今回は側近も退出させて、六花と暁天だけが座っている。

 もうすぐ結婚相手が来るというのに、六花の表情は喜ぶどころか死んでいる。

 「これ、六花。もう少し笑顔を見せてはどうだ? これから二度目の顔合わせだというのに」

 「私にそういう対応を求めるのはあきらめてください」

 暁天にたしなめられるも、六花の表情筋は気持ちに忠実に動いてしまう。

 もともと、六花は愛想がいい方ではない。いや、まったくないという方が正しいかもしれない。

 常に淡々と、冷静で表情を崩さず、それを冷たいと評する者もいるが、六花の置かれている環境でニコニコ笑うことがどうしてできるだろうか。

 暁天には悪いと思うものの、愛想など振りまいて媚びるなどしたくはない。

 「調理場に行って、麦茶とめんつゆを換えてきてもいいですか?」

 そうしたらこの結婚を嫌がっていると言葉にせずとも伝わるのではないか。

 妙案だと思ったのだが……。

 「駄目に決まっておろうが。館の者を困らせるでない」

 地味すぎる嫌がらせに、暁天のツッコミもいつもより鋭い。

 だが、確かに館の料理人を巻き込むのはよろしくないなと、六花は早々にあきらめる。

 「まったく、その意地の悪さは誰に似たのか……。そなたの両親はこっちが心配になるほど善良だったというのに」

 「そのあたりは全部霞が持っていったので、私に性格のよさを求めないでください。底意地の悪さはきっとおじい様に似たのでしょう」

 暁天相手にここまではっきりと物申すのは六花ぐらいなものだ。

 実子ですら暁天相手には委縮してしまい、まともに話せない。なので六花の態度が嬉しいのか、多少無礼な物言いをしても暁天が六花を叱ることはない。

 むしろ喜ぶので、六花が口調を直すこともない。

 「底意地が悪いなどと、わしはこんなに優しく慈愛に満ちているというのに」

 シクシクと泣き真似をする暁天に、六花の向ける眼差しは冷たい。

 「慈愛? 誰の話をしてるんですか? 別の世界線のおじい様ですか?」

 「六花が冷たい!」

 「ところで、おじい様」

 軽く受け流す六花に、暁天も特になにも思わず返事をする。

 「どうした?」

 「一龍斎氷雨とはどんな人なのですか?」

 六花が知っているのはあくまで噂での氷雨だ。

 そうして会ってみたら、噂とは全然違うではないか。いや、一部であやかし嫌いだと言われていたが、それを信じている者はあやかしでもほぼいないほど好印象を持たれている。

 天鬼月と星影の関係性を考えると珍しい。

 「結婚するつもりはありませんが、どういう方か知っておかねば会話も成り立ちませんし」

 あわよくば弱みを手に入れ、それをネタに脅して破談に追い込みたいという思惑があるが口にはしない。

 「六花よ、そなた釣書を見ておらんな?」

 「そんなのありました?」

 「側近が渡しに行ったはずだ。これまでの経歴や一龍斎での立ち位置、彼の周辺の人間関係も調べた報告書と一緒に。側近が、全部まとめたら予想以上に分厚くなったと言っておったがな」

 六花には思い当たる節がひとつあった。

 「ああ、あの鈍器のようなファイルのことですか?」

 「恐らくそれであろう。その様子だと確認していないようだな、まったく……」

 「無茶言わないでください。どれだけ分厚かったと思っているんですか」

 ひと目見ただけで読む気をなくす分厚さだった。

 「そもそもあれが釣書だなんて初めて聞きましたよ。側近の怠慢では? もっとちゃんと教育してください」

 「その点については反論しようもないなあ」

 暁天は困ったようにため息をついた。

 暁天を至上の存在とする一族の中において、普通にやりとりをする六花は異質なのだ。六花が暁天に気に入られていることも、暁天に対して気安いことも、側近たちは気に食わない。

