「もしあなたがわたしの立場なら、彼女を憎みますか?」
景の穏やかな声に、鬼は記憶の白昼夢から呼び戻され、彼女をもう一度凝視した。景。景姫。その名をどう呼ぼうとも、彼女の瞳には優しさと高貴さが宿っているように見えた。
答えは考えるまでもない。
「俺はだれも憎まない。俺には心がないのだ」
「心が、ない?」
驚いたふうに、景は小さく口を開けて鬼の台詞を反芻する。鬼はうなずきもせずに続けた。
「だれも恨まない。なにも欲しない。だれも愛さない。それが俺だ」
どうして年端もいかない少女にこんな告白をしているのか、鬼には謎だった。そもそも、どうして彼女の横に立って、洛陽を浴びながら言葉を交わしているのかさえ、確かではない。
辺りには誰もいない。
鬼の腰にある刀は、今この瞬間にでも景を切り刻むことができる。そのために鬼はここにいる。
しかし、鬼の手は動かなかった。
そして、もう少し景の声を聞いていたいと思った。
「あなたの心は、きっと、どこか静かな所で眠っているのですね」
景はそれだけ言うと落日に目を移した。しかし、太陽そのものはもう沈みきり、薄紫の余韻が空に低く広がっているだけだ。
夜が来る。
夜が、来ようとしている。

