アポもなしにいきなり突撃したわけである。本来、問答無用で追い返されてもおかしくなかったし、その時はその時で別の手を考えなければいけないなとは思っていた。
しかし意外にも警備室にかけあって話をしてもらったところ、あっさりと学園内に入れて貰えたのである。明らかに『鹿島先生に用事』『久遠君という友達のことで話がある』というキーワードで態度が変わった様子だった。ひょっとしたら、似たような用件で他にも尋ねてくる者がいたのか。それとも――案外、鹿島雄二という男も来訪者を待ち望んでいたのか。
「こちらへどうぞ。鹿島先生を呼んできますんで」
「は、はい……」
大学生だとは名乗ったし学生証も見せたが。それでも、得体のしれないガタイのいい男には間違いない。それなのに、警備室どころか応接室に通されてお茶まで出されてしまった。仁は正直、居心地が悪くなって黒い革張りソファーの上でもぞもぞとしてしまう。こんな部屋、ドラマの中でしか見たことがない。
そう、学園ドラマで、校長先生と理事長先生が秘密の会談をしているとか。あるいは、特別なお客様をお通しする部屋という印象なのだ。茶色い壁には、どこかの花畑のような風景画が飾られている。素横の硝子張りの棚の上には、ずらずらと何やらトロフィーのようなものが。説明書きを見るに、この鹿島実業学院という学校は剣道部や柔道部が強いらしい。剣道部準優勝、柔道部三位入賞、なんて文字が躍っている。
――な、なんという場違い。せめて、もう少しまともな服でも着てくれば良かったか?
ジーパンにTシャツなんてカジュアルすぎる服装で来るのはなかった。いかんせん、大学の入学式の時に着ていたスーツは筋肉がついたせいもあってほぼパンパンで着れなくなってしまっているのである。ただでさえ身長190cm超えの大男で、体重もあるのだ。就職活動する時はまたスーツをオーダーメイドしなければならなくなることは必至である。いや、まさかこんな短期間で肩がつっかえるようになるとは自分でも思っていなかったわけだが。
――まだマッチョになるかもしれねえしなあ。服は、割と真面目に考えねえと……。
そんなことをつらつら考えて数分。コンコン、とドアがノックされた。
「失礼、入りますよ」
「あ、はい……」
いや、これ自分が失礼している側じゃないのかな。そんなことを思っていると、ドアががちゃりと開いて一人の男性が顔を出したのだった。
頭にはだいぶ白髪が混じっている。身長は高いが、そこまでがっしりしているわけでもない。中肉中背の男、それも想像していたよりも年が行っているように見える。仁は訝しく思った。まさか彼が、鹿島雄二だろうか?イメージしていた人物とは、随分違うのだが。
「初めまして。私が、ここで教員をやっております鹿島です」
戸惑っていると、向こうが先におじぎをして挨拶をしてきた。想像していたよりずっと謙虚な印象。仁は慌てて立ち上がり、こちらこそ初めまして!と頭を下げる。
「お、俺……財前北大学一年生の、橋本仁といいます!柊久遠君の、友達で……」
「ええ、伺っています。どうぞ、座ってください」
「は、はいっ……」
なんだろう、無駄に緊張する。思っていたより物腰の柔らかい人物が出てきて戸惑っているのもある。もっとこう、スポーツマンらしい威圧感のある人物を想像ていたのに。
――これが、鹿島先生?
