辛そうな、どこか痛みにでも耐えているかのような表情でロロは言う。
「現在、この世界樹は魔獣ニーズヘッグによって侵されています」
「魔獣!? それってあの魔獣で良いんだよね?」
「はい。おそらく間違いないかと思います」
魔獣。
アスガルドでも魔獣による被害には良く悩まされていた。
母さんが大戦功をあげた戦争の原因となったのも魔獣による被害で農作物の収穫量が激減し、それを侵略によって凌ごうと仕掛けて来た隣国が原因だった。
そんな魔獣の被害がこの世界樹にも起きていたなんて。
「俺はどうすればいいかな? 一度国に戻って軍隊を連れてくる?」
世界樹に被害を及ぼすような魔物が小物のはずはない。
そう思ってロロに提案してみるが、ロロは力なく首を振った。
「ここは確かにアスガルド王国の地下に位置する世界樹の根元ですが、物理的なつながりがあるわけではありません」
「え?」
「一から話すと長くなりますが……ここはアスガルドのある世界と世界樹を介して繋がっているだけの別の世界なのです」
「世界樹を介して繋がる? どういうこと?」
「そうですね。……アルトは地層を知っていますか?」
「う、うん。地面を掘ったら違う質の石とか土の層になってる地面の層だよね?」
「そうです。そしてそんな層がこの世界にも存在しているのです」
「……つまり、ここは世界樹を軸にしているだけでアスガルドの世界とは全く別の世界ってこと?」
「さすがですアルト、その通りです」
なるほど。
話が壮大過ぎて、いまいち掴みどころはないけれど、何となく意味を理解することは出来た。
「それでですね……話を戻しますが、ニーズヘッグを倒すためにアルトにはこちらの世界で戦力を整えてもらう必要があるのです」
「……もし、そのニーズヘッグを倒せなかったらどうなるの?」
引き受ける前に最大のリスクを確認する。
するとロロは神妙な面持ちのまま、こちらをジッと見つめ返して言った。
「世界樹が枯れ、アスガルドだけでなく、世界樹で繋がる全世界にスキルが発現しなくなります。もちろん、発現済みのスキルも使えなくなるでしょう」
「――!?」
スキルが使えなくなる?
それは間違いなく国を揺るがす大問題だ。
「それに……アルト、あなたは世界樹の王です。世界樹がこれ以上侵されてしまえば、あなたにどんな影響があるか……すみません。あなたのスキルなのに……今のところ私はあなたの力になるどころか、足を引っ張ってしまっていますね」
不甲斐ないと肩を落とすロロ。
新緑を思わせる鮮やかな髪に少しだけ影が落ちたように見えた。
「いや、ロロは気にしなくていいんだよ。それに、スキルが使えなくなるなんてアスガルドも困るからね。ロロの頼み、引き受けるよ。俺が魔獣ニーズヘッグを倒す!」
ロロの言葉には強い責任感のようなものが籠っていると感じる。
そんな責任感には俺にも覚えがあった。
同情をするわけではないが、覚えがあることに手を貸さないと言うのは違うと思う。
それに、アスガルドのためになるなら、断る理由はない。
俺が居なくてもアスガルドは大丈夫だ。
父さんも母さんも強い人だ。
テナーはああ見えてしっかりとしていて、賢い子だし、カイだってまだ甘えん坊だが、きっとすぐに自覚を持つようになるだろう。
なら、俺は俺の出来ることをしよう。
「本当ですか? しばらくはアスガルドにも戻れなくなってしまいますが……」
俺がそう宣言してもなお、申し訳なさそうな表情でロロは言う。
だが、もう決めたことだ。
「うん。大丈夫だよ。母さんたちは強いから。きっと少し取り乱しても、すぐに立ち直ってくれる」
「すごく家族を信頼しているのですね」
慈愛のような表情を浮かべて呟くロロ。
だが、その言葉には若干の切なさが滲んでいるように感じられる。
「もちろん! あ、ロロのことも信用してるよ。ロロが居なかったら俺は起きられなかったかもしれないからね!」
だから、ちゃんと思っていることは口にする。
