とりあえず、聴きこみは大事。
というわけで、ウン十年前からこのアパートに住んでいる管理人のおばあちゃんに話を聴いてみることにした。まだ部活に行くまでには時間がある。
「ああ、こんにちは仁君。土曜日も学校かしら?」
「おはようございます、佐藤さん」
「もう、苗字じゃなくて佳代子さんって呼んでくれって言ってるじゃないの。佐藤、だと旦那も佐藤だから紛らわしいってかんじがしちゃって嫌だわ。それに、他人行儀なのは好きじゃないの」
「す、すみません。佳代子、さん」
管理人小屋はアパートの前にある。軽く三十年前から管理人をやっているというのが、年齢不詳の高齢女性である佐藤佳代子だ。背筋は伸びているししゃきしゃきと喋る(というか喋りすぎる)し、目も耳もしゃっきりしているようだが――本人の言動からして、実は百歳を超えている疑惑もある人物である。見た目だけだと、まだ六十代と言われても充分通りそうなのだが。
「今日は、部活は夕方からなので。それより、ちょっとお尋ねしたいことが」
小屋の前には大きな窓があり、カウンターのように開くようになっている。住人が彼女に用事がある時は、このカウンターの窓ごしに話すのが一般的だった。ちなみに、佳代子はこの家に住み込みだが、そもそも本人が現在住んでいるのが隣の家である。時々、自宅とこの小屋を行ったり来たりしているそうなので住み込みと言っていいのかはちょっと微妙だ。
なお、旦那さんも時々小屋に招かれてお茶している。仕事中にそれでいいのかどうかはわからない。いかんせん、ゆるいアパートだ。本人が地主の知り合いで管理人を任されたそうなので、多少のんびりしていてもそうそう叱られないのだろうが。
「俺の部屋……303号室なんですけど。あそこ、事故物件とかじゃないですよね?誰かが亡くなったりとか、そういうこと過去にありました?不動産屋さんは、誰かが死んだあとに別の人が住むと告知義務がなくなっちゃうみたいだから……」
「ああ、確かにそういう話よねえ」
佳代子はお茶を飲んでいたところだったらしく、その手にはしっかり湯呑が握られている。カウンター席に置いてほかほかと手を温めながら頷いた。
「でも、303号室って、あなたの前に住んだのは単身者の女性だし、その前辺りも確か女性のカップルの方でしたし……さらにその前の人もおかしな人ではなかったと思うわよ?亡くなったなんてこと、あたしの記憶ではないわね。三十年以上ここで管理人やってるんだけど」
うーん、と首を傾げる佳代子。
「あ、でも、お化けは出るかもしれないわね!ここ便利だけどボロボロだから結構人の入れ替わりは激しいんだけど、妙な苦情が出ることはあったような気がするわ」
「妙な苦情?」
「ええ、そうよ。えっと……確かそうね、仁君が引っ越して来る前のことよ。実は貴方が入るまで二カ月ほど、303号室は空家だったんだけど。その下の203号室に住んでる田中さんから苦情があったの。夜中に上の階で若い男の泣き声がしてうるさいからなんとかしてくれって。……おかしいわよねえ。303号室はその時空家で、誰も住んでなかったのに。ついでに言うなら302号室は中年のご夫婦で、304号室は今も空家よね」
「ま、マジっすか……」
仁は思わず、自分の部屋の方を見てしまった。若い男の声。十中八九、久遠である。夜中に泣いていたなんて話は聞いていない。後できちんと問いただす必要があるだろう。
「それから……もう随分前のことだけど。そう、十年くらい前かしら?303号室で金縛りにあった、なんて人もいたわね!あ、ひょっとしたら仁君も経験したの、金縛り?」
「……平たく言うそんなかんじです」
「まあ!あたし、幽霊とか全然見たことないの、ホラー小説も映画も大好きなのに!いつか経験したいと思ってるんだけど、この様子だとその前に寿命が尽きてしまいそうだったのよね。ねえねえ、金縛りってどんなかんじ?あたしもそちらにお邪魔したら経験できるかしら!?」
「なんでそんなにテンション高いんすか!?」
