真摯な声に彼を見ると、真剣な瞳があった。
『口づけをさせてくれ』
「え!?」
 燈子は思わず自分の口に両手を当てた。

『あのとき、俺は母に会いに行くのをためらった。だが、ひと目でいい、人になった俺を見てもらうべきだった。それがたとえ、さらなる失望につながったとしても』
「失望……」

『俺の母は、狼の俺を産んだ事実を受け入れられず心を壊した。俺さえ生まれなければ……』
 彼の吐露は、燈子が想像したことがない内容だった。裕福な家に生まれた彼は、姿こそ狼ではあるが恵まれて育ったのだと思っていた。

 だが、彼は生まれた瞬間、母に存在を拒否されたのだ。どれだけ深い傷を抱えて生きてきたのだろう。
 自分もまた、考えたことがある。自分がいなければ母は病狗に噛まれて命を落とすことなどなかっただろう、と。

『人になった姿を見たら、心を取り戻すかもしれない』
 言われた燈子は、すぐには頷けなかった。
「でも、もし人になれなかったら……」
『そのときは仕方がない。仮説は実験してみなくては立証できない。もちろん、嫌なら強制はしない。貞操にかかわるからな』
 彼の瞳は期待と不安が入りまじり、照明の下、不安定に揺れている。

 燈子が思い出すのは床に伏した母。
 もっと思い出を作りたかった。もっと一緒にいたかった。孝行をしたかった。
 彼には同じ後悔をさせたくない。
 希望があるのなら、叶えてあげたい。