想像していたよりずっと年が行っている印象。眼鏡は老眼鏡だろうか。その奥に、ややタレ目気味の茶色がかった瞳が覗いている。
正直、久遠を捨てた屈強な男の先生、というイメージが強かったのだ。だから、相手次第では文句の一つも言ってやろうと考えていたのである。正直、毒気を抜かれたようなものと言えばいいだろうか。とても、教え子の恋人を置き去りにするような人物には見えない。
もちろん人は見た目に寄らないものなので、優しい顔をしているからといって本当に優しい人間とは限らないのだが。そもそも、高校教師の鹿島雄二があのアパートで久遠と逢っていて、恋仲だったのに彼を捨てていなくなった――というのはあくまで現時点での仁の予想である。本当はただの教師と教え子、だったのかもしれない。まあ、ただの教師と教え子なのに、教え子に地味系とはいえコスプレをさせるのかと言われると微妙なところなのだが。
「……君は」
お互い座ったものの、どこから話せばいいのか。迷っていると、鹿島の方から口を開いた。
「君は、久遠君とどういうお友達でしょう?」
「え、えっと、その……」
どれくらい正直に話せばいいのだろう。仁が躊躇っていると、鹿島が話を続けてくる。
「私と久遠君は、教師と教え子という関係でした。かつて黒須ヶ丘学園にいた時の、ですけどね。……でもきっと貴方は……私達がそれだけの関係ではなかったことを知った上で、此処にいるのでしょう?」
「そ、それは……」
「もう二十年くらい前になりますね。……貴方はきっと、過去私が犯した罪を裁くために、ここに来たのでしょうね。私は結局、彼を見捨てて一人で逃げ出したのですから。自分だけが、幸せになるために……」
「…………」
少なくとも、鹿島は久遠が死んだことを知っている。だから本人が此処に来ないことをわかっていると、そう直感した。
ゆえに、迷った末、仁は本当のことを話そうと決意する。恐らく、鹿島もそれを望んで此処にいるのだろうから。
「……俺は、現在“サイオンヒルズ浅田”というアパートの303号室に住んでます。聞き覚えはあるはずです。二十年ほど前、あなたが住んでいたアパートのはずですから」
ふかふかのソファーの上で、座り直す。ぎしり、と妙に大きな音が鳴った。
「俺には、零感とかそういうものは全然ないです。アパートが事故物件だって話も聴いてません。ただ単に大学に通うのが便利で、金がない大学生でも住めるくらいの安い家賃のアパートってだけで借りたんですけど。……そうしたら、その部屋に幽霊が出たんです。俺みたいなマッチョが好きなんだって笑う……高校生くらいの、男の子。髪が長くて一つ結びにしていて……八鎖学園とかって書いてあるピンバッチの学校の制服を着てる子です。心当たり、ありますよね?」
「――っ!」
仁の言葉に、鹿島はくしゃりと顔を歪めて――それから何度も頷いた。
「ええ、ええ。……あります。……間違いなく、久遠君です。覚えています。けして、忘れたことなど一度もありませんでしたから」
「俺、幽霊を見たと言ってるんですよ?そんなにあっさり信じるんですか?」
「当たり前です。だって私はこの二十年間、彼のことを忘れられた日など一日たりともなかったのですから。……やっぱり、成仏できてなかったんですね。そりゃそうだ。あんな風に捨てられて、成仏できるはずがない。あの子はまだ、私は住んでいたあの部屋に囚われて……うう……っ」
涙をぽろぽろと流し始める、老人と呼んで差支えない見た目の男性。困惑するのは仁の方だ。彼は、久遠を捨てていなくなった人間ではないのか?自分の意思でそうしたのではないのか?
それなのに何故、こんな罪悪感にまみれた顔をしているのだろう。あのアパートを引き払った理由は。黒須ヶ丘学園をやめた理由は。そして今この鹿島実業学院にいて、仁の呼出しにあっさり応じた理由は。
「お、俺は……」
地縛霊になっている。それをあっさり信じられるほどの事件が、二人の間にはあったということなのか。突然泣き始めた男に焦りながらも、仁は言葉を重ねた。
「俺は、その。幽霊にマジでびびって、でも向こうも話ができる俺にびびって……多分、たまたま波長が合ったとか、そういう理由だと思うんですけど。それで話を聴いたら、久遠は自分の名前こそ憶えてたけど、それ以外のことはほとんど覚えてないみたいなこと言うんです。何であの部屋に自分が囚われてるのかもわからないって。……久しぶりに喋ることができる生きた人間が現れて、嬉しかったみたいで」
久遠の記憶は、死んだ時のショックで消えたのか。それとも、長い年月をかけて少しずつ剥がれていったのかはわからない。
実のところ今でも、その記憶を取り戻すのが本当に正しいのかわからないのだ。
『おれ、本気だったんだよ?先生のこと、本当に好きだったんだよ?なのに、先生にとっては、俺なんか、所詮、あ、ああ、あ』
鹿島雄二。
その名前を出しただけで、彼の中で何か堪えていたものが切れてしまった光景を見た。
それほどまでのトラウマを呼び起こしていいものか、仁にはわからない。でも。
