私は気づけば赤い提灯の灯るお祭りの中にいた。
薄暗い闇の中、提灯の明かりに照らされた出店が立ち並んでいる。
誰もがお面をつけて、ジンベエや浴衣を着てお祭りを楽しんでいるようだ。
――どうしてこんなところにいるんだろう。
まったく思い出せない。
人ごみの中頭をひねって見るけれど、少しも心当たりがない。
「あら貴方。お面もつけずにどうしたの?」
目の前には、闇のように黒いまなこの少女がいた。
小学生くらいだろうか。背丈は私より小さい。
重めの前髪がその大きな目の真上でまっすぐ切られている。
――黒い、着物?
真夏のお祭りのはずなのに、その子はしっかりした着物を着ていた。
少なくとも周りの人達のような浴衣ではない。
そして足元にはサビ柄の、尾が二つにさけた猫がいる。
一人と一匹は、流動する人々の間に突っ立って通行を妨げている。
「ね、ねこ……?」
「ええ。おたまさんよ」
少女はおたまさんを抱きあげようとして、するりと逃げ出されている。
おたまさんは人々の隙間を縫うようにして先へ行ってしまう。先には赤い鳥居がある。
しかし少女は少しも気にせずお面を差し出した。太陽のような奇妙なお面だ。
「お面、いらないの?」
「わ……私は、いい、かな」
少女はそう、と引きさがった。
猫を追うように鳥居へ向かってしまう。
私はどうしようもない不安に駆られて彼女をおいかけた。
「あの、貴方は?」
「私は寧子。おたまさんの通訳」
寧子ちゃん。猫の通訳。
不思議な響きだけれど彼女には似合っている気がした。
私は彼女の後を追いながらいくつも質問を投げかける。
「ここは何処?」
「そんなこと大した問題じゃないわ」
お祭りへ向かう人々の列に逆らっていく。
おたまさんは途中途中で振り返りながらすいすい歩いていく。
「おたまさんって何者? 何で尻尾が分かれているの?」
「猫又だからよ。私の目上の猫」
おたまさんの後を追うほど人ごみが減っていく。
昔もこうやって迷子になった。
あの時もこんな夏祭りの日だったと思う。
――その時は、あれ?
私は鮮明に覚えていたあの恐怖が、すとんと抜けていることに気づいた。
思わず立ち止まる。
おたまさんも、寧子ちゃんも立ち止まっている。
その黒々としたひとみがまっすぐ私を射貫いている。
「ねえ、どこに行くの?」
私は震える唇で、どうにか笑顔を作った。
でも彼女たちは光の反射しない真っ黒い空洞のような目を私に向けるばかりだ。
「そんなこと大した問題じゃないわ」
おたまさんはつまらなさそうにあくびをしている。
寧子ちゃんの言葉に私は数歩後ずさった。
鳥居から出る直前、私たちは立ち止まった。
「私、そっちには行きたくない」
「どうして? 暗くて静かでいいところよ」
寧子ちゃんは先に進もうと急かしている。
私は怖くなってもう一歩後ろにさがった。
「私、そっちにはいけない」
「……そう」
にゃあん、とおたまさんが鳴いた。
ゆらゆらと赤錆色した尻尾が揺れて引き返してくる。
「そう思えるうちに帰りなさい。おたまさんが案内してくれるそうよ」
私は無我夢中でおたまさんについていった。
何度も他人にぶつかりそうになった。
でもおたまさんの後をついていけば、するすると抜けていけた。
やがて、私の身体は急に重くなった。
全身が重くて指先すら動かせない。
なんとか瞼を持ち上げる。
真っ暗な闇の世界に光が入った。
「目を覚ましました!」
「涼子さーんわかりますかー?」
目だけを動かせば全身に管が繋がっていた。
私はずきずきする頭の中であの世界のことを思った。
――あの闇の世界は、境界の世界だったんだ。
私はそこに一人残される寧子ちゃん。
なんだかとてもかわいそうに思えた。
でも彼女のことも、おたまさんのことも、夢の中にとろけて忘れ去ってしまった。
△▼△▼△▼△▼△
「おたまさん、お疲れ様でした」
私は帰ってきたおたまさんを出迎えた。
おたまさんは私の膝に座って丸くなった。
「はい、いつものように」
ねぎらいながら全身を撫でる。
手のひらに頭突きをするように頭をのばしてくる。
もちろん両手をつかってマッサージをする。
「今度来た時、お話を聞かせてね」
薄暗い闇の中、提灯の明かりに照らされた出店が立ち並んでいる。
誰もがお面をつけて、ジンベエや浴衣を着てお祭りを楽しんでいるようだ。
――どうしてこんなところにいるんだろう。
まったく思い出せない。
人ごみの中頭をひねって見るけれど、少しも心当たりがない。
「あら貴方。お面もつけずにどうしたの?」
目の前には、闇のように黒いまなこの少女がいた。
小学生くらいだろうか。背丈は私より小さい。
重めの前髪がその大きな目の真上でまっすぐ切られている。
――黒い、着物?
