萩音がゆっくりとした動きで歩み寄ってきて、朱華は地面に倒れ込んだまま彼女と距離を取ろうとする。

それを見つめ、萩音が言葉を続けた。

「そのおかげで尚侍(しょうじ)の役職を得て、陛下のお傍近くに仕えることができるようになったわ。でも、あの方はわたくしがどんなに言葉や態度で気持ちを示しても、決して応えてはくれなかった。それなのに新顔のあなたが一足飛びにあの方と直接言葉を交わし、〝話し相手〟として毎日のように呼ばれるようになって――一体どんな手を使って陛下のお気持ちをつかんだの?」

彼女の口調は静かだったが、瞳の奥には押し殺した怒りの感情があり、それを見た朱華はかすかに顔を歪める。

(ああ、わたしはずっと……この人に憎まれていたんだ)

自分に無視や悪口といった嫌がらせをしてきた華綾の采女たちとは違い、萩音はそうした俗っぽい感情とは無縁であるように見えていた。

だが実際は高天(たかあまの)(みかど)に特別扱いされる朱華に誰よりも嫉妬し、それを表に出さないようにしていただけなのだろう。

朱華は小さな声で答えた。

「わたくしは……何も特別なことはしておりません」
「あら、教えられないの? あなた、自分が龍帝陛下に目を掛けていただいているからって、わたくしを始めとした周りの人間を見下しているんじゃなくて?」
「そのような」

そんなことはない――と必死に言い訳をする朱華を見つめ、萩音が口元に笑みを浮かべて言う。

「あの方は即位されて以来女性には誰一人お手を付けず、だからこそ華綾の采女たちの均衡は保たれていたわ。でも唯一特別扱いされるあなたの存在は、それを崩してしまった。采女は官僚を父に持つ者が多いから、皇極(こうきょく)殿(でん)の外の政治の世界にも影響してしまうことになるわね」

彼女が「だから」と言葉を続け、懐から小刀を取り出して言う。

「あなたは皆のために、いなくなってくれたほうがいいと思うの。陛下が誰も愛さなければ、采女たちの間に波風は立たない。もしかすると、あの方は一度あなたを特別扱いしたことで頑なさがなくなって、他の者を公平に寵愛してくださるようになるかもしれないわ。それこそが本来の在り方ではないかしら」