風峯の要求は朱華が高天(たかあまの)(みかど)に近づいて彼を殺害することであり、「もし実行できた暁には嫌疑がかからないよう上手く取り計らい、皇宮から脱出させた上で高額の謝礼を支払う」と約束した。

しかしそれは嘘ではないかという思いが、ここ最近朱華の胸に渦巻いている。もし彼がそのつもりなら、母を使ってこちらを脅迫するような真似はしないだろう。

そもそも刺客となる話を断った時点で朱華を殺そうとしていたのだから、そんな温情をかけるわけがなかった。

(きっと風峯さまは、殺害を実行した時点で「朱華が痴情のもつれから龍帝陛下を弑した」と公言し、自身の関与を否定するはず。つまりわたしは、最初から捨て駒だったんだわ)

とにかく母の安否を確認したいが、華綾の采女は休日以外に皇宮の外に出るのを禁じられているため、それもままならない。

残された手段は高天帝にすべてを話して桔梗を保護してもらうことだが、そうすれば自分が彼を暗殺する目的で皇極殿に潜入した事実を話さなければならず、朱華は胸の痛みをおぼえた。

(わたしは……自分が刺客として潜入したことを、(ちさ)()さまに知られたくない。あの方はわたしが風峯さまの実子ではないと知ったあとも、信頼して愛してくれた)

高天帝は宮廷内に渦巻く自身への反感を理解しており、華綾の采女ともあえて距離を取って、傍近くにはごく限られた人間しか近づけていない。

そんな彼が自分を信じ、他の家柄に優れた采女たちを差し置いて愛してくれた事実は、朱華にとってこの上なく大きなものだった。

その結果、周囲からは嫉妬と羨望の目で見られて孤立し、友人だと思っていた美月と風花も離れていってしまったが、高天帝はそうした孤独感を補って余りあるほどの細やかな愛情を向けてくれている。

今後自分がどうするべきかを考えると暗澹たる気持ちになり、朱華は鬱々とした思いを持て余しながら皇極(こうきょく)殿(でん)に戻った。

そして改めて割り振られた仕事に戻ると、粛々と作業をこなす。相変わらず他の采女たちからは遠巻きに見られていて、奉職中に話しかけても無視されたり食事の膳が用意されていないことがあった。

だが何度も繰り返されるうちに「そういうものだ」として割りきり、膳がない場合は大厨(だいちゅう)と呼ばれる皇宮の総料理長に直接申し出て食事を出してもらっていた。

翌日、朝堂院に花を生けにいっていた朱華は、皇極殿に戻ろうとしたところでふいに年嵩(としかさ)の女官に話しかけられる。

「そなたが朱華ですね。我が主がお呼びです、このまま一緒に来ていただけますか」