おかしい。普通金縛りと聞いたらビビるところだろうに、なんでこんな前のめりなのかこのおばあさんは!仁は白目を向きそうになりながらツッコミを入れた。久遠といい、自分の周りにはボケが多すぎやしないだろうか。おかげで望んでもいないのにツッコミに走らざるをえなくなっているような気がする。
――それに、あいつ女性にも年輩者にも多分興味ないぞ!金縛りは経験させてもらえないんじゃないかな……。
心の中でさらにツッコミを重ねる。実際に幽霊も見ました、なんて言うのはやめにしておこうと決める。言ったら無駄話がさらに長くなりそうだ。
「……やっぱり、303号室で何かあったってことじゃないですかね」
仁はげっそりしながら言った。
「303号室で事件とか、本当になかったんですか?特に……二十年くらい前に。人が死んだとかじゃなくても、例えば暴力とか火事とか事故とか、そういう騒動があったってだけでも。そもそも二十年くらい前にどんな人が住んでたか覚えてません?」
「二十年前?やけに具体的ね」
「な、なんとなくそれくらい前じゃないかと思っただけです!ほら、十年前にもなんか騒いだ人がいたなら、それより前に何か起きたと思うのが自然でしょ!?」
「ええ、そうね。そういうことにしておくわね」
ああ、これは絶対バレてる。にやにやと楽しそうに笑って、佳代子は“ちょっと待っててね”と言って立ち上がった。ごとり、と湯呑がカウンターに置かれる。いそいそと奥の部屋の方へ引っ込んでいった彼女は、暫くして青いファイルのようなものを何冊か持ち出してきた。
「未だに紙で管理されてるのよ、ここの帳簿」
どうやら、二十年ほど前に誰が住んでいたか調べてくれるつもりらしい。こっちとしてはありがたいが、個人情報保護の観点からすると結構不味いような気がしないでもない。――まあ、佳代子みたいな相手にそんな指摘はするだけ野暮なのかもしれないが。
「ペーパーレスの時代に古いわよねー。まあ、あたしとしては今更あの大量の帳簿をExcelに入力してくれとか言われたら御免被るんだけど」
「え、佳代子さんパソコンできるんすか」
「馬鹿にしないで頂戴、スマホだって使いこなしてるわよ。ユーチューブに歌ってみた動画だってアップしてるんだから。インスタグラムもきっちりやってるのよ?スマホもパソコンもやればやるほど楽しくていいわよね!」
「す、すげ……」
今時の年配者、侮りがたし。でも確かに、これからは物心ついた時にはパソコンや携帯があった世代がどんどん老人になっていくわけだ。社会人になった時にはもう、ある程度パソコンスキルが必要だったケースも多いことだろう。時代は確実に変わっていくもの。年輩者だって、スマホとパソコンが使えなければ困ることは間違いない。最近は、スマホのアプリでないとクーポンが取れませんなんてことも少なくないわけだし(さすがに、あれはスマホを持ってない人に不親切すぎるだととは思うのだが)。
「うちのアパートって入れ替わりは激しいんだけど、それでもながーく住む人もいないわけじゃないのよね。便利なエリアなのは間違いないから、高いマンションに引っ越したいとか安全を買いたいって気持ちがないなら悪くない物件だと思うわけ。あたしは嫌だけどね、お風呂とトイレが別になってないのも、キッチンが錆びてるのも」
「あ、はは……」
「あたしも記憶を辿ったんだけど、確か2005年くらいまで……303号室に長く住んでた男性がいたような気がするのよ。あ、これでも結構記憶力には自信があるの。都合の良いことはすぐ忘れられるけど!」
それは自慢になるんだろうか。心の中でさらにツッコミを重ねていると、彼女ファイルを一つ取り出してパラパラと捲った。そして、やっぱりそうだわ、と頷く。
「1990年から、2005年まで。十五年くらい、あのアパートの303号室には同じ人が住んでいたわ。確か、高校の先生ね。黒須ヶ丘高校の、男の先生よ」
黒須ヶ丘高校は知っている。というか、知らないはずがないと言えばいいか。なんせ、都内でもトップを争う名門市立高校だ。歴史も古い。中学時代、何度もあの学校の制服を見ては“俺には絶対入れない学校だわ”と思った記憶がある。まあ、偏差値の問題のみならず、男子校に入るのはちょっと、と思ったというのもあるけれど。
