「なぜ」
鬼の口は勝手に動いていた。
「なぜ、お前はあの女を憎まない」
「あの女?」
弾かれるように夕日から目を離し、景は鬼を見上げた。
「おきくと言ったか。お前の父にすり寄り、奴を意のままに操ろうとし、お前を屋敷の奥へ追いやった上に、ろくな警護も付けずに刺客の前に転がしておくつもりの女だ」
景は鬼の言葉に驚いた顔を見せたが、しばらくすると意外にも、わずかな笑い声を漏らしながら微笑んだ。
「そういう見方もできるのですね」
「事実だ」
「そうかもしれません。でも、わたしになにが出来るというんでしょう」
切ない微笑みだった。諦めと覚悟の両方が、細められた瞳から伝わってくるような。景のような年の少女には似つかわしくないほど、大人びた表情だった。
景はほんの少し首を傾げて、鬼を見つめる。
まるで鬼を信じきった瞳で、まるで鬼が尊敬に値する一人の男であるような眼差しで、鬼に答えを求めているようだった。鬼の喉が渇く。息をするのが億劫なくらいだった。
こんなふうに見つめられるのは本当に久しぶりで、鬼は身体を固くした。
鬼がまだ人の心を持ったただの少年だったころ。もう、記憶にすらないほど遠い過去の昔、こうした瞳を見ることがあった。相手は近所の少女だったり、母だったりした。
母。
──おケイ、おケイ、おケイ。

