氷雨たちの姿が見えなくなっても興奮が冷めやらぬ様子の六花を前に、暁天はふうとため息を漏らした。

 「そこへ座りなさい、六花」

 「はい」

 そこは素直に従い、板張りの洋間に置かれた重厚感のある椅子に座っている暁天の斜め横に座る六花に、暁天は問う。

 「なにがあった?」

 「それよりも、突然結婚と言い出したり、すぐに顔合わせをさせたりと、横暴がすぎるのではありませんか?」

 「当主の命令だ」

 「ええ、それが納得のいくものでしたら従います。ですが、どうして結婚という話になったのか理由が分かりません。しかもどうして私なのですか?」

 理由をきちんと教えてもらわなければ納得などできようはずもない。

 相手があのような者ならなおさらだ。いくら暁天の命令であろうと、受け入れられそうもない。

 一族から畏怖される暁天を前にしても臆することなく目をそらさない六花に、暁天は手のひらを返すように頬を緩ませた。

 「おじいちゃーん、お・ね・が・い♪と愛らしく呼んでくれたら教えてやらんこともないぞ」

 「…………」

 表情こそまだ当主としての威厳をかろうじて保っていたが、先ほどまでの他を圧倒するような空気は空の彼方へ飛んでいき、六花の目は死んだ。

 そして、控えていた数名の側近はそっと視線をそらした。どうやら見ざる聞かざるを貫くようだ。

 なんとも言えぬ空気となり、六花もまた聞かなかったことにして無言で立ち上がると出口へと向かう。

 それを慌てて止める暁天。

 「こらこら、待ちなさいっ!」

 「ご当主様の冗談に付き合っている時間はありませんので失礼させていただきます」

 「冗談ではない。一龍斎との結婚は決定事項だ」

 「他の方にお任せします」

 なにも暁天の孫は六花だけではないのだから、六花である必要はない。

 「そなた以外に任せるつもりはない」

 そこでようやく六花は振り返り、暁天と目を合わせる。

 「どうして私なのですか?」

 「天鬼月の一族の中で誰より強い霊力を持っているからだ」

 「……使いこなせていなければ、ないのと同じです。どれほどの力を持っていようと、結局なんの役にも立ちません」

 表情が陰る六花を、暁天はなにを考えているか分からない表情で見つめる。

 「だが、刀はそなたを選んだ。これは変えようのない事実だ」

 六花と違い揺らぎのない力強い言葉が六花の耳にすっと入ってくる。

 六花は手に持っている刀に目をやった。

 漆黒よりなお黒く、どんな色にも染まらない高貴さを感じさせる(さや)に収まった刀の名前は『(よい)(やみ)』という。

 意思を持つとされる宵闇に選ばれるのは、天鬼月に生まれる者にとってはこの上ない名誉だ。

 天鬼月のすべての当主が刀に選ばれたわけではないが、この刀に選ばれた者は例外なく天鬼月の当主となっている。

 それほどに天鬼月にとって特別な意味を持つ刀は、現当主である暁天ではなく六花を選んだ。

 ゆえに六花は一応、天鬼月の当主候補のひとりになっている。

 宵闇に選ばれながら候補のひとりにすぎないのは、六花の力量が大きく関係していた。

 「強い霊力があるから宵闇が反応しただけです。使いこなせないならどうしようもないでしょう? 宝の持ち腐れではありませんか。もし選ばれたのが他の候補者なら、もっと宵闇を使いこなせていたはずです。それこそ紫電とか」

 「だが、宵闇は紫電ではなくそなたを選んだ」

 「そうですね。おかげで私にはまだ霞を助ける手段が残っています……」

 これを幸運と言わずしてなんと呼ぶのか。

 六花はぐっと目を(つむ)る。

 脳裏に浮かぶ、忘れようにも忘れられない憎い男の顔。あの男が相手では、いくら紫電の力でも太刀打ちできない。

 本当は、使えないなら宵闇を手放すべきだと分かっている。

 周囲からもそういった圧をあからさまに感じている。

 けれどいまだに手元に置いているのは、宵闇さえあれば霞を助けられるという、もしもの可能性を捨てきれずにいるからだ。

 あの男と渡り合うために、宵闇の力は必要不可欠だから……。

 六花はなにがあって宵闇にすがるしかなく、誰にも譲るわけにはいかないのだ。

 「……今、結婚など考えられません。あの男を見つけるまでは」

 覚悟を決めた強い眼差しが暁天に向けられる。

 暁天はふっと小さく口角を上げた。

 「一族の中ではそなたを役立たずだの、落ちこぼれだの言っているようだが、このわしの目を真っ向から受け止める者がいったい何人いるだろうか? あの傲岸不遜な紫電ですら、わしの目を真っ直ぐに見つめることはできないというのに」

