鬼景色


 白い布はすっぽりと景の体を覆っていて、遠くに立ったまま彼女の姿を見ることは叶わなかった。鬼はさらに進み、亡骸の隣にひざまずいた。
 腰に差していた剣を、畳の床に置く。

 もう遅すぎることだ。

 しかし、なにがあっても鬼は景に危害を加えないという印を、彼女の前に示したかった。
 もう遅すぎる……。本当に、なにもかもが遅すぎることだ。

 鬼は、景の顔にあたる部分の布をめくった。
 安らかに目を閉じた可愛らしい景の顔が現れる。青白くはあったが、まだ息を引き取ってからほとんど時間が経っていないのだろう、まだほのかな桃色が頰に差している。

『おケイ、おケイ、おケイ』……。

 まさかこんな運命が繰り返されるとは。
 鬼も父と同じ道を辿るのだろうか。そうかもしれない。

 それについては良いとも悪いとも思わなかった。ただ、そうなるのだろうなという空虚な想像が、ぽっかりと穴の開いた体の奥に満ちていく感じだった。

『鬼とは、必ずしも悪いものを指すだけではないのだと思います』
 景は言っていた。
 悪鬼という言葉があるのだから、悪くない鬼もいるという意味だと。子供騙しの理論ではあるが、あの時たしかに鬼の中でなにかが震えた。
 もしかしたそれが……鬼の中で眠っていた、心、だったのかもしれない。

『あなたの心は、きっと、どこか静かな所で眠っているのですね』

「景……お前は俺の心を目覚めさせたんだよ」

 もうずっと長い間、こんな喋り方をしたことはなかった。喉の奥が痛い。鬼はそっと景の首筋に視線を流した。が、傷はひとつもない。剣は喉を狙わなかったようだ。
 となると、考えられるのは心臓だった。
 心。

「それなのに……俺を置いて行ってしまうんだな。俺は……お前を守れなかった」

 鬼のささやかなる独白は静かに部屋に響いた。外の霧雨のせいで、寒々とした湿気のある空気が充満している。
 景は動かなかった。
 しかし、死が彼女を蝕んでいるようには見えない。景は綺麗だった。可愛かった。静かだった。

「すまない。すまなかった」

 鬼は上半身をかがめ、ゆっくりと景に顔を近づけた。自分の前髪が彼女のひたいにかかる。鬼は目を閉じて、心を込めて景の唇に口づけた。

「景……」
 鬼の心はなくなったわけじゃない。
 ここにある。ここで脈打って、景を求めている。彼女を愛したかった。彼女と生きたかった。

 鬼の頰にひと筋の塩水が垂れる。それが涙だと気づいた時には、その水滴は景の頰にぽとりと落ちていた。

「……ん……」
 幻聴が聞こえる。景の声だ。まるで微睡(まどろみ)から覚め、ぼんやりと現実を探しているようなかすれた声。
 ぴくりと景の睫毛が揺れ、震える。
 鬼は目を見開いた。
「け……」
 ……い。