その気もないのに、わざと気を持たせるような行動をするのは残酷だ。

もしかすると高天帝は朱華が風峯の指示を受けて出仕している事実にいまだ引っかかりをおぼえており、だからこそ気持ちを弄ぶような行動をしているのかもしれない。

そんなふうに考えつつも、「龍帝陛下はそんな方ではない」という思いが強くこみ上げ、朱華は千々に乱れた気持ちを押し殺す。

彼はそのときの気分で下の者に強く当たったり、傲慢な態度を取ったことは一度もない。しかしそうすると発言と行動の一貫性が取れず、朱華の心は袋小路に迷い込む。

(どちらにせよ、わたしの気持ちは叶う望みのないものだわ。多少他の采女たちより特別扱いをされていても、あの方の心には別の女性がいるんだもの)

そもそも龍帝暗殺の密命を帯びて皇極殿に潜入した自分には、高天帝を好きになる資格などない。
〝風峯の娘〟という出自も嘘なのだから、他の由緒正しい家柄の采女たちと肩を並べることすらおこがましい話だ。

ならば自分の想いを固く封じ込め、彼と接するのは最小限にするべきではないか――そう結論づけた朱華は、ズキリと胸の痛みをおぼえる。

(やっぱり早く皇宮を出て、お母さんと遠くに逃げる方法を考えたほうがいいかもしれない。……わたしは龍帝陛下を殺せないのだもの)


――だが事態は、思わぬ方向に転がった。

翌日、他国の使節団を招いて朱鳳殿(しゅほうでん)で行われる宴席の手伝いに駆り出された朱華は、調度を整えたり花を飾ったりと忙しくしていた。

命じられるがままにせっせと花の水切りをしていると、ふいに背後から一人の官人が近づいてきて耳元で低く言う。

「――そのまま手を止めずに聞け。お前が朱華だな」
「は、はい」
「昨日、龍帝陛下と古香園に散歩に出掛け、花を(たまわ)ったとか。風峯さまにご報告したところ、お前の働きにいたく満足されていた」

声からすると三十代半ばとおぼしきこの官人は、風峯の手の者だ――そう気づいた朱華は、顔をこわばらせる。

確かに華綾(かりょう)采女(うねめ)として出仕する前、彼は「自分は官僚であるがゆえに皇宮の朝堂院までしか入ることはできないが、官人には何人か間諜を潜り込ませている」「そなたの動向は、ある程度こちらに伝わると承知しておくように」と言っていた。

つまりこの官人がそのうちの一人であり、風峯の意向を伝えるためにこうして奉職の最中に話しかけてきたに違いない。

彼は手元の帳面を確認するふりをしながら、言葉を続けた。

「華綾の采女にまったくご興味を示されない陛下が、唯一お前にだけは関心を寄せている。ならばその機会を利用し、できるだけ早く計画を遂行せよ」