旅館に到着すると、秋の京都の夜気が静かに肌を撫でた。
部屋に荷物を置くと、女子組は早速温泉へ向かった。
湯気のむこう、ほわんと橙の灯りが揺れている。
美羽と莉子は肩まで湯に浸かりながら、ふぅ〜っと声を漏らした。
「はぁ〜〜しあわせ……」
「ほんっと、修学旅行って感じだよねぇ〜!」
湯面が揺れ、木の壁に光が反射する。
そんな穏やかさのなか、莉子がふいにこちらへ向き直った。
「で、美羽は?ぶっちゃけ椿くんとどこまで進んでるの?」
「ぶっ!?」
美羽は盛大に湯を吹きかけた。
「え、えええ!?な、なにその急な質問!?」
「いや〜気になるじゃん?お兄ちゃん(秋人のことである)もいないし、椿くんは最近すっごく優しいし〜。ほら、ふたりきりも多いでしょ?」
「そ、それは……まぁ……」
「キスとかしたの……?!」
「……キ、キスは……まぁ……」
(※美羽の脳内:椿のキス→心臓爆発→昇天)
莉子はぽかんと口を開け、次の瞬間湯船をばしばし叩いた。
「え!?そこまで!?それだけ!?美羽!?
いやいやいやいや、椿くん、気の毒すぎるでしょぉぉぉ!!」
「き……気の毒!??なんで!???」
莉子は深刻そうな顔で美羽の肩をつかんだ。
「だって椿くん、めっちゃ我慢してるよ絶対!あんなイケメンがさぁ、好きな子と毎日いちゃついてるのに、手を出さないわけ……」
「え?…手?手くらいは握ってるよ?」
「あぁ、もう!ちがうちがう!!美羽!ちょっと耳かしてっ!!」
そして莉子は、美羽の耳元に口を寄せ――
ある単語 をそっと囁いた。
美羽の脳が一瞬で真っ白になった。
湯気が止まったようで、世界が静かになる。
「……………………」
「…え、なに美羽…その反応マジなの??
……嘘でしょ?
……あ、ごめん。お子ちゃまには早すぎたかな〜?」
「な、な、なっ……!!!」
「お、お子ちゃまって言うなぁぁ!!」
全身真っ赤にした美羽は湯から飛び出し、顔を覆ったまま脱衣所へ逃げた。
「やれやれ。椿くんドンマイ、これは後先苦労するわね…」
湯船にぽつんと莉子が取り残されていた。
浴衣に着替えたあとも、
莉子の耳打ちワード が脳内でぐるぐる回り続ける。
(ダメダメダメ!!椿くん、そんなこと考えてるわけ……いや、でも男の子だし……いやいやいやいや……)
熱は下がらず、顔はトマトのよう。
そんな状態で廊下を曲がった瞬間――
そこに、風呂上がりの椿が立っていた。
髪はしっとり濡れ、浴衣の襟元は少しゆるい。
夜風が、彼の色気をさらに引き立てている。
「……美羽?」
その瞬間。
ぷしゅーーーーー……
美羽の鼻から、可愛らしい音とともに血が噴き出した。
椿は驚いて数秒固まっていた。
「はぁ!?」
「ち、ちが、違うの椿くん、これは……!!」
「お前、のぼせるまで入ってたのか!?バカ!こっち来い!」
美羽はさらわれるように抱えられ、
涼しい部屋の畳の上に降ろされた。
椿はタオルで美羽の鼻を押さえつつ眉を寄せる。
そしてティッシュの箱を奥の引き出しから取り出して素早く用意した。
「お前な……ほんと無茶すんなよ。」
美羽は恥ずかしさで声が震えた。
「ち……違うの!!のぼせたんじゃなくて……その……
莉子が……椿くんが気の毒だねって言うから……
それで……椿くん、私に無理してたりするのかなって……
考えて……たら……」
椿は固まった。
そして――
腹を抱えて爆笑した。
「ちょ……な、何笑ってるのよ!!」
「いや……ははっ……お前……マジで……純粋すぎんだろ…それでっ、鼻血かよっ…!!…あーーー腹痛ぇ……!」
目尻にうっすら涙まで浮かべて笑い続ける椿。
「笑わないでってばぁぁ!!」
椿はやっと笑いを収め、美羽の頬を触って言った。
「そんなに心配してくれるんなら――」
頬杖をついて目を細め、悪い笑みを浮かべる。
「……お前から襲ってくれてもいいんだぜ?」
「っっっっっ!?!?!?」
美羽、二度目の鼻血。
「ちょっ!?またかよ!!」
「もぉぉぉぉ!椿くんのバカぁぁぁ!!」
椿はまた笑って、
「悪ぃ悪ぃ、ほんと悪ぃ」
と言いながら、でも口元はずっと緩んでいた。
「久々にこんな笑ったわー」
「椿くん、どうしよう…拭いてるんだけど、
ティッシュ足りないかも…」
「ぶはっ!!」
「もー!!笑わないでよぉお!!!」
「いや、今のはお前が悪いわ。」
夜風がふわりと吹き、遠くで虫の声が優しく響く。
京都の夜は深まり、恋の熱だけが静かに旅館の一室を灯していた。