 自分たちの方が暁天の役に立っているという自負があるからこそ、孫というだけで目をかけてもらっている六花に嫉妬している。

 だが、誰がなんと言おうと、六花が暁天の孫であることに変わりはない。

 天鬼月の直系の姫を軽んじることは、ひいては暁天を軽んじることと同じ。

 気に食わないからと地味な嫌がらせをするような、公私を混ぜる無能を使い続ける暁天ではない。

 「また入れ替えねばならんなあ」

 暁天は至極面倒くさそうに、ひとつ息を吐いた。まるで明日の天気の話をするように軽く、すげ替えようとしている。

 「ついでに館の方の使用人もお願いします。また霞の陰口を叩いていやがりましたよ。舐めているのでしょうか」

 「それは許せんな」

 「ええ」

 六花は深く頷いた。

 「まあ、今は先に一龍斎のことです」

 六花はずっと、疑問に思っていた。

 たくさんいる孫たちの中で、自分が特に暁天に目をかけてもらっている自信はあった。

 そうでなくとも、暁天は理不尽な命令をしたりはしない。六花になにかを強要するなどこれが初めてだ。

 「そもそもどうして急にそのようなお話になったのですか?」

 自分には聞く権利があると、六花は暁天の向かいに座り直した。

 「一龍斎が神の血を引いているというのは知っているな?」

 きちんと説明してくれるのか、暁天は冗談交じりではなく真剣な表情で話す。

 「当然です」

 迷わず即答する六花だが、逆に知らない者などこの天鬼月家にはいない。

 「あやかしに対抗できるのは陰陽師と世間では認知されているが、神の血を引く一龍斎を越える人間などはいない。しかし、その一龍斎も時を経るごとに血は薄まり、それとともに力が弱まっている」

 「そのようですね」

 「もはや一龍斎だけで人の世を守るのは不可能。それゆえ、我が天鬼月家との協定を望んできた」

 「向こうからですか?」

 驚き目を丸くする六花は、一龍斎がどれほど矜持が高いかを知っている。

 役割としては天鬼月家も一龍斎家も同じだが、表向きは協力すると表明しつつ、実際のところ、この二家が協力体制を取ったことなどない。

 「その通りだ」

 「おじい様はそれを受け入れたということですよね?」

 「神の血を持つ一龍斎の力は、あやかしと人の調和のためになくてはならない存在だ。このまま天鬼月のみが力を持ったままでは、いずれあやかしと人のバランスが崩れ、あやかしがこの国を牛耳ってしまう」

 暁天は当主の顔で愁いを帯びた様子で語る。

 「ただでさえ、あやかしが人の世に出てからはあやかしの発言力が強まっているというのに、このままでは人の世はあやかしのものになってしまう。それだけは阻止しなくてはならない」

