を濃く引く氷雨に反応するのはおかしくないのではないか。
そう仮説を立てるも、あくまで仮説であり、本当に氷雨に反応したのか分からない。
「もう一度確かめてみるべきかしら」
心の底から嫌だが、背に腹は代えられない。
それで宵闇を使いこなし呪いをかけたあの者の手がかりを得られるなら、毒を吐かれようが霞のために耐えきってみせる。
密かに決意を固める六花の視界に、目的の者らしき姿が飛び込んできた。
「あれね」
十階ほどの高さがあるビルの上から、遠目に男を発見する。手元にある写真と見比べて、対象者であるのを確認した。
どうやら、あやかしの中でも末端の種族のようだが、夜の闇に溶け込めば逃げられると思っているのだろうか。
夜であろうと鬼の五感をもってすれば、暗闇の中だろうと遠くからでもはっきりと相手の顔を視認できるというのに。
「あんなのに無駄な時間を割かなくちゃならないなんて」
くっと歯噛みしながら、問題を起こしたあやかしに対して怨嗟の念を抱きつつ隣のビルへと跳躍した。
六花は勢いを殺さぬまま突撃し、建物の陰から周囲をうかがっているあやかしのところに頭上から飛び込む。
はっと気配を察知したあやかしは六花の姿に気がついて距離を取ったが、六花の顔を見た途端、警戒していた表情をころりと変え安堵すら見せている。
いぶかしむ六花の前で、その男は安心したように笑い声を漏らす。
「ははっ、誰かと思えば知ってるぞ、お前……。天鬼月の落ちこぼれじゃないか」
「だからなんですか?」
「他の天鬼月の鬼だったらどうしようかと焦ったが、落ちこぼれが来るなんて俺もついてるぜ」
「へぇ、そう。それはよかったですね」
六花は気にせず男に一歩一歩近づいていく。それと同時に男は後ずさる。
「おい、来るな!」
「はいそうですかって、見逃すと思っているのですか?」
この男がなんの罪を犯して指名手配されているか、六花は興味ない。ただ、命令のままにこの男を捕えるという任務を遂行するだけだ。
「来るなって言ってるだろうがっ!」
男の霊力が集まるのを感じた直後、鋭利なつららが無数に生まれ、六花に向かって飛んできた。
六花は慌てる様子もなく宵闇に手をかけると、一閃。まだ六花まで距離があるつららすら、すべて爆散させた。
「へ?」
呆けた声を出し唖然とする男の隙を突いて一気に距離を詰めると、男の首を目がけて横から蹴りを入れた。
「ぐあっ」
恐ろしい勢いで吹っ飛んだ男はコンクリートの壁にめり込み痛みに悶えている。
これがもし人間だったなら首の骨が折れるどころの騒ぎではないが、あやかしは頑丈なので問題はない。それにちゃんと手加減はしている。
「どうします? 大人しく捕まるならばこれ以上痛い思いはしないで済みますよ?」
最後通告だ。
「な、なんなんだよ、聞いてねえぞ。力もまともに使えない落ちこぼれじゃねえのか……?」
男の言っていることは間違ってはいない。天鬼月においての六花の評価は誰に問うても『落ちこぼれ』と答えるだろう。
しかし、それはあくまで『あやかし最強』とうたわれる鬼の基準であると、目の前の男は忘れているようだ。いや、勘違いしているのかもしれない。
「どうせその情報も又聞きなんでしょうね。あなた、私が鬼だってこと忘れていませんか?」
鬼の六花が、身を隠しながら逃げるような雑魚に負けるものか。
ましてや六花は宵闇に選ばれる霊力の強さを持っており、その潜在的な力は、扱えないのが惜しいと暁天に評価されるほどだ。
さらに言うと、宵闇の力を使いこなせずとも六花は宵闇の選んだ主人であり、また、宵闇は神から授かった破邪の刀。霞の呪いを一時的に抑えたりと、その能力をまったく扱えないわけではなく、雑魚を捕獲するぐらいの力は使える。