本心を伝えることがコミニュケーションの第一歩。
俺はそうやって国政を務めて来たんだ。
「アルト……! 改めて、よろしくお願いします。私は世界樹の王女ロロ。世界樹の王であるアルトのスキルであり、生涯をあなたに捧げる者です」
ロロは美しい動きで一礼をして見せる。
その美麗さは、俺が今まで見て来たものの中でも群を抜いていた。
「よろしくロロ。俺はアルト・アンドレアル。アスガルド王国の第一皇子にして、この世界樹の王として選ばれた主だ。じゃあ、ロロ。早速だけど、俺のスキルでどんなことが出来るか教えてくれるかな?」
「はい、アルト。ではこちらに付いてきてください!」
ロロが俺の手を引いて駆け出す。
世界樹の空間はどこか神秘的な新緑に包まれており、俺が眠っていたと思しき部屋を出れば、天然のドームのような開けた空間が広がり、そのさらに先は森に囲まれていた。
「これが世界樹の本当の姿なの?」
そんな風景に思わず目を奪われて立ち止まった俺をロロが振り返り答える。
「こんなものではないんですよ! ここはアルトの世界アスガルドから世界樹の元へ還られた方々が眠られている場所なんです」
ロロは風景ではなく、眼下に広がる木の棺……とでも言うのだろうか?
複数の木の根が絡まり合い、繭のようになっている物を指さしてそう言った。
「世界樹の元に還られた……ってもしかしてっ!?」
俺はその言葉にある可能性を感じ、一番近くにあった木の棺へ駆け寄る。
すると……
「この子、もしかして……」
そこにはどこかで見覚えのある、俺より2,3歳年上に見える少女が眠っていた。
「アルト? その方がどうかしましたか?」
ロロが不思議そうな顔をして駆け寄ってくる。
「うん。この子、どこかで見たことがある気がするんだけど……」
必死で記憶を遡っていく。
最後の記憶は部屋で眠った時だけど、きっと城の関係者ではない。
こんな幼い子は俺たち兄妹以外には城には居ないはず。
と言うことはどこかの政務に行ったとき?
いや、でも、あんまり同い年くらいの子と関わったこともないんだよな……。
うーん……あ!
しばらく、逡巡していれば、あの日の帰り道に泣いていた婦人がいたことを思いだした。
「その方はアルトがこちらに来る少し前に還られてきた方ですね。名前は確か……」
ロロの言葉に確信する。
そうか、この子は――
「ルミネ!」
あの日、俺が出会った婦人の娘さんだ。
あの時の婦人はやつれていたが、彼女と目元がよく似ている。
「そうです、この方はルミネ。お知り合いでしたか?」
「知り合い……と言うと、少し違うけど。名前だけは知ってるんだよ」
「……?」
でも、そうか。
世界樹になると本当に世界樹の世界に還されていたんだ。
「ねぇ、ロロ。この人たちって俺みたいに起きることって出来るの?」
俺がそう聞けば、ロロは「あっ!」と何かを思い出したかのような声を出して、今度は懇願するように俺の手を握って来た。
「そうでしたアルト。もう一つあなたにお願いしたいことがあったのです!」
「もう一つって、魔獣ニーズヘッグを倒す以外にってこと?」
「そうです! 倒す以外、と言うと少し違うのですが、ニーズヘッグは強大な魔獣。いくら世界樹の王であるアルトが強くても一人ではその戦いは困難を極めるでしょう。そんな戦いを共に行ってくれる仲間を集めて欲しいのです。そして世界樹の元へ還って来た者たちが暮らせるような国を作り上げて欲しいのです!」
「それって、つまり……」
「はい。ここにいる方々はアルトと私の力があれば、起きていただくことが出来ます」
「――っ!? 本当っ?」
「はい。ですが……アルトとは違い、彼らはスキルの大きさに体が耐え切れず、この世界樹の直下でしか生きられなくなってしまった者たちなのです。なので、アスガルドに戻ってもらう、ということは叶いませんが……」
最後に少しだけ申し訳なさそうな顔をするロロ。
それは彼女が世界樹の精霊だからなのだろうか?
