「指輪はまた今度、ゆっくり選ぼう。今日は着物だな」
 颯雅は燈子の手をぎゅっと握り、歩き出す。
 燈子は驚くが、振りほどくこともできずに一緒に歩く。

 彼の手の熱は心臓を直撃している。激しい心音が手から伝わってしまいそうで、燈子の鼓動はなおさらに早くなった。
 輸入して取り付けたという昇降機(エレベーター)は女性が操作をしていた。

「上に参ります」
 ハンドルを上げると上昇した。扉の上部に半円の階数表示があり、矢印が動く。ハンドルを真ん中に戻して昇降機を止めると格子状の内扉に続いて外扉を開き、到着階の案内をした。

「私、百貨店も昇降機も初めてです」
「実を言うと俺もだ」
 神妙な彼に燈子はくすっと笑った。狼の姿ではこういう場所に来られなかったのだろう。

 女性服飾フロアに出ると、たくさんの人々が行きかっていた。圧倒的に女性が多く、夫婦や家族連れもいて賑わっている。
「洋装でも和装でも好きなだけ選べ」
「私はお金がないので……」

「お前に出させるわけがない。俺が買う」
「そんなわけには」
「婚約者に服も買えない甲斐性なしにさせたいのか」
 むっとしてそう言われると、もう反論のしようがない。公爵子息のプライドもあるだろう。

 上等な着物は麻子や真世、彼の母の着物である程度の慣れはあるが、洋服となるとさっぱりだ。
真世は通っている女学校で着物が推奨されていたから洋服を持っていなかったし、麻子は洋装のモガ——モダンガール——に「ふしだら、はしたない」と悪口を言っていたから、女性が洋服を着るのは良くないことなのかと思っていた。