納屋から出ようとしたところ、ふいに祢音(ねね)が「朱華」と呼び止めてきて、朱華は振り返る。

「はい」
「あなたは一週間前、碧霄宮(へきしょうぐう)の女官に呼ばれて星凛(せいりん)(きみ)と会っていますね。あのときの用件は一体何だったのですか」

朱華の心臓が、ドクリと音を立てる。

本当はあのとき高天(たかあまの)(みかど)を早く暗殺するように圧をかけられたが、それは彼女には言えない。幸いなことに祢音は碧霄宮でどんな話し合いがなされたのかまではわかっていないようで、朱華は精一杯平静を装って答えた。

「わたくしが龍帝陛下にお目をかけていただいていることを知った星凛の君が、ご興味を持って宮に呼ばれたのです。早く妃となって御子を懐妊するように、そうでなければ陛下のお傍から離れるようにと、厳しいご忠告を受けました」

すると陽羽(ひのは)のきつい性格を知っているらしい彼女が、小さく息をつきながら「そうですか」とつぶやく。

「もし今後も星凛の君にしつこく呼ばれるようでしたら、わたくしに相談してください。上手く理由をつけて断るようにします」
「ありがとうございます」

今度こそ祢音と別れて歩き出しながら、朱華は改めて先ほど萩音に襲われたときのことを思い返す。

いつも涼やかで泰然としていた彼女は、実は激しい嫉妬の感情を募らせていた。それだけではなく、風花を始めとする采女たちを煽り、朱華に嫌がらせをするように仕向けていたのだ。

萩音は龍帝の傍近くに仕える役職だっため、余計に悔しさがあったのだろう。他の采女たちに至っては高天帝と言葉を交わす機会すらないのだから、ただ一人特別扱いされる朱華は憎まれて当たり前だったに違いない。

(こんなにも周りに影響を与えてしまうなら、やはりわたしは華綾の采女として出仕するべきではなかった。でも――)

「高天帝と会わなければよかった」とだけは、どうしても思えない。

そう考えながら翠霞宮に戻った朱華は、自分の部屋で汚れた衣裳を着替える。そして現場に戻ると、先に戻っていた祢音が「萩音さまは急病のため、今日はわたくしが代わりに仕事の指示を出します」と説明したらしく、采女たちが話をしていた。

「萩音さま、宮中行事の日に具合が悪くなるなんてお気の毒ね」
「先ほどまではお元気そうに見えていたのだけど」