椿に手を引かれながら歩く朝の道は、
いつもの通学路とは思えないほど眩しかった。

 けれど——。

(や、やっぱり……もう少し距離を……いや、でも……
 でも手、汗ばんできたかも……どうしよう……)

 そんなことを考えていると、
美羽はそっと手を離そうとした。

 その瞬間。

 ぎゅっ。

 指先を絡め直すように、
椿の手が強く握り返してきた。

「……おい、急に離すな。」

「え……っ⁉ あ、あの……手、ちょっと……」

「なんだ?あ、どーせ汗とか気にしてんだろ。」

「え!?いや、だって…椿くんの手、綺麗だから余計に——」

「知るか。」

 歩きながら、
椿はほんのり耳まで赤い。

 どうやら“手を離される”のは、
とんでもなく嫌らしい。

(え、なにそれ……なんか可愛いんですけど!!……無理……)

 美羽は胸を押さえたくなる衝動をこらえた。

 やがて学園の正門が見えてくる。
黒薔薇の校章が朝日に光り、その下には新学期のざわめきがあった。

 ざわ……ざわ……

 一年の生徒たちが一斉に振り向いた。

「え……北条先輩じゃね……?」
「マジだ……あれ手ぇ繋いでんの……?」
「一緒に登校……って……彼女……?」
「いや北条先輩!?まじで?!」
「雨宮さんじゃない?一年のとき可愛いってめっちゃ噂されてた……」

 視線が一気に集まり、美羽の心臓が跳ねあがる。

(ひぃぃーーー!!無理、無理、死ぬ!!)

 顔が真っ赤になって、手を引っこ抜こうとしたが——

 その一瞬前。
椿がすっと美羽を引き寄せ、
肩を抱くようにして自分のほうへ寄せた。

「見んな。……うっとおしい。」

 低く冷たい声。
周囲の空気がピタッと止まった。

 噂好きな一年女子たちが息を呑む。
男子たちはビビり、
女子の一部は悲鳴を飲み込んだ。

「うわ、椿先輩……あんな声初めて聞いた……」
「ガチトーンじゃん……」
「冷たいけど…カッコいいかも………」

(ちょ……ちょっと待って!?
 椿くんなんでそんな守るみたいな態度に……!?)

 美羽が動揺していると、
椿は周囲に聞こえない声で、ささやいた。

「いいから俺のそば歩いとけ。
 ……離れるなよ。」

 その声音は、
威圧よりももっと深くてあたたかかった。

 そしてもうひとつ。

 椿の指が、
美羽の手の甲をそっと撫でた。

「……俺の彼女なんだから、胸張っとけ。」

「っ……!」

 美羽は一瞬で真っ赤になる。

(やばい……
 やばい……これ本気で倒れる……)

 椿は表情を変えないまま、
美羽の耳元に少し顔を寄せた。

「嫌なら言えよ。」

「い、嫌じゃない……!!全然……!」

「はっ、ならいい。」

 その一言で終わらせるのが、
椿らしい。

 でも美羽の胸の内は、もう大変なことになっていた。



 昇降口に着く頃には、
噂は校内の半分に広がっていた。

「えっ!?見た!?北条先輩と雨宮さん手繋いでたらしいよ!」
「いやいやいや無理……ショックで今日学校休みたい……」
「ちょ、あの距離感何!?本当に付き合ってんの!?」

 視線の集中砲火。

(ど、どうしよう……
 椿くんとのこと、すぐバレちゃう……)

 靴箱の前で小さく縮こまる美羽。

 そんな美羽の肩に、
上からぽん、と椿の手が置かれた。

「美羽、まだ気にしてんのか。」

「だ、だって~!!」

「気にすんなって言っただろ。俺が言うんだから間違いねぇ。」

「全然意味わかんないんだけど!!」

 椿は横目で美羽を見て、
ふっと小さく笑った。

 とても、柔らかく。

「……俺は、お前が隣にいるだけで十分だ。」

「っ、っ……!!」

 心臓に直接キスされたみたいな破壊力だった。

(ちょ……朝からこんなの……どう生きていけば……)

 美羽がしゃがみ込みそうになったとき。

「——椿ぃぃぃーー!!」

 背後から大声が響いた。

 派手に走ってくるのは悠真。
後ろからのんびり歩く碧と玲央と遼も見える。

「うわ、本当に登校一緒じゃん!!!
 なにそのイチャ……うわあああ!!」

「悠真くん、声大きい!!」

「いやいやいや無理無理!心臓壊れるよ僕!!」

 騒ぐ悠真の背中を、玲央が淡々と叩いた。

「悠真落ち着け。心拍数が限界だぞ。」

「落ち着けるかぁぁぁ!!!」

 遼はというと、美羽を見てにやっとする。

「やるねぇ、美羽ちゃん。
 朝から甘々とか、リア充すぎ。羨まし〜」

「う、うるさい……!」

 碧は微笑んで頷いた。

「でも、素敵だと思いますよ。
 春らしくて。」

(ひぃぃ恥ずかしい!!みんなの前でこんなの!!)

 ほとんど泣きそうな美羽の横で、
椿は冷静そのもの。

「騒ぐな。……ほら、美羽。」

 椿がそっと、美羽の手をもう一度握る。

 朝の光が二人の影をひとつにした。

(わたし……
 本当に、椿くんの彼女なんだ……)

 胸がじんわり熱くなる。
そして今日の空はやっぱり綺麗で、
桜の匂いが嬉しいほどに香っていた。