咄嗟に「よろしければ、毎日陛下とお話しする時間をいただけないでしょうか」と申し出たとき、朱華自身が驚いていた。

風峯から暗殺するよう密命を受けているものの、実際に行動に移す気はない。ならば自分から高天帝に近づく理由もないはずだが、思わずあんな言葉が出たのは彼の精神状態が心配になったからだ。

朱華の目から見た龍帝は、怖いくらいの美しさを持つのと同時に、孤独感を漂わせた人だった。
いつも気だるげで采女を必要以上に傍に寄せつけず、「殺してくれ」と口にする彼は、確かに病んでいるように見える。

この国の為政者として絶大な権力を持っているにもかかわらず、高天帝は幸せではないのだ。それどころか臣下から命を狙われている現状に、朱華はひどく同情していた。

(確かに風峯さまの言うとおり、妃を一人も持たずに世継ぎとなる子ももうけないあの方は、皇帝としての責務を放棄していると言えるのかもしれない。でもそれは、死に値することかしら)

皇極(こうきょく)殿(でん)に入ってひと月余りが経つが、高天帝の悪い噂は聞こえてこない。

彼は采女たちに対して居丈高な態度を取らず、穏やかな人柄のようだった。先ほど話をしたときも、高天帝は朱華の話に興味深く耳を傾け、「また市井の話を聞かせてくれ」と言ってきた。

彼の醸し出す威厳や常人離れした容姿には依然として畏怖の気持ちはあるものの、自分の話を聞いて気晴らしになるのなら、それはとてもいいことだと思う。

(あの方を暗殺する気はまったくないけれど、直接お話しできるようになったのだから一応風峯さまへの言い訳は立つわ。このままつかず離れずの関係を維持して、わたしはいつか皇宮を出てお母さんと遠くに逃げる方法を考えよう)

しかしその後、事態は朱華の予想外の方向に転がった。
宴から二日後に高天帝が私室に朱華を呼んだことが、采女たちの間に大きな波紋を広げたのだ。

これまで身の周りの世話をする役職付きの采女にも手をつけなかった彼が、新顔である朱華を呼んだ――その事実に皇極殿内はざわめき、官人を通じて閣僚や官僚にまで話が広がっていった。

「一体どこで見初められたの? 龍帝陛下とお言葉を交わす機会があっただなんて」

美月や風花を始め、他の采女たちからも質問攻めにされた朱華は、必死に言い訳をした。

「奉職中に風で飛んだ領巾(ひれ)を拾っていただいたことがあって、そのご縁でお声をかけられただけなの。お部屋に呼ばれたのは市井のお話をお聞かせするためで、決して夜伽ではないから」