きっと近いうちに父は景の輿入れを決めるはずだ。多分に、おきくの意向が大きく働いた相手選びになるだろう。
つまり、景が幸せになれる可能性は限りなく低いということだ。
母はもう亡い。
父はおきくに盗られてしまった。
鬼とはもう会えない。
(どうか……。もう、どうか……)
今まで必死になって守っていた心の中の大切ななにかが、音を立てて崩れていくのを感じた。
壊れていく。
消えていく。
それを止めようという気さえ、もう起きなかった。今この時、あの暴漢が再び現れても、景は抵抗しないだろう。心を失って生きていくということがどれだけ苦しいか、景は学びつつあった。
『俺には心がないのだ』
と、鬼は言った。
その言葉を漏らした彼の真意を思うと、胸が張り裂けてしまいそうだった。きっと鬼も、過去になにかひどく辛い経験があったのだろう。
それでも真っ直ぐに生きている彼に、尊敬と憧れが深まる。もう二度と会えない人への思慕を深めることほど、切ないことはないというのに。
景は静かに空を見上げる。
重い灰色の雨雲は心を慰めはしなかったが、世の無常を感じるには十分な静けさがあった。もう泣くことしかできないなら、心ゆくまで泣いてしまおう。
そう思って下唇をきゅっと噛んだ時だった。
かすかな、しかし不自然な足音がどこからか聞こえた。庭先から? 背後? 部屋の中?
もしかしたら鬼が戻って来てくれたのかもしれない!
そんな期待に鼓動が早打ち、息を呑む。
確認しようと首を回した景は、次の瞬間、うなじの下を殴られるような強い衝撃を感じて、なぎ倒されるようにどさりと前のめりに倒れた。
消えていこうとする意識の中で、景が最後に思い浮かべたのは鬼の名前だった。
そして、彼の深い深い……漆黒の瞳だった。