「……あいつの過去に何があったのか確かめて、あいつの正体を知って。そうじゃないと、多分成仏させてやれないと思ったんです。だから……あの部屋に昔住んでいた鹿島先生の存在を知って、貴方の所を尋ねました。実際、久遠は鹿島先生の名前を聴いたら酷く動揺していたんです」
「そう、ですか……久遠君が……」
「お願いします。俺は、あいつを救ってやりたいんです。そりゃ幽霊だけど……空気読めないところもあるけど。一緒にいて、結構楽しいというか。甲斐甲斐しいというか、かわいいといころもあるというか……と、とにかく、いつの間にか友達みたいになってて。それでその、できることはしてやりたいなって思って、だから……!」
仁自身が、久遠に対する感情に名前をつけられないままここにきている。そのせいで、どうにも言葉に脈絡がない。
段々と何言ってるかわからなくなりながらも告げると、鹿島は一言“わかりました”と言った。
「お話します。私が知っていることすべて」
ポケットからハンカチを取り出して、目元をぬぐう男。
「きっとようやく……私も罰を受けるべき時が来たと、そういうことなのでしょうから」
しかし意外にも警備室にかけあって話をしてもらったところ、あっさりと学園内に入れて貰えたのである。明らかに『鹿島先生に用事』『久遠君という友達のことで話がある』というキーワードで態度が変わった様子だった。ひょっとしたら、似たような用件で他にも尋ねてくる者がいたのか。それとも――案外、鹿島雄二という男も来訪者を待ち望んでいたのか。
「こちらへどうぞ。鹿島先生を呼んできますんで」
「は、はい……」
大学生だとは名乗ったし学生証も見せたが。それでも、得体のしれないガタイのいい男には間違いない。それなのに、警備室どころか応接室に通されてお茶まで出されてしまった。仁は正直、居心地が悪くなって黒い革張りソファーの上でもぞもぞとしてしまう。こんな部屋、ドラマの中でしか見たことがない。
そう、学園ドラマで、校長先生と理事長先生が秘密の会談をしているとか。あるいは、特別なお客様をお通しする部屋という印象なのだ。茶色い壁には、どこかの花畑のような風景画が飾られている。素横の硝子張りの棚の上には、ずらずらと何やらトロフィーのようなものが。説明書きを見るに、この鹿島実業学院という学校は剣道部や柔道部が強いらしい。剣道部準優勝、柔道部三位入賞、なんて文字が躍っている。
――な、なんという場違い。せめて、もう少しまともな服でも着てくれば良かったか?
ジーパンにTシャツなんてカジュアルすぎる服装で来るのはなかった。いかんせん、大学の入学式の時に着ていたスーツは筋肉がついたせいもあってほぼパンパンで着れなくなってしまっているのである。ただでさえ身長190cm超えの大男で、体重もあるのだ。就職活動する時はまたスーツをオーダーメイドしなければならなくなることは必至である。いや、まさかこんな短期間で肩がつっかえるようになるとは自分でも思っていなかったわけだが。
――まだマッチョになるかもしれねえしなあ。服は、割と真面目に考えねえと……。
そんなことをつらつら考えて数分。コンコン、とドアがノックされた。
「失礼、入りますよ」
「あ、はい……」
いや、これ自分が失礼している側じゃないのかな。そんなことを思っていると、ドアががちゃりと開いて一人の男性が顔を出したのだった。
頭にはだいぶ白髪が混じっている。身長は高いが、そこまでがっしりしているわけでもない。中肉中背の男、それも想像していたよりも年が行っているように見える。仁は訝しく思った。まさか彼が、鹿島雄二だろうか?イメージしていた人物とは、随分違うのだが。
「初めまして。私が、ここで教員をやっております鹿島です」
戸惑っていると、向こうが先におじぎをして挨拶をしてきた。想像していたよりずっと謙虚な印象。仁は慌てて立ち上がり、こちらこそ初めまして!と頭を下げる。
「お、俺……財前北大学一年生の、橋本仁といいます!柊久遠君の、友達で……」
「ええ、伺っています。どうぞ、座ってください」
「は、はいっ……」
なんだろう、無駄に緊張する。思っていたより物腰の柔らかい人物が出てきて戸惑っているのもある。もっとこう、スポーツマンらしい威圧感のある人物を想像ていたのに。
――これが、鹿島先生?
想像していたよりずっと年が行っている印象。眼鏡は老眼鏡だろうか。その奥に、ややタレ目気味の茶色がかった瞳が覗いている。
正直、久遠を捨てた屈強な男の先生、というイメージが強かったのだ。だから、相手次第では文句の一つも言ってやろうと考えていたのである。正直、毒気を抜かれたようなものと言えばいいだろうか。とても、教え子の恋人を置き去りにするような人物には見えない。
もちろん人は見た目に寄らないものなので、優しい顔をしているからといって本当に優しい人間とは限らないのだが。そもそも、高校教師の鹿島雄二があのアパートで久遠と逢っていて、恋仲だったのに彼を捨てていなくなった――というのはあくまで現時点での仁の予想である。本当はただの教師と教え子、だったのかもしれない。まあ、ただの教師と教え子なのに、教え子に地味系とはいえコスプレをさせるのかと言われると微妙なところなのだが。
「……君は」
お互い座ったものの、どこから話せばいいのか。迷っていると、鹿島の方から口を開いた。