真夏のお祭りのはずなのに、その子はしっかりした着物を着ていた。
少なくとも周りの人達のような浴衣ではない。
そして足元にはサビ柄の、尾が二つにさけた猫がいる。
一人と一匹は、流動する人々の間に突っ立って通行を妨げている。
「ね、ねこ……?」
「ええ。おたまさんよ」
少女はおたまさんを抱きあげようとして、するりと逃げ出されている。
おたまさんは人々の隙間を縫うようにして先へ行ってしまう。先には赤い鳥居がある。
しかし少女は少しも気にせずお面を差し出した。太陽のような奇妙なお面だ。
「お面、いらないの?」
「わ……私は、いい、かな」
少女はそう、と引きさがった。
猫を追うように鳥居へ向かってしまう。
私はどうしようもない不安に駆られて彼女をおいかけた。
「あの、貴方は?」
「私は寧子。おたまさんの通訳」
寧子ちゃん。猫の通訳。
不思議な響きだけれど彼女には似合っている気がした。
私は彼女の後を追いながらいくつも質問を投げかける。
「ここは何処?」
「そんなこと大した問題じゃないわ」
お祭りへ向かう人々の列に逆らっていく。
おたまさんは途中途中で振り返りながらすいすい歩いていく。
「おたまさんって何者? 何で尻尾が分かれているの?」
「猫又だからよ。私の目上の猫」
おたまさんの後を追うほど人ごみが減っていく。
昔もこうやって迷子になった。
あの時もこんな夏祭りの日だったと思う。
――その時は、あれ?
私は鮮明に覚えていたあの恐怖が、すとんと抜けていることに気づいた。
思わず立ち止まる。
おたまさんも、寧子ちゃんも立ち止まっている。
その黒々としたひとみがまっすぐ私を射貫いている。
「ねえ、どこに行くの?」
私は震える唇で、どうにか笑顔を作った。
でも彼女たちは光の反射しない真っ黒い空洞のような目を私に向けるばかりだ。
「そんなこと大した問題じゃないわ」
おたまさんはつまらなさそうにあくびをしている。
寧子ちゃんの言葉に私は数歩後ずさった。
鳥居から出る直前、私たちは立ち止まった。
「私、そっちには行きたくない」
「どうして? 暗くて静かでいいところよ」
寧子ちゃんは先に進もうと急かしている。
私は怖くなってもう一歩後ろにさがった。
「私、そっちにはいけない」
「……そう」
にゃあん、とおたまさんが鳴いた。
ゆらゆらと赤錆色した尻尾が揺れて引き返してくる。
「そう思えるうちに帰りなさい。おたまさんが案内してくれるそうよ」
私は無我夢中でおたまさんについていった。
何度も他人にぶつかりそうになった。
でもおたまさんの後をついていけば、するすると抜けていけた。
やがて、私の身体は急に重くなった。
全身が重くて指先すら動かせない。
なんとか瞼を持ち上げる。
真っ暗な闇の世界に光が入った。
「目を覚ましました!」
「涼子さーんわかりますかー?」
目だけを動かせば全身に管が繋がっていた。
私はずきずきする頭の中であの世界のことを思った。
――あの闇の世界は、境界の世界だったんだ。
私はそこに一人残される寧子ちゃん。
なんだかとてもかわいそうに思えた。
でも彼女のことも、おたまさんのことも、夢の中にとろけて忘れ去ってしまった。
△▼△▼△▼△▼△
「おたまさん、お疲れ様でした」
私は帰ってきたおたまさんを出迎えた。
おたまさんは私の膝に座って丸くなった。
「はい、いつものように」
ねぎらいながら全身を撫でる。
手のひらに頭突きをするように頭をのばしてくる。
もちろん両手をつかってマッサージをする。
「今度来た時、お話を聞かせてね」