ちなみに、制服はブレザーだが、久遠が着ている制服とはデザインが大きく異なっている。とても見間違えるようなものではない、と言っておく。
「その人って、何か問題でもやらかしたんですか?」
仁が尋ねると、どうだったかしら?と彼女は首を傾げた。
「ご近所の人とちょっと揉めることくらいはあったかもしれないけど、そこまではあまり覚えてないわねえ。……少なくともその部屋で死んだとか、大きな事件を起こしたなんてことはなかったはずよ」
「そうですか……」
じゃあその人は関係ないのだろうか。仁がそう思いかけた時だった。
「あ、気になることといえば。その先生のところにはよく、学校の生徒さんが出入りしてたってことね。勉強を教えてるんだと言ってたわ」
「生徒……」
思わず目を細める。黒須ヶ丘高校の生徒ということは、100%男子だ。もしや、その生徒が久遠である、なんて可能性はあるだろうか。
その子の顔は覚えてますか、と尋ねようとして意味がないことに気づいた。現在、自分は彼の写真を持っていない。持っていたところで、心霊写真だからそうそう見せるわけにもいかない。あとで似顔絵でも描いて見せようかな、なんてことを思う。まあ、流石に二十年前にちょっと出入りしていたくらいの生徒の顔を、佳代子が覚えているかは怪しいけども。
「……その男の先生って、名前なんて言いますか?写真とか、あったりしませんよね?」
大切なのはこっちだ。管理人なら、直接喋る機会もあったはず。その人物と久遠がなんらかの関わりを持っているなら、その人物のことを尋ねることで久遠の記憶も戻るかもしれない。
「写真はないの、ごめんなさい」
ただ、と佳代子は続けた。
「名前は、鹿島雄二さん。結構筋肉質で、大柄な先生だったわね。教師よりも、スポーツマンって言われた方が納得がいくほど」
名前を知れたのはありがたい。ありがたいが、それ簡単に自分に教えていいものなのだろうか。
――ま、まあいいか。
とりあえず、ここまで聴いたなら久遠に尋ねてみてもいいだろう。そう結論を出す、仁なのだった。
というわけで、ウン十年前からこのアパートに住んでいる管理人のおばあちゃんに話を聴いてみることにした。まだ部活に行くまでには時間がある。
「ああ、こんにちは仁君。土曜日も学校かしら?」
「おはようございます、佐藤さん」
「もう、苗字じゃなくて佳代子さんって呼んでくれって言ってるじゃないの。佐藤、だと旦那も佐藤だから紛らわしいってかんじがしちゃって嫌だわ。それに、他人行儀なのは好きじゃないの」
「す、すみません。佳代子、さん」
管理人小屋はアパートの前にある。軽く三十年前から管理人をやっているというのが、年齢不詳の高齢女性である佐藤佳代子だ。背筋は伸びているししゃきしゃきと喋る(というか喋りすぎる)し、目も耳もしゃっきりしているようだが――本人の言動からして、実は百歳を超えている疑惑もある人物である。見た目だけだと、まだ六十代と言われても充分通りそうなのだが。
「今日は、部活は夕方からなので。それより、ちょっとお尋ねしたいことが」
小屋の前には大きな窓があり、カウンターのように開くようになっている。住人が彼女に用事がある時は、このカウンターの窓ごしに話すのが一般的だった。ちなみに、佳代子はこの家に住み込みだが、そもそも本人が現在住んでいるのが隣の家である。時々、自宅とこの小屋を行ったり来たりしているそうなので住み込みと言っていいのかはちょっと微妙だ。
なお、旦那さんも時々小屋に招かれてお茶している。仕事中にそれでいいのかどうかはわからない。いかんせん、ゆるいアパートだ。本人が地主の知り合いで管理人を任されたそうなので、多少のんびりしていてもそうそう叱られないのだろうが。
「俺の部屋……303号室なんですけど。あそこ、事故物件とかじゃないですよね?誰かが亡くなったりとか、そういうこと過去にありました?不動産屋さんは、誰かが死んだあとに別の人が住むと告知義務がなくなっちゃうみたいだから……」
「ああ、確かにそういう話よねえ」