「君は、久遠君とどういうお友達でしょう?」
「え、えっと、その……」
どれくらい正直に話せばいいのだろう。仁が躊躇っていると、鹿島が話を続けてくる。
「私と久遠君は、教師と教え子という関係でした。かつて黒須ヶ丘学園にいた時の、ですけどね。……でもきっと貴方は……私達がそれだけの関係ではなかったことを知った上で、此処にいるのでしょう?」
「そ、それは……」
「もう二十年くらい前になりますね。……貴方はきっと、過去私が犯した罪を裁くために、ここに来たのでしょうね。私は結局、彼を見捨てて一人で逃げ出したのですから。自分だけが、幸せになるために……」
「…………」
少なくとも、鹿島は久遠が死んだことを知っている。だから本人が此処に来ないことをわかっていると、そう直感した。
ゆえに、迷った末、仁は本当のことを話そうと決意する。恐らく、鹿島もそれを望んで此処にいるのだろうから。
「……俺は、現在“サイオンヒルズ浅田”というアパートの303号室に住んでます。聞き覚えはあるはずです。二十年ほど前、あなたが住んでいたアパートのはずですから」
ふかふかのソファーの上で、座り直す。ぎしり、と妙に大きな音が鳴った。
「俺には、零感とかそういうものは全然ないです。アパートが事故物件だって話も聴いてません。ただ単に大学に通うのが便利で、金がない大学生でも住めるくらいの安い家賃のアパートってだけで借りたんですけど。……そうしたら、その部屋に幽霊が出たんです。俺みたいなマッチョが好きなんだって笑う……高校生くらいの、男の子。髪が長くて一つ結びにしていて……八鎖学園とかって書いてあるピンバッチの学校の制服を着てる子です。心当たり、ありますよね?」
「――っ!」
仁の言葉に、鹿島はくしゃりと顔を歪めて――それから何度も頷いた。
「ええ、ええ。……あります。……間違いなく、久遠君です。覚えています。けして、忘れたことなど一度もありませんでしたから」
「俺、幽霊を見たと言ってるんですよ?そんなにあっさり信じるんですか?」
「当たり前です。だって私はこの二十年間、彼のことを忘れられた日など一日たりともなかったのですから。……やっぱり、成仏できてなかったんですね。そりゃそうだ。あんな風に捨てられて、成仏できるはずがない。あの子はまだ、私は住んでいたあの部屋に囚われて……うう……っ」
涙をぽろぽろと流し始める、老人と呼んで差支えない見た目の男性。困惑するのは仁の方だ。彼は、久遠を捨てていなくなった人間ではないのか?自分の意思でそうしたのではないのか?
それなのに何故、こんな罪悪感にまみれた顔をしているのだろう。あのアパートを引き払った理由は。黒須ヶ丘学園をやめた理由は。そして今この鹿島実業学院にいて、仁の呼出しにあっさり応じた理由は。
「お、俺は……」
地縛霊になっている。それをあっさり信じられるほどの事件が、二人の間にはあったということなのか。突然泣き始めた男に焦りながらも、仁は言葉を重ねた。
「俺は、その。幽霊にマジでびびって、でも向こうも話ができる俺にびびって……多分、たまたま波長が合ったとか、そういう理由だと思うんですけど。それで話を聴いたら、久遠は自分の名前こそ憶えてたけど、それ以外のことはほとんど覚えてないみたいなこと言うんです。何であの部屋に自分が囚われてるのかもわからないって。……久しぶりに喋ることができる生きた人間が現れて、嬉しかったみたいで」
久遠の記憶は、死んだ時のショックで消えたのか。それとも、長い年月をかけて少しずつ剥がれていったのかはわからない。
実のところ今でも、その記憶を取り戻すのが本当に正しいのかわからないのだ。
『おれ、本気だったんだよ?先生のこと、本当に好きだったんだよ?なのに、先生にとっては、俺なんか、所詮、あ、ああ、あ』
鹿島雄二。
その名前を出しただけで、彼の中で何か堪えていたものが切れてしまった光景を見た。
それほどまでのトラウマを呼び起こしていいものか、仁にはわからない。でも。
「……あいつの過去に何があったのか確かめて、あいつの正体を知って。そうじゃないと、多分成仏させてやれないと思ったんです。だから……あの部屋に昔住んでいた鹿島先生の存在を知って、貴方の所を尋ねました。実際、久遠は鹿島先生の名前を聴いたら酷く動揺していたんです」
「そう、ですか……久遠君が……」
「お願いします。俺は、あいつを救ってやりたいんです。そりゃ幽霊だけど……空気読めないところもあるけど。一緒にいて、結構楽しいというか。甲斐甲斐しいというか、かわいいといころもあるというか……と、とにかく、いつの間にか友達みたいになってて。それでその、できることはしてやりたいなって思って、だから……!」
仁自身が、久遠に対する感情に名前をつけられないままここにきている。そのせいで、どうにも言葉に脈絡がない。
段々と何言ってるかわからなくなりながらも告げると、鹿島は一言“わかりました”と言った。
「お話します。私が知っていることすべて」
ポケットからハンカチを取り出して、目元をぬぐう男。
「きっとようやく……私も罰を受けるべき時が来たと、そういうことなのでしょうから」



