彼は綾月颯雅(あやつき そうが)。先帝の曽孫にあたり、公爵の子息であり、この暁津洲帝国(あきつしまていこく)の陸軍大尉。人間の両親から生まれたのに、母方の祖先の血が強く出て、生まれたときから狼の外見だという。成人した今では軍で働き、帝国の守護神として名を馳せている。
 狼は写真越しでも眼力がすさまじく、ぴりりと電気が走った感覚があって目が離せない。

「この人がいたら、お母様も無事でいられたのかな……」
 燈子が幼い頃、母の琴絵(ことえ)と散歩に出た先で犬のあやかしが現れた。
 襲いかかられ、琴絵は燈子をかばって噛まれた。
 迅速に出動した軍兵を見てあやかしは逃げ、琴絵は噛み傷が原因で病に倒れた。

 犬のあやかしは病原菌を持っているものがおり、それは特に病狗(やまいぬ)と呼ばれる。かまれると病を発症し、徐々に悪化して死ぬことが多い。
 果たして琴絵もそうだった。時間をかけて体調が悪くなり、やがて寝たきりとなり、末期は食事をとれなくなり、細く細くやせて亡くなった。

 琴絵が寝付いている間に父の正雄は浮気をした。
 病気で倒れた母を見ていられないと現実逃避で芸者にはまり、その間にできたのが真世だ……ということになっているが、燈子はそれを信じていない。

 なぜなら、母が病に倒れたのが自分が六歳のときであり、真世との年齢差は二歳。それでは計算が合わない。
 もっと前から麻子を愛人にしていたのだろう。だが、それを言うと外聞が悪いので、隠していたようだ。
 一部では浮気は男の甲斐性と言われるが、世間的には愛人を囲うことは褒められたことではない。

 だから父は、周囲に仕方がないと思ってもらえそうな理由——母が倒れたこと——を語ったのだが「病床の妻を放って愛人を作るなんて」と非難される結果となった。母の死後、一年とたたずに麻子を嫁に迎えたのも顰蹙(ひんしゅく)に拍車をかけた。