 正直なところ、鬼の六花からしたらそれのどこがいけないのか分からない。

 弱い者は(とう)()され、強い者が上に立つ。それは、あやかしでも人間でも動植物でも同じだろうに。

 それが自然の摂理だ。

 けれど、暁天は人間との共存共栄を望んでいる。

 そのあたりはもうひとつの(たい)()、鬼龍院とも意見が一致しているようだ。

 人間との共存共栄のために、人の側に立つ一龍斎の存在がなくてはならないのは六花も理解していた。

 「血が薄まっているからというのが理由のようですが、一龍斎氷雨ほどの力があるなら、わざわざ婚姻関係を結ぶ必要がありますか? 鬼たちですら恐れおののく人らしいのに」

 「だからこそだ。力の強い者がまだいる今だからこそ、今のうちに力のある次代を作る必要がある。天鬼月の強い霊力を血に取り込むことでな」

 「まるで種馬扱いですね。まあ、おじい様から彼の相手に選ばれた私も()()(ごと)ではありませんが」

 六花は嫌みたらしく、そう口にした。

 それはしっかりと暁天に伝わったようで、一瞬だけ苦い顔をした。

 「そう言うな。わしはそんなものは抜きにして、存外そなたたちは気が合うと思っているのだ」

 くくっと笑う暁天は、にべもない六花の言いようがツボに入ったようだ。

 誰のせいでこんな状況に陥ったと思っているのか。

 六花からしたら笑いごとではない。

 ただ、気になることはもうひとつある。

 「だいたい、一龍斎氷雨は一龍斎家の跡取りではありませんか。そんな彼がこの結婚を了承すると思えないのですが? 私に嫁に行けと?」

 現当主は氷雨の叔父であるが、もとは氷雨の父親が一龍斎の当主だった。

 氷雨の父親が亡くなったために、一時的に弟の日方が代理として当主を務めており、いずれ氷雨が継ぐと伝え聞いている。

 氷雨が当主を継ぐことに驚きはない。あやかしとやり合うためには、それ相応の実力が必要になる。

 ただ一龍斎の血を引いていればいいというわけではなく、ましてや、本来順当に行けば当主になっていたのだから、周囲が氷雨を当主にと望むのは当然の流れだ。

 そんな彼と結婚する相手は、当然嫁入りとなるだろう。

 しかし、六花には嫁入りできない理由がある。

 常に手元に置いている宵闇の存在だ。

 意思を持って、扱う主人を選ぶこの刀は、これまで幾人もの天鬼月の当主とともにあり、戦ってきた。

 それほどに大事な天鬼月の宝刀を持ったまま家を出るわけにはいかず、嫁入りとなれば刀を手放さなければならない。

 しかし、六花はこの刀の所有権を放棄するつもりは一切なかった。

 「やっぱり帰っていいですか?」

 六花だけでなく、確実に氷雨の方もこの結婚に反対しているに決まっている。

 「待て待て」

 「向こうが先に断ってきそうですし、時間の無駄でしょう。では」

 「待ちなさいと言っておるだろうに」

 六花はささっと撤収しようとしたが、目の前で一瞬燃え上がった金色の炎のせいで、たたらを踏む。暁天が霊力を使い六花の足を止めたのだ。

 暁天との力の差は圧倒的で、もし当たったら火傷では済まないだろう。暁天が六花を本気で傷つけるわけがないので驚かせるだけのものだろうが、鬼の一族ですら身がすくむ暁天の炎が目の前で燃え上がればひやりとする。

 六花は振り返り暁天をじとーっとにらんだ。

 「これは家同士の契約だ。向こうも断れんだろう」

 「いや、本人たちにやる気がないなら、せめて相手を変えたらどうですか?」

 「そうもいかん。先ほども六花が申したが、彼が一龍斎の跡取りだ」

 「ええ」

 わざわざ教えてもらうまでもない。

 「しかし、当主だった彼の両親はすでに亡くなっており、今は叔父が一時的に当主代理を務めている。当主代理は、早く当主の座を彼に引き継ぎたいと思っているんだ。それゆえ、先方は氷雨殿以外の者を立てるつもりはない」

 「つまり、天鬼月と契約する以上は、血統を大事にしたいと? ずいぶんと古い考えですね」

 「それが家同士の結束につながるならそうすべきだと考えている。特に人とあやかしの関係は一見すると良好なようで、まだまだ深い隔たりがあるのでな」

 「なら、私の方は別の誰かで構いませんね。おじい様の孫娘はたくさんいますし。では!」

 「待てと言うておるだろう」

 などと騒いでいると、六花が出ていくのを阻止するように側近が部屋の外から声をかけてきた。

 「ご当主様」

 「なんだ」

 六花と話していた時とは違い、威厳に満ちた声を発する暁天に、この変わり身の早さはさすがだなと六花は感心する。

 側近はそっと扉を開けて姿を見せるが、扉より先に入ってこようとはしない。

 なにやら怯えている?と六花が不思議に思っていると、側近はおずおずと口を開く。

 「申し訳ございません、ご当主様。先方が突然、来られないと……」

 「理由はなんだ?」

 「急用だと」

 「それだけか」

 側近は暁天の顔色をうかがいながら「はい……」と小さく返事をする。

 「他にはなにも言ってきておらんのだな?」

 「その通りでございます」

 「あい分かった。下がれ」

 「はっ!」

 しずしずと下がっていく側近が部屋を出て扉を閉めたのを確認し、六花は暁天に詰め寄った。

 「おじい様! あの人たちはいったいなんなのですか!? 急に約束を放棄しておきながらきちんとした説明をしないだなんて、天鬼月を侮っているとしか思えません。あれと結婚なんて絶対に無理です! うっかりあの世に葬りそうになります!」

