ベッドの天井が、ぼんやりと滲んで見える。
それでも視線を少し下げれば、くっきりと見えるものがあった。

――椿の顔。

 こんな距離で見上げたことなんて、今まで一度だってない。
整った眉、真っ直ぐな睫毛、少し心配そうに揺れる瞳。
熱でふわふわする頭が、ますます混乱していく。

(……好きだなぁ……)

 胸の奥がじんわり熱くなる。
身体の熱か、気持ちの熱かわからない。

気づけば――
言葉が、勝手に口から零れていた。

「椿くん……好き。」

 静かな寝室に、その声はやけに大きく響いた。

椿の目が見開かれた。

「……美羽?」

 そう呼ばれるだけで心臓が跳ねた。
美羽は、頬が熱くなるのを隠せず、それでも言葉を続けた。

「こんな姿で言うの、すっごく恥ずかしいけど……
 椿くんが来てくれて……わ、ほんとに嬉しい……」

 ぽそりと漏らしたその言葉は、熱よりずっと熱かった。

 椿は少しのあいだ固まってから、
耳まで赤くしながら、ふいっと視線をそらした。

「……ばか。今言うか、それ」

「……なんで?言ったら、ダメなの……?」

 美羽がしゅんとすると、椿はますますそっぽを向いたまま答えた。

「……熱があるのに、キスできねぇだろ。」

 耳が――耳が真っ赤だった。

(つ、椿くん……照れてる!?
 なにそれ……なにこれっ……レア椿くん!!)

 美羽の心臓は、布団の中で爆発しそうだった。

 しばらく見つめていると、椿は咳ばらいしながら言った。

「……で?他に要望は?」

「……じゃあ、手……繋いでてくれる?」

 美羽は布団の端から、ちょこんと手だけを出した。
その小さな仕草を見た椿は、ゆっくりと視線を戻し、

「あぁ。……ずっと繋いでてやる。」

 大きな手で、美羽の小さな手を包み込んだ。
それだけで涙が出そうになるくらい安心した。

 だが、沈黙が数分続くと落ち着かなくなり、
ふと昨日の鈴との会話を思い出した。

「ね、椿くん……」

「なんだ?」

「椿くんって……私の部屋にいて平気なの?」

「ん?何がだ?」

 椿は不思議そうに眉を寄せる。

 美羽は布団の半分で顔を隠しながら、勇気を振り絞った。

「鈴ちゃんがね……
 “男の人はすぐ狼になるから椿くんの家には行かないほうがいい”って……
 だから……私の部屋なら平気ってことなのかなって……思って……」

 ――その瞬間。

「……っぶ!!」

 椿が盛大にむせた。

「は!?あいつ……また余計なことを……!」

 耳まで赤くなり、怒りと照れで顔をそむける椿。

「お前……もうちょっとマシな話しろよ……!」

「だ、だって……こういう二人きりの時じゃないと聞けないんだもん……」

 美羽が情けなく言うと、椿はさらに顔を覆った。

「はぁー…お前な…」

「美羽、もう寝ろ。」

 バサッ。

 椿は美羽に布団を頭から被せた。

「ちょ、ちょっと何するの椿くん!?」

 布団の中から抗議すると、椿は低い声で言った。

「……美羽。治ったら覚えとけよ。」

 その声音は、いつもの椿よりずっと熱くて、
胸に落ちた瞬間、息を飲んだ。

 布団から顔を出した時には、
椿は立ち上がり、扉に手をかけていた。

「えっ……もう帰るの?」

 美羽の声は弱く掠れて、椿には届かなかった。
ただ、静かに扉が閉まる音だけが残る。

「……えぇ、そんな……
 帰りたくなるくらいの話だった……?」

 ぽつんと呟き、布団にうずまる美羽。





 一方その夜――
美羽家のリビングでは。

「パパ、聞いてよ〜!美羽の彼氏、超イケメンだったのよ!!」

 母がテンション高く、仕事帰りの父に報告していた。

 父はスーツのままソファへ腰を下ろし、
次の瞬間――

「…………」

魂が抜けたような顔で、完全に固まった。

(……む、娘に……か、彼氏が…………?)

 その夜、父の精神はそっと天へ召しかけた。



 一方、美羽家を出た椿はというと――
外の春の風を受けながら、赤い耳のまま口元を押さえて呟いた。

「……なんだあいつ……
 可愛すぎだろ……俺の気もしらねぇで……」

 胸の奥が熱いのか、照れなのか、
苦笑いしか出てこなかった。