だが、スキルがそう言う物である以上、スキルを作った本人ですらない彼女を責めることはできない。
「そっか。じゃあ、ここにいるみんなで、新しい、住みやすい国を作らなくちゃね!」
しかし、下手な慰めは返ってロロに余計な気を遣わせてしまったと思われるだけだろう。
だから俺はそのことについては敢えて触れない。
これも、これまで政務でいろいろな人と関わらせてもらって学んだことだ。
王族としてすべきこと。
それは民に寄りそうことだけじゃない。
前を向いて、先を示すこと。
ついて来いと先導すること。
これも大事な務めなのだ。
「アルト……」
握られた手にギュッとさらに力が籠るのが分かる。
俺もその手を少しだけ握り返した。
「じゃあロロ。早速だけど、この子を起こしてみようと思うんだ。国づくりをするにも人手は必要だからね。方法を教えてくれる?」
「……はい。では、どちらでも良いので、手を出してください」
俺の言葉を噛み締めるように飲み込んだ後で、ロロは自分の真似をしてくださいと言うように手を木の棺の方へ伸ばした。
「こうでいいかな?」
俺も真似して右手を伸ばす。
「はい。問題ありません。では次に『世界樹権能:指揮形態』と唱えてください」
「分かった。『世界樹権能:指揮形態』」
そして、右手を伸ばしたままロロに言われた通りの言葉を唱えると、俺の手の中に、木でできた短い杖のような物が出現した。
「これは?」
「これがアルトのスキル『世界樹の王』の力の一つ。樹具化です。この樹具を通して、アルトは世界樹の権能を操ることが出来ます。例えば、今の指揮形態では、ここにいるアルトに忠誠を誓う者たちに指示を届けることが出来ます。アルトの名声はアスガルドでも随一でしたし、アスガルド国民もアンドレアル王家には深い忠誠心を持っています。問題なく指示を届けられると思いますよ」
「……そっか、すごいね」
ロロは何でもないことのように言ってのけるが、これはとんでもないスキルだ。
アスガルドでは遠距離の通信手段として、『念写』と言うスキルを使っていた。
このスキルは、『念写』スキルで生み出した紙に『念写』スキルの使用者が文字を書くことで、もう一方に残して来た白紙の紙に文字が浮かび上がるという物で、このスキルの発現者はすぐに国に取り立てられるくらい重宝していた。
だが、如何せん発現率の低いスキルであり、現在のアスガルドでは所持者の高齢化もあって中々円滑な遠距離での意思疎通は難しくなっていた。
しかし、俺のこの指揮形態があれば、コミュニケーションとはいかずとも、間違いなく指示を出すことが出来るし、急な変更にもすぐに対応できるということになる。
流石は『世界樹の王』と言うだけのことはあるな……。
俺は内心でそんなことを考えながら、期待の眼差しでこちらを見続けるロロに応えるようにルミネに声を掛けながら樹具化した杖を振るう。
「(アスガルドの民、ルミネよ。私はアスガルド皇家第一皇子アルト・アンドレアルだ。世界樹となり、アスガルドでは大義を果たしたあなたであるが、どうか、今一度私に力を貸してくれないだろうか?)」
どんな風に俺の声が聞こえてしまうのかはまだ分からないため、少なくとも世界樹となり大義を果たした彼女に無礼にならないように王族としての礼儀を払いながら、声を掛けてみた。
すると――
「(……この声、アルト、様?)」
ロロではない女性の声が聞こえて来た。
いや、聞こえて来たのではない。
俺の頭の中へ直接流れ込んできたようだ。
今この場で俺が話しかけているのはルミネのみ。
つまりルミネから反応があったということだろう。
「(ああ、私はアルト・アンドレアル。どうやら意思疎通は問題なく行えているようだな)」
ルミネに話しかける声は、何とか落ち着きを払ってみせるものの、内心では衝撃の嵐が巻き起こっていた。
まさか、意思の伝達だけでなく、疎通まで行えるとは……これがあれば、『念写』のスキル所持者をメッセンジャーに縛らなくても良くなる。