とはいえ、六花が目指す相手は、力を発揮できていない不完全な宵闇でどうこうなる相手ではなかった。もっと強くあらねば簡単に負けてしまう。
自分だけならまだいいが、己の死はそのまま霞の死につながるとあって、六花の焦りも日に日に高まっていた。
普段落ちこぼれの六花に天鬼月としても任務は回ってこないのだが、まったくないわけではない。人手が足りない時は駆り出される時もある。
最小限に抑えられているのは、暁天が便宜を計らってくれているからだ。
六花の目的を暁天は知っているため、六花が落ちこぼれであることを逆手に取り、あまり任務が向かわないようにしてくれていた。
いつも人をおちょくってくるので面倒臭い暁天だが、彼がいるからこそ六花と霞は実力主義の一族の中で陰口を叩かれながらも平穏に暮らしていけている。
暁天がいなければ六花と霞を守ってくれる者はひとりとしていないだろう。
しかし、いつまでも暁天が現役でいられるわけではない。
考えたくはないが、生きている以上はいつか別れの時は来る。
自分がいなくなった後のことを暁天はとても気にしていた。
いつまでも暁天の影に隠れているわけにもいかないのだ。自分の力を一族に認めさせなくてはならない。
そのためには憂いとなる呪いの張本人を一刻も早く探し出さなければと、六花の焦燥感は日増しに高まっている。
呪いの件と一族に認めさせるのとは、違っているようでいて本質は同じだ。
呪いの主を見つけるには宵闇の力を使いこなす必要があり、宵闇の力を使えれば必然的に一族は六花を認める。
一石二鳥とポジティブに考えられればいいが、現実は残酷だ。どうしたら使いこなせるのか、それは当主である暁天にすら分からないのだから。
宵闇は自ら主人を選ぶという特殊性から文献も少なく、使用法などが書かれているわけでもない。
主として選ばれたのなら使えて当然という理屈で、誰も使い方を残そうとは思わなかったのだろう。
『誰でもいいから残してないんかい!』と、過去の文献を読み漁って絶叫したのは記憶に新しい。
もし自分が使いこなせるようになったら、後世のために恨みも込めて事細かに記してやるつもりだ。
「くそう。こんな暇があるのでしたら、あいつを探しに出かけたいというのに」
全速力で走りながらも息切れひとつしない六花はさすが鬼といったところか。
霊力は使いこなせずとも、あやかしとしての身体能力まで使えないわけではない。
本当は他の人間やあやかしにとってはそれだけでも脅威と言えるのだが、いかんせん一族の中で落ちこぼれ扱いされてばかりのため、六花は自分の能力を過小評価しがちである。
だが、そこらのあやかし程度に負ける気はないし、暁天も難しいと判断した任務を六花に任せはしないだろう。
つまり、今回の標的はさほど強い相手ではないということ。ならば恐れを抱く理由もなく、ただ時間が消費されることへの苛立ちが生まれるだけだ。
六花は宵闇をそっと撫でる。
いまだに使いこなせぬ宵闇は、もしちゃんと扱えるようになったらどれほどの力を発揮し助けとなってくれるのか、六花はまだ宵闇が秘めている力の一端を経験した試しがない。
もし使いこなせていたら、あの男をもっと早くに見つけられるかもしれないのに、現実は無常だ。
「けど、あの時はいつもと違う反応だった……」
六花はぽつりとひとり言を漏らす。
それは氷雨と会った時の話だ。宵闇がこれまで感じたことのない反応を見せていた。
なぜ?という疑問の答えを六花は持っていない。
「神の血を引いているから?」
宵闇はもともと神より与えられた神器なので、遥か昔仕えていた神子の血を濃く引く氷雨に反応するのはおかしくないのではないか。
そう仮説を立てるも、あくまで仮説であり、本当に氷雨に反応したのか分からない。
「もう一度確かめてみるべきかしら」
心の底から嫌だが、背に腹は代えられない。