佳代子はお茶を飲んでいたところだったらしく、その手にはしっかり湯呑が握られている。カウンター席に置いてほかほかと手を温めながら頷いた。
「でも、303号室って、あなたの前に住んだのは単身者の女性だし、その前辺りも確か女性のカップルの方でしたし……さらにその前の人もおかしな人ではなかったと思うわよ?亡くなったなんてこと、あたしの記憶ではないわね。三十年以上ここで管理人やってるんだけど」
うーん、と首を傾げる佳代子。
「あ、でも、お化けは出るかもしれないわね!ここ便利だけどボロボロだから結構人の入れ替わりは激しいんだけど、妙な苦情が出ることはあったような気がするわ」
「妙な苦情?」
「ええ、そうよ。えっと……確かそうね、仁君が引っ越して来る前のことよ。実は貴方が入るまで二カ月ほど、303号室は空家だったんだけど。その下の203号室に住んでる田中さんから苦情があったの。夜中に上の階で若い男の泣き声がしてうるさいからなんとかしてくれって。……おかしいわよねえ。303号室はその時空家で、誰も住んでなかったのに。ついでに言うなら302号室は中年のご夫婦で、304号室は今も空家よね」
「ま、マジっすか……」
仁は思わず、自分の部屋の方を見てしまった。若い男の声。十中八九、久遠である。夜中に泣いていたなんて話は聞いていない。後できちんと問いただす必要があるだろう。
「それから……もう随分前のことだけど。そう、十年くらい前かしら?303号室で金縛りにあった、なんて人もいたわね!あ、ひょっとしたら仁君も経験したの、金縛り?」
「……平たく言うそんなかんじです」
「まあ!あたし、幽霊とか全然見たことないの、ホラー小説も映画も大好きなのに!いつか経験したいと思ってるんだけど、この様子だとその前に寿命が尽きてしまいそうだったのよね。ねえねえ、金縛りってどんなかんじ?あたしもそちらにお邪魔したら経験できるかしら!?」
「なんでそんなにテンション高いんすか!?」
おかしい。普通金縛りと聞いたらビビるところだろうに、なんでこんな前のめりなのかこのおばあさんは!仁は白目を向きそうになりながらツッコミを入れた。久遠といい、自分の周りにはボケが多すぎやしないだろうか。おかげで望んでもいないのにツッコミに走らざるをえなくなっているような気がする。
――それに、あいつ女性にも年輩者にも多分興味ないぞ!金縛りは経験させてもらえないんじゃないかな……。
心の中でさらにツッコミを重ねる。実際に幽霊も見ました、なんて言うのはやめにしておこうと決める。言ったら無駄話がさらに長くなりそうだ。
「……やっぱり、303号室で何かあったってことじゃないですかね」
仁はげっそりしながら言った。
「303号室で事件とか、本当になかったんですか?特に……二十年くらい前に。人が死んだとかじゃなくても、例えば暴力とか火事とか事故とか、そういう騒動があったってだけでも。そもそも二十年くらい前にどんな人が住んでたか覚えてません?」
「二十年前?やけに具体的ね」
「な、なんとなくそれくらい前じゃないかと思っただけです!ほら、十年前にもなんか騒いだ人がいたなら、それより前に何か起きたと思うのが自然でしょ!?」
「ええ、そうね。そういうことにしておくわね」
ああ、これは絶対バレてる。にやにやと楽しそうに笑って、佳代子は“ちょっと待っててね”と言って立ち上がった。ごとり、と湯呑がカウンターに置かれる。いそいそと奥の部屋の方へ引っ込んでいった彼女は、暫くして青いファイルのようなものを何冊か持ち出してきた。
「未だに紙で管理されてるのよ、ここの帳簿」
どうやら、二十年ほど前に誰が住んでいたか調べてくれるつもりらしい。こっちとしてはありがたいが、個人情報保護の観点からすると結構不味いような気がしないでもない。――まあ、佳代子みたいな相手にそんな指摘はするだけ野暮なのかもしれないが。
「ペーパーレスの時代に古いわよねー。まあ、あたしとしては今更あの大量の帳簿をExcelに入力してくれとか言われたら御免被るんだけど」
「え、佳代子さんパソコンできるんすか」