もっと色々なことにあのスキルを活かすことが出来るじゃないか! と。
「(……え、ええぇっ!? どうしてアルト様が私なんかに声を? それに私、今どこに?)」
なんて、俺の内心が騒いでいるのと同じくらいにルミネは現状の理解に驚いている様だった。
「(その説明は長くなる。まずはあなたを起こすとしよう。良いだろうか?)」
「(え、あ、はい!)」
ルミネは未だによくわかっていなさそうだったが、起こしてもいいということだったので、俺はもう一度杖を振り、「起きろ」と少し命令口調で指示を出してみる。
すると、目の前の木の棺がまるで絡まった糸が解けるように開けていき……中から、少女が起き上がった。
「……え? ここは……って、あ、アルト様!?」
そうして起き上がった少女、ルミネはあの部屋から出て来た直後の俺と同じように上の方を見上げたあとで、正面に立つ俺に驚き頭を下げた。
「こ、これは失礼をいたしました。私、ルミネと申します」
平伏して控えめに名前を名乗ってくれるルミネ。
そんなに恐れ多くしてもらわなくてもいいのだが、まあ、王族として生きていればこういうことも偶にあるので、驚くほどのことでもない。
「そう固くならずとも良い。顔を上げて楽にせよ。こちらから呼びかけたのだ。まずはその事情説明などをさせてくれ」
「は、はい! 失礼します」
楽にせよと、言ってみたところでいきなり俺に対して態度を崩せる人は少ない。
そう言う人は最初からフランクに話しかけて来るのだ。
そうして、ぎこちなさの取れない様子で、だが何とか俺と目を合わせてくれたルミネに、俺はロロの紹介を含めて説明をした。
「……なるほど、そうなのですね。私は世界樹になり、アスガルドとは違う世界へ来て、眠っていたところをアルト様に起こしていただいたと」
「まあ、簡単に言えばそうなる」
ルミネはあれだけ恐縮していた割に、話の飲み込みはすこぶる早かった。
自身の世界樹化でさえ、「そうですか……」と、すんなりと飲み込んでいたほどだ。
母にはもう会えないかもしれないという話には少し悲しそうな顔もしていたが、それでも俺の目からはそれ以上は読み取れないほどに変化が少なかった。
「それで今、世界樹がピンチで、アルト様は世界樹の王としてその問題を解決するために、一度世界樹となった私たちを起こして仲間にしようとしていらっしゃると……」
「ああ」
ここまで物わかりがいいと、流石に心配になってくる。
俺を見ただけであれだけ取り乱していたのに、話しになった途端、どうしてルミネはここまで落ち着いているのだろうか?
「承知しました。私で良ければ、お力にならせていただきたいと思います」
「良いのか? これは確かにアスガルドの問題だが、あなたはもうアスガルドに戻ることはできない。それでも、私を手伝ってくれるのか?」
酷なことだが、重要なことでもあるため再度確認をする。
だが、
「もちろんです。スキルの力にはたくさん助けられていたことは知っています。誰がどんなスキルを持っているかはもちろん知りませんでしたが、スキルによって国が回っていたことは良く存じ上げております。そんなスキルが発現しない、使えないとなってはアスガルドには大打撃間違いありません。そして、そうなってしまえば、向こうにいる母も苦労することになってしまうでしょう。名誉と言う形では孝行出来たかもしれませんが、娘としては母を悲しませてしまったせめてもの償い……親孝行がしたいのです。どうか、私の力をお役立てください」
ルミネはいつの間にか固さの取れた、毅然とした態度で今一度俺に頭を下げてくる。
流石は娘のために泣ける母の子なのだろう。
もう戻れないと知って尚、アスガルドに残る母に孝行をしたいとは……。
「その心意気、しかと受け取った。共に、アスガルドの未来のために尽くそうぞ。ルミネ!」
ならば、存分に力を活かしてもらおう。
それがきっと、アスガルドのためであり、ルミネ自身のためになる。
