カタン、と乾いた音が倉庫に反響した。

怜は、口元から血を垂らしたまま、不気味な笑みを浮かべていた。

「……椿くん。気づいてないと思うけど――
さっきの僕の蹴りで、君のあばら、折れてるはずだよ?呼吸するのもやっとなんじゃない?」

美羽はその言葉に、心臓が鷲づかみにされるような痛みを覚えた。

「椿くん!!」
涙が滲むほどの声で叫ぶ。

椿は息を荒げながらも、睨み返す。

「……うるせぇ。そんなもん……どうだっていい。」

怜はゆらりと立ち上がり、挑発するように肩をすくめた。

「無理は良くないよ?
どうあがいても僕の勝ち。……まだ分からない?」

椿は歯を食いしばり、声を震わせて怒鳴った。

「……黙れって言ってんだろうが!!」

拳を振りかざす椿。
怜は軽やかに避け、蹴りを入れる。
椿も反射的にかわして、再びパンチを繰り出す。

コンクリートに拳が当たり火花が散るような音が響いた。

その度に、美羽の心臓は潰れそうに縮む。

(椿くん……!!)

はらはらと胸が泣いていた。

しかも――
少しずつ、確実に、椿が押され始めている。

美羽は自分の胸をぎゅっと掴みながら思った。

(……なんで、どうして……こんな……
私がいるから……?
私が椿くんを好きになったから……?
皆が大切になったから……?)

視線を向ければ、玲央、悠真、碧、遼――
みんな倒れたまま、微動だにしない。

(このままじゃ……椿くんが……
椿くんが死んじゃうかもしれない……!!)

鳩尾を殴られた痛みが残るお腹を押さえながら、
美羽はゆっくりと立ち上がる。

――そのとき。

椿が怜を睨みつけ、吠えるように叫んだ。

「……美羽は!!
俺の女だ!!
お前には、絶対に渡さねぇ!!!」

その声は、怒りというより、悲鳴だった。

怜も負けじと蹴りを放つ。

二人の拳と足が、空気を裂きあう。

美羽は、耐えきれず声を張り上げた。

「――もうやめてっ!!!」

次の瞬間、
美羽は、ほとんど無意識に二人の間へ飛び込んでいた。

怜の拳が、美羽の頭へ直撃した。

「――っ」

視界が一瞬で白く弾け、
身体がふっと宙を浮く。

椿と怜が同時に目を見開いた。

美羽の身体が倒れゆく――。

怜が咄嗟に美羽を抱きとめた。

椿は悲鳴のような声をあげる。

「てめぇ!!
美羽から離れろォォ!!」

殴りかかろうとする椿。
だが怜は冷酷に蹴りを繰り出した。

その蹴りは、
折れた椿のあばらの上を――正確に貫いた。

「……ぐっ……!!……はっ……!」

椿は血を吐き、コンクリートに崩れ落ちる。

怜は美羽を抱いたまま、くつくつと笑った。

「はは……僕の勝ちだね。
美羽さんは――僕がもらう。」

美羽は意識を失い、怜の腕の中で静かに眠っている。

椿は、這いずって叫ぶ。

「美羽!!
美羽!!起きろ!!
目を開けてくれ……美羽ぇえ!!」

その叫びも、彼女には届かない。

怜は美羽の頬に自分の頬を擦り寄せ――
酔ったように囁いた。

「あぁ、可哀想な僕の天使さん。
ごめんね、痛かったよね?
でももう大丈夫……僕が、全部もらうから。」

倉庫の中央のソファーへ美羽を抱え、
まるで宝物のようにそっと寝かせると――
怜はゆっくりと馬乗りになった。

椿の顔色が蒼白に変わる。

「やめろ……!
神楽――やめろォォォ!!」

しかし、椿は立ち上がろうとすると激痛に崩れ落ちる。

怜は美羽の頬に優しく手を添え、
撫でる。

「目を覚まして……美羽さん。
ほら、お姫様はね……
王子様のキスで、目を覚ますんだよ?」

椿の絶叫が倉庫に響いた。

「やめろ!!
やめろぉぉ!!
神楽……やめてくれ……!!」

怜の顔が、眠る美羽の唇へゆっくり近づく。




その頃――
美羽の意識は暗闇を漂っていた。

(……誰か……声が……聞こえる……
これ……椿くん……?)

(あれ……私、倒れたんだっけ……?
起きなきゃ……起きなきゃダメなのに……
身体が……動かない……!)

怜の顔が近づいてくる感覚だけが伝わる。

(……やだ……!
やだ!!!!
椿くん……!!)





その時。

――ドガァァァンッ!!!!!!

耳をつんざく轟音。

美羽の身体に圧し掛かっていた重みが、
突然消えた。

美羽は薄く目を開ける。

「……え……?」

怜の姿が、そこにはない。

代わりに――
自分を見下ろして立つ、一人の青年。

右目のまぶたに縦に走る傷。
異なる色の左右の瞳――オッドアイ。
美しく整った顔立ち。

まるで夜の海と朝の光を同時に抱えたような青年が、
静かに微笑んだ。


「Hi? Mihane.
……危機一髪、だったね?」

美羽の目に涙が滲む。

震える声で、その名を呼んだ。

「……秋……人……くん……?」

倉庫の空気が、一瞬で変わった。

それは黒薔薇の切り札となりうる――
莉子の兄、"高城 秋人"が帰ってきた。