「馬鹿にしないで頂戴、スマホだって使いこなしてるわよ。ユーチューブに歌ってみた動画だってアップしてるんだから。インスタグラムもきっちりやってるのよ?スマホもパソコンもやればやるほど楽しくていいわよね!」
「す、すげ……」
今時の年配者、侮りがたし。でも確かに、これからは物心ついた時にはパソコンや携帯があった世代がどんどん老人になっていくわけだ。社会人になった時にはもう、ある程度パソコンスキルが必要だったケースも多いことだろう。時代は確実に変わっていくもの。年輩者だって、スマホとパソコンが使えなければ困ることは間違いない。最近は、スマホのアプリでないとクーポンが取れませんなんてことも少なくないわけだし(さすがに、あれはスマホを持ってない人に不親切すぎるだととは思うのだが)。
「うちのアパートって入れ替わりは激しいんだけど、それでもながーく住む人もいないわけじゃないのよね。便利なエリアなのは間違いないから、高いマンションに引っ越したいとか安全を買いたいって気持ちがないなら悪くない物件だと思うわけ。あたしは嫌だけどね、お風呂とトイレが別になってないのも、キッチンが錆びてるのも」
「あ、はは……」
「あたしも記憶を辿ったんだけど、確か2005年くらいまで……303号室に長く住んでた男性がいたような気がするのよ。あ、これでも結構記憶力には自信があるの。都合の良いことはすぐ忘れられるけど!」
それは自慢になるんだろうか。心の中でさらにツッコミを重ねていると、彼女ファイルを一つ取り出してパラパラと捲った。そして、やっぱりそうだわ、と頷く。
「1990年から、2005年まで。十五年くらい、あのアパートの303号室には同じ人が住んでいたわ。確か、高校の先生ね。黒須ヶ丘高校の、男の先生よ」
黒須ヶ丘高校は知っている。というか、知らないはずがないと言えばいいか。なんせ、都内でもトップを争う名門市立高校だ。歴史も古い。中学時代、何度もあの学校の制服を見ては“俺には絶対入れない学校だわ”と思った記憶がある。まあ、偏差値の問題のみならず、男子校に入るのはちょっと、と思ったというのもあるけれど。
ちなみに、制服はブレザーだが、久遠が着ている制服とはデザインが大きく異なっている。とても見間違えるようなものではない、と言っておく。
「その人って、何か問題でもやらかしたんですか?」
仁が尋ねると、どうだったかしら?と彼女は首を傾げた。
「ご近所の人とちょっと揉めることくらいはあったかもしれないけど、そこまではあまり覚えてないわねえ。……少なくともその部屋で死んだとか、大きな事件を起こしたなんてことはなかったはずよ」
「そうですか……」
じゃあその人は関係ないのだろうか。仁がそう思いかけた時だった。
「あ、気になることといえば。その先生のところにはよく、学校の生徒さんが出入りしてたってことね。勉強を教えてるんだと言ってたわ」
「生徒……」
思わず目を細める。黒須ヶ丘高校の生徒ということは、100%男子だ。もしや、その生徒が久遠である、なんて可能性はあるだろうか。
その子の顔は覚えてますか、と尋ねようとして意味がないことに気づいた。現在、自分は彼の写真を持っていない。持っていたところで、心霊写真だからそうそう見せるわけにもいかない。あとで似顔絵でも描いて見せようかな、なんてことを思う。まあ、流石に二十年前にちょっと出入りしていたくらいの生徒の顔を、佳代子が覚えているかは怪しいけども。
「……その男の先生って、名前なんて言いますか?写真とか、あったりしませんよね?」
大切なのはこっちだ。管理人なら、直接喋る機会もあったはず。その人物と久遠がなんらかの関わりを持っているなら、その人物のことを尋ねることで久遠の記憶も戻るかもしれない。
「写真はないの、ごめんなさい」
ただ、と佳代子は続けた。
「名前は、鹿島雄二さん。結構筋肉質で、大柄な先生だったわね。教師よりも、スポーツマンって言われた方が納得がいくほど」
名前を知れたのはありがたい。ありがたいが、それ簡単に自分に教えていいものなのだろうか。
――ま、まあいいか。
とりあえず、ここまで聴いたなら久遠に尋ねてみてもいいだろう。そう結論を出す、仁なのだった。