「はいっ!」
こうして、俺はこの世界樹にて、最初の国民であるルミネを得た。
「現在、この世界樹は魔獣ニーズヘッグによって侵されています」
「魔獣!? それってあの魔獣で良いんだよね?」
「はい。おそらく間違いないかと思います」
魔獣。
アスガルドでも魔獣による被害には良く悩まされていた。
母さんが大戦功をあげた戦争の原因となったのも魔獣による被害で農作物の収穫量が激減し、それを侵略によって凌ごうと仕掛けて来た隣国が原因だった。
そんな魔獣の被害がこの世界樹にも起きていたなんて。
「俺はどうすればいいかな? 一度国に戻って軍隊を連れてくる?」
世界樹に被害を及ぼすような魔物が小物のはずはない。
そう思ってロロに提案してみるが、ロロは力なく首を振った。
「ここは確かにアスガルド王国の地下に位置する世界樹の根元ですが、物理的なつながりがあるわけではありません」
「え?」
「一から話すと長くなりますが……ここはアスガルドのある世界と世界樹を介して繋がっているだけの別の世界なのです」
「世界樹を介して繋がる? どういうこと?」
「そうですね。……アルトは地層を知っていますか?」
「う、うん。地面を掘ったら違う質の石とか土の層になってる地面の層だよね?」
「そうです。そしてそんな層がこの世界にも存在しているのです」
「……つまり、ここは世界樹を軸にしているだけでアスガルドの世界とは全く別の世界ってこと?」
「さすがですアルト、その通りです」
なるほど。
話が壮大過ぎて、いまいち掴みどころはないけれど、何となく意味を理解することは出来た。
「それでですね……話を戻しますが、ニーズヘッグを倒すためにアルトにはこちらの世界で戦力を整えてもらう必要があるのです」
「……もし、そのニーズヘッグを倒せなかったらどうなるの?」
引き受ける前に最大のリスクを確認する。
するとロロは神妙な面持ちのまま、こちらをジッと見つめ返して言った。
「世界樹が枯れ、アスガルドだけでなく、世界樹で繋がる全世界にスキルが発現しなくなります。もちろん、発現済みのスキルも使えなくなるでしょう」
「――!?」
スキルが使えなくなる?
それは間違いなく国を揺るがす大問題だ。
「それに……アルト、あなたは世界樹の王です。世界樹がこれ以上侵されてしまえば、あなたにどんな影響があるか……すみません。あなたのスキルなのに……今のところ私はあなたの力になるどころか、足を引っ張ってしまっていますね」
不甲斐ないと肩を落とすロロ。
新緑を思わせる鮮やかな髪に少しだけ影が落ちたように見えた。
「いや、ロロは気にしなくていいんだよ。それに、スキルが使えなくなるなんてアスガルドも困るからね。ロロの頼み、引き受けるよ。俺が魔獣ニーズヘッグを倒す!」
ロロの言葉には強い責任感のようなものが籠っていると感じる。
そんな責任感には俺にも覚えがあった。
同情をするわけではないが、覚えがあることに手を貸さないと言うのは違うと思う。
それに、アスガルドのためになるなら、断る理由はない。
俺が居なくてもアスガルドは大丈夫だ。
父さんも母さんも強い人だ。
テナーはああ見えてしっかりとしていて、賢い子だし、カイだってまだ甘えん坊だが、きっとすぐに自覚を持つようになるだろう。
なら、俺は俺の出来ることをしよう。
「本当ですか? しばらくはアスガルドにも戻れなくなってしまいますが……」
俺がそう宣言してもなお、申し訳なさそうな表情でロロは言う。
だが、もう決めたことだ。
「うん。大丈夫だよ。母さんたちは強いから。きっと少し取り乱しても、すぐに立ち直ってくれる」
「すごく家族を信頼しているのですね」
慈愛のような表情を浮かべて呟くロロ。
だが、その言葉には若干の切なさが滲んでいるように感じられる。
「もちろん! あ、ロロのことも信用してるよ。ロロが居なかったら俺は起きられなかったかもしれないからね!」
だから、ちゃんと思っていることは口にする。
