ラブリー・ゴースト!~事故物件で幽霊に好かれた俺~

 自分はまだ、久遠に対して恋愛感情なんてものは抱いていないはずだ。少なくとも仁は、そう思っていた。今まで女の子以外を可愛いと思ったことはなかったし、生々しい話をするのであれば下半身のオカズにしたことがあるのだって肉感的な美女ばかり。男とそういうことをするなんて想像したこともないし、それ以前にキスだって考えたことなどなかった。
 そう、久遠と出逢うまでは。



『今、ここで俺にキスして。さっきの女優さんにするみたいに』



 久遠にそう言われた時、確かに自分は逡巡した。でもそれは、キスをするのに不快感があったからではない。自分の気持ちと、彼の気持ち。双方を鑑みて、果たしてキスなんてしてしまっていいのかと思ったからだ。
 結局、彼の方の意思ですり抜けてしまったけれど――キスしていいと思ったのは。そして実行しようとしたのは。結局のところ、嫌ではなかったからに他ならない。
 いや、もういい加減誤魔化すのはよそう。
 キスをしたいと思ったのだ。仁自身が、彼と。

――それでも。それはまだ、親愛のキスの範囲だ。そう思ってた。俺にとって、あいつはちょっと厄介な同居人で、いると楽しくて居心地の良い……弟みたいなやつなんだって。でも。

 鹿島から話を聴いて、悶々としたまま家路を急ぐ。明るい駅前の通りを抜けて、高架下のまだ閉まっている居酒屋と自販機の前を通り過ぎて。
 ひたすら、自問自答を繰り返していた。鹿島の言う通り、最終的にどうするのかを決めるのは久遠だろう。でもそれはそれとして、帰るまでに自分自身の気持ちをきちんと整理しておくべきだと仁は思ったのだ。
 自分はほとんど傍観者として話を全て聞いた。実際、久遠の身に起きた全ての事件は、二十年前に終わってしまったことで。今を生きる仁にとっては、まったく関わりのないことに他ならない。それこそ事務的に久遠に情報だけ伝えればいいという考え方もあるし、そもそも厄介なことに巻き込まれないためにさっさとアパートを引き払ってしまうという選択肢だって自分にはあるはずだ。
 それなのに、己の久遠への気持ちをきちんと考えたいと思うのは――己が、後悔しないために他ならないのである。



『ずっとこんな生活が続いてほしいと、本気でそう思っていました。久遠君は頭が良い子だったので、将来は有名な国立大学に行くことを目指していましてね。教師か、公務員か……いずれにせよ、先生のように人に役立つ仕事がしたいと、そう言ってくれてましたよ』



 彼等は確かに、お互いを想い合っていた。唯一無二の恋をしていた。
 それを聴いた時己の胸に湧きあがった苦しさは、その理由は。



『……本当はずっと、待っていたんです。誰か私を裁いてくれ、この醜い人生を終わらせてくれと。……君が此処に来たのは、運命だったのでしょう。どうか、久遠君には全てを伝えてください。私は此処にいます。呪うのなら、私からアパートに出向いてもいいです。どうか……どうかけじめをつけさせてください』



 その上で。鹿島に頭を下げられた時、自分が彼を殴りたいと思ってしまったのは。
 果たして、ただ久遠のことを思ったからだろうか。彼への同情?憐憫?共感?――それだけ?

――ああ、わかってるよ。それだけじゃなくなりつつあるんだって。

 異性愛者だと思って生きてきた身である。この気持ちが恋だと断言するにはあまりにも早すぎる。そもそも、恋愛感情と友情の境目がどこにあるのかがいまいちよくわかっていないのだ。誰かが言っていた――友情は、セックスのない恋愛だと。実際、恋愛したところで必ずしも体を繋げるとは限らないだろう。身体的事情で、宗教的都合で、あるいはそれぞれの信念に基づいてセックスをしない恋を選択することだってあるはずだ。ならばそれは、友情と一体どのような差があるのか?結婚したいと思わなければ恋ではない?ならば事実婚は?大体、これからの時代同性で結婚可能な法律ができないなんて保証がどこにある?
 結局その線引きなんて曖昧なもので。だとしたら、今すぐ答えを出す必要はないのかもしれなかった。己が、その境界線に立ってしまったという自覚があるのなら。どのような意味であっても、彼のことを好きになったのだと理解できたのであれば。

――……まだ、もやもやした気持ちはあるけど。

 仁の気持ちと打って変わって、綺麗に晴れた空の下。仁はアパートの前に立ち、深呼吸をした。

「……行くか」

 帰るか、ではなく。今だけは、自宅に出陣でもしにいくような気分だった。
 間違ってはいないのだろう。決着をつけにいく、そういう意味では。



 ***



「あれ、仁?帰るの早かったね」

 帰宅すると、久遠が目を丸くしていた。仁が何処に行ったのかは彼にも伝えていたはず。それなのに、まるでいつも通りのような態度を取る彼がおかしくて、どこか可哀想にもなった。
 怯えているのを、必死になって隠しているのが見えるようで。

「悪いけど、まだ洗濯機回してて……お昼作ってないよ。うーんどうしようかな。もう少し時間かかると思ってたから、考えてなくて……今日はサンドイッチとか軽めのものでもいい?」

