ふくらんだお腹をそっと撫でながら、私は薄い灯りの中で座っていた。
その頃私は、もうじきさなと会えると、実感が迫ってくるようになった。
一人の人間をこの世で形にするのは、怖いような気もする。でもそれ以上に喜びだった。
理由は私の中ではっきりしていた。……黒耀さまの、御子だからだ。
幼い頃から、彼の君に声をかけてもらえるだけで天にも昇る心地だった。まさか妃として迎えられて……御子まで授かるとは、夢にも思わなかった。
この後宮は恐ろしいところだとわかっている。毒に侵されて子どものようになったのはつい数か月前のことで、もしかしたら今度こそ心と体を殺められるかもしれないと思うと、夜も眠れない。
でもそれ以上に恐ろしくなったのは、私を包んでくれる黒耀さまの愛だった。
黒耀さまは、毎日必ず私を抱きしめてくれる。
私が眠りに落ちるまでそばにいて、額に口づけてくれる。
お腹のさなにも、優しく話しかけてくれる。
そんな時間が永遠に続いたらと願ってしまう、愚かな自分がいる。
でも時間はもう、ない。
さなが動くたびに、はっきりしていく。
――この子を産んだら、誰かが泣いてしまう。
いつか聞いた、侍女の言葉が胸に焼き付いて離れない。
さなが生まれて、自分が正妃になったら……他のお妃さまの御子が、皇位のために殺められてしまうかもしれない。
(小さな子どもを殺めるなんて……できない)
子どもの頃、お母様になりたかった。今もその夢を持ち続けている。
でも私がお母様になったら、他のお母様から子どもを奪ってしまうのだ。
私が幸せになったら、誰かが不幸になる。
(なら……私は、幸せになっちゃいけない)
さなを殺めることは、私にはとてもできそうにない。
だったら、私が「皇帝陛下の御子」を産まなければいい。
私が後宮から出て、遠いところで産んだ子なら……誰も泣かせずに済む。
(……けど、黒耀さまに二度と会えない)
胸の奥で、じわっと涙が滲んだ。
私が眠ったふりをした後、黒耀さまは私の額に口づけて部屋を出て行った。
さなに何かあってはいけないと、臨月近くから黒耀さまは一緒の寝台では休まないことを決めていた。私とさなへの労わりからそうされているのに、私は少し寂しいような気がしていた。
……いつの間に黒耀さまを独り占めするような思いでいたのだろう。そんな浅ましい身は、やはり寵を受けるにはふさわしくないと思った。
黒耀さまの足音が遠ざかったあと、静かな夜がやってきた。月灯りがしずくのように窓辺に下りている。
きっと今夜なら、灯りがなくとも大丈夫。
私はそっと身を起こし、寝台から足をおろした。
臨月の体は重く、衣を一枚羽織っただけでは震えるほどに寒い。
でも、歩かなければいけない。
さなのために歩いてきた足は、せめてさなを無事に産める場所まで連れていきたい。
(さな、少しだけがまんして)
お腹を押さえると、さなが弱く蹴った。
(でも、これしか……ないから)
黒耀さまからは、過ぎるほどのものをもらった。
私が笑えば喜び、泣けば心を乱し、人形でさえ御子のように扱ってくれた。
そんな人が、私とこの子を失ったとしたらどれだけ乱れるだろう。
だから、ちゃんといなくならなきゃいけない。誰も追いつけないように、誰もみつけられないように、消えなければいけない。
夜の風が回廊を吹き抜け、私のまとう羽衣も冷気で突き刺す。
私は震えながら、そっと扉に手を伸ばす。
翠静宮の庭は、じっとりと冷たい夜露に濡れていた。月が高く光っていて、孤独なほど優美に輝いて見えた。
月が、まるで黒耀さまのようだと思った。私にとって神々に等しいもの、何にも替わらない光そのものだ。
その光の落としものが足元を照らしていて、私は息を吸った。
「……私だけが……いらないの」
声に出してみると、それはひどくむなしい響きになって地面に落ちた。
そっとお腹に触れて、出来る限りの優しさをこめてささやく。
「さな、あなたは生きてね。あなたは光の御子なんだよ……」
胸が締めつけられて、涙がひとつこぼれ落ちた。
重い足を叱咤して歩き出す。
幼い日から、私はいらない子だった。両親に捨てられ、人からは蔑まれて生きてきた。
どうしたら幸せになるか知らなかったし、どうしたら人を幸せにできるかもわからなかった。
なら……私がいなくなることが、きっと一番の幸せだ。
足を速めて庭を横切ると、遠くの見張り台で火の気配が揺れていた。
黒耀さまが私のために敷いた警護網は、本当なら絶対に抜けられない。
でも、何度か夜に歩いて気づいてしまったことがある。
……私が眠りにつき、黒耀さまが王宮の私室に戻った後のこのひとときだけ、見張りの目は緩む。
(ごめんなさい……黒耀さま)
こんな私を、愛してくれてありがとう。
でも、もう……時間がない。