本心を伝えることがコミニュケーションの第一歩。
俺はそうやって国政を務めて来たんだ。
「アルト……! 改めて、よろしくお願いします。私は世界樹の王女ロロ。世界樹の王であるアルトのスキルであり、生涯をあなたに捧げる者です」
ロロは美しい動きで一礼をして見せる。
その美麗さは、俺が今まで見て来たものの中でも群を抜いていた。
「よろしくロロ。俺はアルト・アンドレアル。アスガルド王国の第一皇子にして、この世界樹の王として選ばれた主だ。じゃあ、ロロ。早速だけど、俺のスキルでどんなことが出来るか教えてくれるかな?」
「はい、アルト。ではこちらに付いてきてください!」
ロロが俺の手を引いて駆け出す。
世界樹の空間はどこか神秘的な新緑に包まれており、俺が眠っていたと思しき部屋を出れば、天然のドームのような開けた空間が広がり、そのさらに先は森に囲まれていた。
「これが世界樹の本当の姿なの?」
そんな風景に思わず目を奪われて立ち止まった俺をロロが振り返り答える。
「こんなものではないんですよ! ここはアルトの世界アスガルドから世界樹の元へ還られた方々が眠られている場所なんです」
ロロは風景ではなく、眼下に広がる木の棺……とでも言うのだろうか?
複数の木の根が絡まり合い、繭のようになっている物を指さしてそう言った。
「世界樹の元に還られた……ってもしかしてっ!?」
俺はその言葉にある可能性を感じ、一番近くにあった木の棺へ駆け寄る。
すると……
「この子、もしかして……」
そこにはどこかで見覚えのある、俺より2,3歳年上に見える少女が眠っていた。
「アルト? その方がどうかしましたか?」
ロロが不思議そうな顔をして駆け寄ってくる。
「うん。この子、どこかで見たことがある気がするんだけど……」
必死で記憶を遡っていく。
最後の記憶は部屋で眠った時だけど、きっと城の関係者ではない。
こんな幼い子は俺たち兄妹以外には城には居ないはず。
と言うことはどこかの政務に行ったとき?
いや、でも、あんまり同い年くらいの子と関わったこともないんだよな……。
うーん……あ!
しばらく、逡巡していれば、あの日の帰り道に泣いていた婦人がいたことを思いだした。
「その方はアルトがこちらに来る少し前に還られてきた方ですね。名前は確か……」
ロロの言葉に確信する。
そうか、この子は――
「ルミネ!」
あの日、俺が出会った婦人の娘さんだ。
あの時の婦人はやつれていたが、彼女と目元がよく似ている。
「そうです、この方はルミネ。お知り合いでしたか?」
「知り合い……と言うと、少し違うけど。名前だけは知ってるんだよ」
「……?」
でも、そうか。
世界樹になると本当に世界樹の世界に還されていたんだ。
「ねぇ、ロロ。この人たちって俺みたいに起きることって出来るの?」
俺がそう聞けば、ロロは「あっ!」と何かを思い出したかのような声を出して、今度は懇願するように俺の手を握って来た。
「そうでしたアルト。もう一つあなたにお願いしたいことがあったのです!」
「もう一つって、魔獣ニーズヘッグを倒す以外にってこと?」
「そうです! 倒す以外、と言うと少し違うのですが、ニーズヘッグは強大な魔獣。いくら世界樹の王であるアルトが強くても一人ではその戦いは困難を極めるでしょう。そんな戦いを共に行ってくれる仲間を集めて欲しいのです。そして世界樹の元へ還って来た者たちが暮らせるような国を作り上げて欲しいのです!」
「それって、つまり……」
「はい。ここにいる方々はアルトと私の力があれば、起きていただくことが出来ます」
「――っ!? 本当っ?」
「はい。ですが……アルトとは違い、彼らはスキルの大きさに体が耐え切れず、この世界樹の直下でしか生きられなくなってしまった者たちなのです。なので、アスガルドに戻ってもらう、ということは叶いませんが……」
最後に少しだけ申し訳なさそうな顔をするロロ。
それは彼女が世界樹の精霊だからなのだろうか?