 ゴウンゴウンと洗濯機が回っている音がする。洗濯物は毎日朝洗うことにしてはいるが、久遠は洗濯物を出さない関係で結局現れるのは仁の使う衣類やタオルのみである。大した量ではないし、少ない日なら二日に一度の洗濯でも事足りるほど。つまり、まわす時間もそこまで長くなくていいはずなのである。
 それなのに、まだ洗濯は“洗い”の状態だった。例の高校に行くため仁が少し早起きした時、ちゃんと久遠も起きていたのに。見送りもしてくれて、時間がなかっとは思えないのに。

――いつものお前なら、この時間にはとっくに洗濯干して、昼飯も作り置きしておいただろ。

 それをしていないのはつまり。彼も彼で、長い時間考え事をしたり、虚無になっていたからではなかろうか。
 実際、己の真実を知るのが一番怖かったのは、他でもない久遠であるはずだ。

「……それでいいし、なんならもう少し遅くてもいい。それより前に、お前とちゃんと話がしたい。鹿島雄二に、全部話を聴いてきたから」
「……っ」

 鹿島雄二。
 その名前を出すと、久遠は少しだけ体を震わせる。それでももう、あの時のようにパニックになるようなことはなかった。きっと時間をかけて、本人なりに気持ちを落ち着けて待っていたのだろう。

「……一応、聴いた内容を話すより前に言っておく。想像できてるだろうけど、気持ちの良い話じゃねえ。というか、結構胸糞悪い話も含まれてる。鹿島先生本人もそれがわかっていて、なんならお前に呪い殺されても構わないしむしろそうしてほしいとまで言っていた。……俺によく似た、マッチョな先生だって話だけどな。二十年しか過ぎてないはずなのに、随分と年取ってるように見えたよ。この二十年は、あの人にとってもよっぽど重かったんだろうな」

 だからといって、彼がやったことが許されるわけではないし、許されたいと鹿島も思ってはいないだろう。
 彼にも彼の事情があったわけだし、何より本人が久遠を殺したわけではない。久遠と別れて、お見合い結婚を選んだことだって何もかも責められるわけじゃない。本当に悪いのは、そうする他なかった社会の仕組みと、理解がなかった彼の両親や親戚だと言えなくもないのだから。
 それでも。結果として、彼は己の人生から久遠を切り捨てて、見放して逃げ出した。自分の世間体と幸せを守る、そのために。それは紛れもない事実だ。

「だから、聴きたくないとお前が本当に思うなら、俺は話さない」
「え」
「そうなったらお前は……多分、俺が死ぬかお前が悪霊になるかするまでずっとこの状態なんだろうけど。お前がそうしたいっていうなら、俺はその気持ちを尊重する。尊重して、このまま傍にいる。俺は……俺は自分の気持ちに答えが出てねえし、恋愛感情なのか友情なのかはっきりわかってねえけど。それでも、お前の事は好きだし、一緒にいたいって気持ちもあるからだ。実際、お前とイチャついてたっていう鹿島先生の話を聴いてちょっと嫉妬したしな」

 嘘じゃない。
 きっと鹿島にしか見せなかった久遠の顔があるんだろうなと思ったら、明らかに胸の奥がもやもやして止まらなくなったのだから。

「……つまり、その。その上で……お前には選んで欲しい。まずは話を聴くか、聴かないかを」
「仁……」

 どっかりと床に座って尋ねる仁に。少し悩んだ末、久遠も目の前に座ってきたのだった。
 不思議なものだ。久遠もあぐらを掻いて座っているのに、なんだか妙な品がある。鹿島の話が本当ならば、彼だって育ちが良い人間とは言えないだろうに。

「もし俺が成仏しなかったら、俺はこのまま幽霊としてこの部屋に居座るんだよ?仁は、迷惑だったんじゃないの?」

 不安そうな久遠の顔に、思わず笑ってしまった。間違いなく最初はそうだったはずだと思い出したからだ。

「うんうん、迷惑だった。つか、いきなり夜中に金縛りしてきて、しかも下半身狙ってくるとかありえねーだろ!ホラーとBLエロゲを同時に演出しようとすんじゃねーよばーか!」
「うう、ごめんなさい!つい欲望に負けて……!」
「ついじゃねーよ本気で怖かったんだよこっちは!……でもまあ、お前あれから気を付けてくれてるし?それに……一人暮らしの淋しい部屋に、お前みたいなやつが一緒にいるのも悪くないなーって思うようになったしな。まあ、ちょっと愉快な後輩とルームシェアしてるようなもんだと思えば」
「前向きすぎない?」
「おうそうだ。俺は根本的には前向きな奴なんだ」

 だから、と仁は続ける。

「前向きに、俺とお前の未来を考えたいんだ。俺は、お前がどっちの選択をしても尊重する。尊重したいっていうのが、俺の意思だから」

 生きて傍にいてほしいという願いは、もう最初から叶わないことが決まっているのだから。
 ならば、せめて。

「……俺は」

 しばしの沈黙の後、久遠は口を開いたのだった。

「本当の事を知るのがずっと怖かったし、今でも怖いけど。成仏なんかしないで、仁の傍にいたい気持ちもあるけど。……でも、やっぱり知るべきだって思う。このまま、自分の記憶や人格が削れていくのは……やっぱその方が、辛いや」
「そうか」
「だから、聴かせて。仁が聴いてきた、全てを」
「……おう」

 その場に座り直し。仁は、鹿島から聴いた話をまるまる全て久遠に話したのだ。
 それは、過去を振り返るためではない。
 未来を選ぶための、決意として。