 六花は苦虫を()み潰したような顔をした。

 力があるだけの六花とは違い、いとこの紫電はきちんと天鬼月の力を使いこなせている。

 落ちこぼれだなんだと陰口──もはや陰でなく聞こえるように言われているが、そんな声を至る方向から向けられる六花とは真逆の立場にいるのが紫電だ。

 まだ当主の選定はされていないが、一族のほとんどの者が紫電を次期当主と認めている。宵闇を持つ六花など目に入っていないかのように。

 「あやつときたら、わしを見ても一瞬だけ。それも、まるで(おび)えた子ウサギのような目をしよる。精いっぱい虚勢を張っているようだがな。見ていて愉快……かわいそうでならん」

 うっかり本心が漏れ出ている暁天に、六花はため息をつく。

 すぐに取り繕ったが、すでに口から出た後では意味がない。

 「紫電はおじい様とあまり関わりがないからでしょう」

 「ふむ、やっとおじい様と言ったか」

 満足そうに(あご)(ひげ)()でる暁天の言葉に『しまった』という表情を浮かべた六花は、すぐに不満そうな顔に変える。

 「誰からもおじい様と呼ばれないのが悲しいと嘆いているからではありませんか」

 「仕方ないであろう? 他の子や孫らはまだしも、霞までわしを怖がるのだから。なにをしたわけでもないのに霞に怖がられるわしを()(びん)に思わんのか?」

 「実際に怖いからでは?」

 「なんと冷たいっ」

 暁天はシクシクと袖で目元を拭う仕草をするが、まったく目元は濡れていない。

 六花はこの茶番を冷めた目でやり過ごす。

 親族からすら畏怖される暁天がこんなに茶目っ気のある性格をしていると知っている者は少ないだろう。

 六花も両親の存在がなければ知らないままだったはずだ。

 暁天を親ではなく主人として見る子供たちの中で、六花の両親だけは暁天に軽口を叩くほど仲が良かった。

 六花が気安くなるのは、潜在的に持っている霊力が高いだけでなく、そんな両親をそばで見て育ったからだろう。

 そんな両親ももういない。暁天を当主としてではなく家族として接するのは、もはや六花だけになってしまった。

 「(うそ)泣きはそれぐらいにしてください。話が進みませんから」

 「まったく、そなたの両親ならノリノリで付き合ってくれたというのに、誰に似たのやら……」

 「少なくともおじい様でないのは確かですね。本当に心からよかったです」

 むしろ似ていると言われたら絶望しているところだ。

 「まあよい。なんにせよ、一龍斎との結婚は決定事項だから、結婚式の時はちゃんとおめかしするのだぞ」

 「ですから、私にはやることがあるんです! 結婚なんてしてる暇はなんてありません!」

 「先ほども言ったが、これは決定事項だ」

 それまでの茶化した様子とは違い、当主の顔で話し始めた暁天に、六花もそれ以上否定の言葉を発せなくなる。

 唯一冗談を言い合える孫ではあるが、暁天が一族の全権を握る当主であることに変わりはなく、天鬼月家で生きる以上は当主の命令は絶対なのだ。

 「……他にも候補となり得る孫娘がいる中でどうして私なのか、やはり()に落ちないのですが?」

 じとーとした眼差しを向ける六花を前にして、暁天はくっと笑う。

 「すべては必然。神の思し召しだ」

 「はあ? どういう意味でしょうか?」

 「相手を知るようになれば分かる。それこそ星の巡り合わせのように、決められた運命なのだよ」

 それ以上の言葉は必要ないというように、暁天は六花を置いて部屋から出ていった。暁天に続いて側近たちも退出していく。

 残された六花が納得できるはずもない。

 「あのくそじじい。いっつも重要なところはけむに巻くんだから。意味分かんない……」

 六花の声は、側近すらいなくなった部屋に静かに落ちた。

 力の強さが必要なら自分でなくてもいい。候補者の中には同年代の女性だって他にいるのだから。

 悔しいが、それこそ六花よりも力を自在に操れる候補者がたくさんいる。

 「…………」

 じっと窓の外の空を見つめて考え込む六花は大きなため息をついた。

 「まったく、おじい様ときたら……」

 六花はとりあえず霞のところへ戻ろうと部屋を後にした。