だが、スキルがそう言う物である以上、スキルを作った本人ですらない彼女を責めることはできない。
「そっか。じゃあ、ここにいるみんなで、新しい、住みやすい国を作らなくちゃね!」
しかし、下手な慰めは返ってロロに余計な気を遣わせてしまったと思われるだけだろう。
だから俺はそのことについては敢えて触れない。
これも、これまで政務でいろいろな人と関わらせてもらって学んだことだ。
王族としてすべきこと。
それは民に寄りそうことだけじゃない。
前を向いて、先を示すこと。
ついて来いと先導すること。
これも大事な務めなのだ。
「アルト……」
握られた手にギュッとさらに力が籠るのが分かる。
俺もその手を少しだけ握り返した。
「じゃあロロ。早速だけど、この子を起こしてみようと思うんだ。国づくりをするにも人手は必要だからね。方法を教えてくれる?」
「……はい。では、どちらでも良いので、手を出してください」
俺の言葉を噛み締めるように飲み込んだ後で、ロロは自分の真似をしてくださいと言うように手を木の棺の方へ伸ばした。
「こうでいいかな?」
俺も真似して右手を伸ばす。
「はい。問題ありません。では次に『世界樹権能:指揮形態』と唱えてください」
「分かった。『世界樹権能:指揮形態』」
そして、右手を伸ばしたままロロに言われた通りの言葉を唱えると、俺の手の中に、木でできた短い杖のような物が出現した。
「これは?」
「これがアルトのスキル『世界樹の王』の力の一つ。樹具化です。この樹具を通して、アルトは世界樹の権能を操ることが出来ます。例えば、今の指揮形態では、ここにいるアルトに忠誠を誓う者たちに指示を届けることが出来ます。アルトの名声はアスガルドでも随一でしたし、アスガルド国民もアンドレアル王家には深い忠誠心を持っています。問題なく指示を届けられると思いますよ」
「……そっか、すごいね」
ロロは何でもないことのように言ってのけるが、これはとんでもないスキルだ。
アスガルドでは遠距離の通信手段として、『念写』と言うスキルを使っていた。
このスキルは、『念写』スキルで生み出した紙に『念写』スキルの使用者が文字を書くことで、もう一方に残して来た白紙の紙に文字が浮かび上がるという物で、このスキルの発現者はすぐに国に取り立てられるくらい重宝していた。
だが、如何せん発現率の低いスキルであり、現在のアスガルドでは所持者の高齢化もあって中々円滑な遠距離での意思疎通は難しくなっていた。
しかし、俺のこの指揮形態があれば、コミュニケーションとはいかずとも、間違いなく指示を出すことが出来るし、急な変更にもすぐに対応できるということになる。
流石は『世界樹の王』と言うだけのことはあるな……。
俺は内心でそんなことを考えながら、期待の眼差しでこちらを見続けるロロに応えるようにルミネに声を掛けながら樹具化した杖を振るう。
「(アスガルドの民、ルミネよ。私はアスガルド皇家第一皇子アルト・アンドレアルだ。世界樹となり、アスガルドでは大義を果たしたあなたであるが、どうか、今一度私に力を貸してくれないだろうか?)」
どんな風に俺の声が聞こえてしまうのかはまだ分からないため、少なくとも世界樹となり大義を果たした彼女に無礼にならないように王族としての礼儀を払いながら、声を掛けてみた。
すると――
「(……この声、アルト、様?)」
ロロではない女性の声が聞こえて来た。
いや、聞こえて来たのではない。
俺の頭の中へ直接流れ込んできたようだ。
今この場で俺が話しかけているのはルミネのみ。
つまりルミネから反応があったということだろう。
「(ああ、私はアルト・アンドレアル。どうやら意思疎通は問題なく行えているようだな)」
ルミネに話しかける声は、何とか落ち着きを払ってみせるものの、内心では衝撃の嵐が巻き起こっていた。
まさか、意思の伝達だけでなく、疎通まで行えるとは……これがあれば、『念写』のスキル所持者をメッセンジャーに縛らなくても良くなる。