私は王宮に続く回廊にそっと足を踏み入れて、闇の中に消えた。
その頃私は、もうじきさなと会えると、実感が迫ってくるようになった。
一人の人間をこの世で形にするのは、怖いような気もする。でもそれ以上に喜びだった。
理由は私の中ではっきりしていた。……黒耀さまの、御子だからだ。
幼い頃から、彼の君に声をかけてもらえるだけで天にも昇る心地だった。まさか妃として迎えられて……御子まで授かるとは、夢にも思わなかった。
この後宮は恐ろしいところだとわかっている。毒に侵されて子どものようになったのはつい数か月前のことで、もしかしたら今度こそ心と体を殺められるかもしれないと思うと、夜も眠れない。
でもそれ以上に恐ろしくなったのは、私を包んでくれる黒耀さまの愛だった。
黒耀さまは、毎日必ず私を抱きしめてくれる。
私が眠りに落ちるまでそばにいて、額に口づけてくれる。
お腹のさなにも、優しく話しかけてくれる。
そんな時間が永遠に続いたらと願ってしまう、愚かな自分がいる。
でも時間はもう、ない。
さなが動くたびに、はっきりしていく。
――この子を産んだら、誰かが泣いてしまう。
いつか聞いた、侍女の言葉が胸に焼き付いて離れない。
さなが生まれて、自分が正妃になったら……他のお妃さまの御子が、皇位のために殺められてしまうかもしれない。
(小さな子どもを殺めるなんて……できない)
子どもの頃、お母様になりたかった。今もその夢を持ち続けている。
でも私がお母様になったら、他のお母様から子どもを奪ってしまうのだ。
私が幸せになったら、誰かが不幸になる。
(なら……私は、幸せになっちゃいけない)
さなを殺めることは、私にはとてもできそうにない。
だったら、私が「皇帝陛下の御子」を産まなければいい。
私が後宮から出て、遠いところで産んだ子なら……誰も泣かせずに済む。
(……けど、黒耀さまに二度と会えない)
胸の奥で、じわっと涙が滲んだ。
私が眠ったふりをした後、黒耀さまは私の額に口づけて部屋を出て行った。
さなに何かあってはいけないと、臨月近くから黒耀さまは一緒の寝台では休まないことを決めていた。私とさなへの労わりからそうされているのに、私は少し寂しいような気がしていた。
……いつの間に黒耀さまを独り占めするような思いでいたのだろう。そんな浅ましい身は、やはり寵を受けるにはふさわしくないと思った。
黒耀さまの足音が遠ざかったあと、静かな夜がやってきた。月灯りがしずくのように窓辺に下りている。
きっと今夜なら、灯りがなくとも大丈夫。
私はそっと身を起こし、寝台から足をおろした。
臨月の体は重く、衣を一枚羽織っただけでは震えるほどに寒い。
でも、歩かなければいけない。
さなのために歩いてきた足は、せめてさなを無事に産める場所まで連れていきたい。
(さな、少しだけがまんして)
お腹を押さえると、さなが弱く蹴った。
(でも、これしか……ないから)
黒耀さまからは、過ぎるほどのものをもらった。
私が笑えば喜び、泣けば心を乱し、人形でさえ御子のように扱ってくれた。
そんな人が、私とこの子を失ったとしたらどれだけ乱れるだろう。
だから、ちゃんといなくならなきゃいけない。誰も追いつけないように、誰もみつけられないように、消えなければいけない。
夜の風が回廊を吹き抜け、私のまとう羽衣も冷気で突き刺す。
私は震えながら、そっと扉に手を伸ばす。
翠静宮の庭は、じっとりと冷たい夜露に濡れていた。月が高く光っていて、孤独なほど優美に輝いて見えた。
月が、まるで黒耀さまのようだと思った。私にとって神々に等しいもの、何にも替わらない光そのものだ。
その光の落としものが足元を照らしていて、私は息を吸った。
「……私だけが……いらないの」
声に出してみると、それはひどくむなしい響きになって地面に落ちた。
そっとお腹に触れて、出来る限りの優しさをこめてささやく。
「さな、あなたは生きてね。あなたは光の御子なんだよ……」
胸が締めつけられて、涙がひとつこぼれ落ちた。
重い足を叱咤して歩き出す。
幼い日から、私はいらない子だった。両親に捨てられ、人からは蔑まれて生きてきた。
どうしたら幸せになるか知らなかったし、どうしたら人を幸せにできるかもわからなかった。
なら……私がいなくなることが、きっと一番の幸せだ。
足を速めて庭を横切ると、遠くの見張り台で火の気配が揺れていた。
黒耀さまが私のために敷いた警護網は、本当なら絶対に抜けられない。
でも、何度か夜に歩いて気づいてしまったことがある。
……私が眠りにつき、黒耀さまが王宮の私室に戻った後のこのひとときだけ、見張りの目は緩む。
(ごめんなさい……黒耀さま)
こんな私を、愛してくれてありがとう。
でも、もう……時間がない。
私は王宮に続く回廊にそっと足を踏み入れて、闇の中に消えた。