それで宵闇を使いこなし呪いをかけたあの者の手がかりを得られるなら、毒を吐かれようが霞のために耐えきってみせる。
密かに決意を固める六花の視界に、目的の者らしき姿が飛び込んできた。
「あれね」
十階ほどの高さがあるビルの上から、遠目に男を発見する。手元にある写真と見比べて、対象者であるのを確認した。
どうやら、あやかしの中でも末端の種族のようだが、夜の闇に溶け込めば逃げられると思っているのだろうか。
夜であろうと鬼の五感をもってすれば、暗闇の中だろうと遠くからでもはっきりと相手の顔を視認できるというのに。
「あんなのに無駄な時間を割かなくちゃならないなんて」
くっと歯噛みしながら、問題を起こしたあやかしに対して怨嗟の念を抱きつつ隣のビルへと跳躍した。
六花は勢いを殺さぬまま突撃し、建物の陰から周囲をうかがっているあやかしのところに頭上から飛び込む。
はっと気配を察知したあやかしは六花の姿に気がついて距離を取ったが、六花の顔を見た途端、警戒していた表情をころりと変え安堵すら見せている。
いぶかしむ六花の前で、その男は安心したように笑い声を漏らす。
「ははっ、誰かと思えば知ってるぞ、お前……。天鬼月の落ちこぼれじゃないか」
「だからなんですか?」
「他の天鬼月の鬼だったらどうしようかと焦ったが、落ちこぼれが来るなんて俺もついてるぜ」
「へぇ、そう。それはよかったですね」
六花は気にせず男に一歩一歩近づいていく。それと同時に男は後ずさる。
「おい、来るな!」
「はいそうですかって、見逃すと思っているのですか?」
この男がなんの罪を犯して指名手配されているか、六花は興味ない。ただ、命令のままにこの男を捕えるという任務を遂行するだけだ。
「来るなって言ってるだろうがっ!」
男の霊力が集まるのを感じた直後、鋭利なつららが無数に生まれ、六花に向かって飛んできた。
六花は慌てる様子もなく宵闇に手をかけると、一閃。まだ六花まで距離があるつららすら、すべて爆散させた。
「へ?」
呆けた声を出し唖然とする男の隙を突いて一気に距離を詰めると、男の首を目がけて横から蹴りを入れた。
「ぐあっ」
恐ろしい勢いで吹っ飛んだ男はコンクリートの壁にめり込み痛みに悶えている。
これがもし人間だったなら首の骨が折れるどころの騒ぎではないが、あやかしは頑丈なので問題はない。それにちゃんと手加減はしている。
「どうします? 大人しく捕まるならばこれ以上痛い思いはしないで済みますよ?」
最後通告だ。
「な、なんなんだよ、聞いてねえぞ。力もまともに使えない落ちこぼれじゃねえのか……?」
男の言っていることは間違ってはいない。天鬼月においての六花の評価は誰に問うても『落ちこぼれ』と答えるだろう。
しかし、それはあくまで『あやかし最強』とうたわれる鬼の基準であると、目の前の男は忘れているようだ。いや、勘違いしているのかもしれない。
「どうせその情報も又聞きなんでしょうね。あなた、私が鬼だってこと忘れていませんか?」
鬼の六花が、身を隠しながら逃げるような雑魚に負けるものか。
ましてや六花は宵闇に選ばれる霊力の強さを持っており、その潜在的な力は、扱えないのが惜しいと暁天に評価されるほどだ。
さらに言うと、宵闇の力を使いこなせずとも六花は宵闇の選んだ主人であり、また、宵闇は神から授かった破邪の刀。霞の呪いを一時的に抑えたりと、その能力をまったく扱えないわけではなく、雑魚を捕獲するぐらいの力は使える。
とはいえ、六花が目指す相手は、力を発揮できていない不完全な宵闇でどうこうなる相手ではなかった。もっと強くあらねば簡単に負けてしまう。
自分だけならまだいいが、己の死はそのまま霞の死につながるとあって、六花の焦りも日に日に高まっていた。