もっと色々なことにあのスキルを活かすことが出来るじゃないか! と。
「(……え、ええぇっ!? どうしてアルト様が私なんかに声を? それに私、今どこに?)」
なんて、俺の内心が騒いでいるのと同じくらいにルミネは現状の理解に驚いている様だった。
「(その説明は長くなる。まずはあなたを起こすとしよう。良いだろうか?)」
「(え、あ、はい!)」
ルミネは未だによくわかっていなさそうだったが、起こしてもいいということだったので、俺はもう一度杖を振り、「起きろ」と少し命令口調で指示を出してみる。
すると、目の前の木の棺がまるで絡まった糸が解けるように開けていき……中から、少女が起き上がった。
「……え? ここは……って、あ、アルト様!?」
そうして起き上がった少女、ルミネはあの部屋から出て来た直後の俺と同じように上の方を見上げたあとで、正面に立つ俺に驚き頭を下げた。
「こ、これは失礼をいたしました。私、ルミネと申します」
平伏して控えめに名前を名乗ってくれるルミネ。
そんなに恐れ多くしてもらわなくてもいいのだが、まあ、王族として生きていればこういうことも偶にあるので、驚くほどのことでもない。
「そう固くならずとも良い。顔を上げて楽にせよ。こちらから呼びかけたのだ。まずはその事情説明などをさせてくれ」
「は、はい! 失礼します」
楽にせよと、言ってみたところでいきなり俺に対して態度を崩せる人は少ない。
そう言う人は最初からフランクに話しかけて来るのだ。
そうして、ぎこちなさの取れない様子で、だが何とか俺と目を合わせてくれたルミネに、俺はロロの紹介を含めて説明をした。
「……なるほど、そうなのですね。私は世界樹になり、アスガルドとは違う世界へ来て、眠っていたところをアルト様に起こしていただいたと」
「まあ、簡単に言えばそうなる」
ルミネはあれだけ恐縮していた割に、話の飲み込みはすこぶる早かった。
自身の世界樹化でさえ、「そうですか……」と、すんなりと飲み込んでいたほどだ。
母にはもう会えないかもしれないという話には少し悲しそうな顔もしていたが、それでも俺の目からはそれ以上は読み取れないほどに変化が少なかった。
「それで今、世界樹がピンチで、アルト様は世界樹の王としてその問題を解決するために、一度世界樹となった私たちを起こして仲間にしようとしていらっしゃると……」
「ああ」
ここまで物わかりがいいと、流石に心配になってくる。
俺を見ただけであれだけ取り乱していたのに、話しになった途端、どうしてルミネはここまで落ち着いているのだろうか?
「承知しました。私で良ければ、お力にならせていただきたいと思います」
「良いのか? これは確かにアスガルドの問題だが、あなたはもうアスガルドに戻ることはできない。それでも、私を手伝ってくれるのか?」
酷なことだが、重要なことでもあるため再度確認をする。
だが、
「もちろんです。スキルの力にはたくさん助けられていたことは知っています。誰がどんなスキルを持っているかはもちろん知りませんでしたが、スキルによって国が回っていたことは良く存じ上げております。そんなスキルが発現しない、使えないとなってはアスガルドには大打撃間違いありません。そして、そうなってしまえば、向こうにいる母も苦労することになってしまうでしょう。名誉と言う形では孝行出来たかもしれませんが、娘としては母を悲しませてしまったせめてもの償い……親孝行がしたいのです。どうか、私の力をお役立てください」
ルミネはいつの間にか固さの取れた、毅然とした態度で今一度俺に頭を下げてくる。
流石は娘のために泣ける母の子なのだろう。
もう戻れないと知って尚、アスガルドに残る母に孝行をしたいとは……。
「その心意気、しかと受け取った。共に、アスガルドの未来のために尽くそうぞ。ルミネ!」
ならば、存分に力を活かしてもらおう。
それがきっと、アスガルドのためであり、ルミネ自身のためになる。
「はいっ!」
こうして、俺はこの世界樹にて、最初の国民であるルミネを得た。