 先ほど側近が怯えていた理由を理解する。この軽んじた扱いに、暁天が怒り出さないか心配していたのだ。

 六花は先日の氷雨とのやりとりもあって、怒りも足されている。

 しかし、義を通さぬ一龍斎側の行いに激昂する六花とは逆に、暁天は冷静で、仕方なさそうに微笑んでいる。

 「これこれ、不穏な発言をするでない。落ち着きなさい」

 「無理です! そもそも、私が嫌がっているのはご存じではありませんか。せっかく毒霧まで準備したのに取り上げられたし……」

 使えず残念無念だ。

 「当然だ、馬鹿たれ。結婚の顔合わせに毒霧を用意してくる花嫁がどこにいる」

 あきれ果てている暁天。

 六花はどうにか破談にできないかと考えた結果、毒霧を準備して袖に忍ばせていたのだ。

 ちゃんと人間には害がない成分で作ったお手製である。めちゃくちゃ臭いが。

 だがしかし、あっさりと暁天に見つかり没収されてしまった。

 もっと分からないようにしっかり隠しておけばよかったと後悔したが、目ざとい暁天はそれでも気がついただろう。

 「それに、両家の結びつきを強めるものなのだから、毒霧を浴びせようが、鼻にわさびを突っ込もうが、先方が断ってくることはないぞ。逆もまた然りだ」

 やれやれという様子で説明してくる暁天に、六花はちっと舌打ちをした。

 「無理無理無理無理」

 まるで呪文のように嫌がる六花の脳裏には、天使のような微笑みで毒づく氷雨の声が木霊(こだま)していた。

 「そこまで嫌がらんでもいいだろう。気が合いそうに見えたが?」

 「どこがです!? 険悪そのものだったではありませんか! あのエセ紳士風におじい様は騙されていますよ! あの性悪の化けの皮をいつか剥がしてやります。そうすればおじい様もきっとこの結婚が益にならないとお分かりになるはずです! そうじゃなくとも絶対に嫌ですがっ!」

 一触即発だった六花の様子のどこをどう見たら気が合いそうに思うのか、疑問でしかない。本気でそう見えていたなら眼鏡をお勧めする。

 「だいたい、私がこんなに嫌がっているのに結婚を進めようとするなんて、横暴にもほどがあります! 他にまともな人間がたくさんいるでしょうに! どうしてよりによってあんなのと結ばせようとするんですか!?」

 六花の剣幕に、暁天はくくくっと笑う。

 「六花がそこまで感情を見せる相手など、わしや霞以外には知らんがな」

 「それは……」

 確かに否定できない。

 普段、六花は一族の前で感情を高ぶらせることはない。喜びも悲しみも……。

 なぜなら、六花を見下す紫電のような者の前でそのような感情を表に出せば、格好の的になってしまうからだ。

 つけ込む隙を与えないため、普段は冷静に淡々と、決して弱みなど見せないよう心がけている。

 なにをしても六花の反応が悪いのが不満なのか、最近の紫電は妹の霞を引き合いに出すことが多くなった。

 唯一の六花の弱点とも言えるそこを突けば、六花が感情を揺さぶられ顔に出すのが分かっているからだ。どうしようもない性悪である。

 六花も六花で、わざと煽られていると分かりながら、霞のこととなるとどうしても理性より感情が先に出てしまう。

 しかし、それ以外では暁天すら感心するほどのポーカーフェイスだ。

 とはいえ、六花も人形ではない。きちんと感情があり、それを出す相手を選んでいるにすぎない。

 六花が遠慮なく感情を出せるのは霞と、そして目の前にいる暁天だけだ。

 昔はその中に両親も含まれていたが、〝あの夜〟にすべてが変わってしまった──。

 とはいえ、氷雨の裏表の激しさを垣間見た後では感情的にもなろうというもの。

 あそこまで態度に出されてしまうと、分かり合うのは間違いなく不可能だと感じた。六花の方から歩み寄るつもりはないし、向こうの発言からも嫌がっているのがよく分かる。

 実際、今日突然予定をキャンセルしてきたのも、そのあたりの理由があるのではないだろうか。

 誰に対してもあのような無礼千万な態度なのかは知らないが、少なくとも六花は仲良くなどできない。

 「やっぱり、チェンジを要求します!」

 「馬鹿を言うんじゃない。性格は合わずとも見た目はどうだ? 人間とは思えぬほどイケメンじゃったろ?」

 「その見た目を(りょう)()するほど性格に難がありすぎます! 無理ですから!」

 「わしの見てない間になにがあったか知らんが、恐らく向こうも六花にだけは性格についてとやかく言われたくないと思うぞ」

 その言葉を聞いて六花がぎろりとにらみつければ、暁天はほほっと楽しげに笑う。

 それからも、暁天があれやこれやと餌をちらつかせて説得を試みていたがすべて無視を貫いた。

 その場に暁天の側近がいたなら、六花に対してそれはもう刺すような視線を向けていただろう。

 ただ、視線だけで済むのは、その場に暁天がいるからでもある。いない場所ならチクチクネチネチと嫌みを次から次に垂れ流されることは想像にたやすい。

 だからこそ、普段は他者の前では六花も暁天を『ご当主様』と呼び、一線を置くのである。暁天は不満なようだが、六花の平穏のためにはあきらめてもらうしかない。