高天帝は、生まれたときから白桜国の初代龍帝・霞雲帝の記憶がある。
霞雲帝は天界に住まう龍だったが、「長きに亘って続く戦を終わらせ、世に平和をもたらしてほしい」という人間の乙女の祈りを聞いて地上に降り、圧倒的な力を振るって国を平定した。
そして乙女を愛したがゆえに人の器に留まり、白桜国の初代皇帝となったが、夫婦として過ごした数十年は言葉にし尽くせないほど幸せだった。
しかし彼女――椿花は、もういない。今の器に生まれたときからその事実を思い知らされ、二十六年間強い喪失感に耐えてきた高天帝は、既にこの世に飽いていた。
〝華綾の采女〟とは、初代龍帝が愛した皇后・椿花が祈りを捧げる際、祠に美しい花を供えていたことになぞらえた妃候補の呼称だ。
しかし清らかで心優しかった彼女とはかけ離れ、私利私欲が渦巻く者たちの集まりとなっているのが現状だといえる。
そんな者たちを召し上げる気にはなれず、妃を娶らずにいる高天帝への宮廷の風当たりは強かった。
世継ぎとなる子をなさずに龍帝が死ねば、この国は荒れる。正統な統治者を失えば再び戦乱の世となり、他国につけ込まれる隙ができてしまうに違いない。
だからこそ閣僚や官僚、富裕層の人間はこぞって自分の娘を出仕させ、こちらに世継ぎを作るよう圧力をかけてきている。
(それにしても、風峯の娘か。彼は人当たりがよく柔和だが、権力への欲を隠しきれていない。娘を華綾の采女として出仕させたのは、何とか私の子を生ませ、自身が外戚として力を振るおうという心づもりからか。それとも他に理由があるのか)
風峯が就いている内蔵頭という役職は、国家の財政を取り仕切る長官だ。
予算の執行はもちろん、金や銀、絹、宝物の保管の他、官人への下賜や物資の調達、他国との交易によってもたらされた品の仕分けもしており、その権力は大きい。
それなのにさらなる権力を求める彼の気持ちが、高天帝には解せない。だがそんな風峯の娘である朱華は嫌な感じがせず、意外に思った。
しかも彼女は昼餉の時間を過ぎても働いていて、それは自身の身分を笠に着ていないことを如実に表している。
父親にまるで似ていない朱華が、高天帝の中で不思議と印象に残った。散歩を切り上げて皇極殿の建物内に入ると、小姓を始めとする数人の近侍が出迎えた。
彼らを伴って磨き上げた廊下を進んだ高天帝は、私室の前まで来る。武衛司が扉を開けたところ、中には数人の采女がいて、ひときわ着飾った者が礼を取って言った。
「おかえりなさいませ、陛下」
霞雲帝は天界に住まう龍だったが、「長きに亘って続く戦を終わらせ、世に平和をもたらしてほしい」という人間の乙女の祈りを聞いて地上に降り、圧倒的な力を振るって国を平定した。
そして乙女を愛したがゆえに人の器に留まり、白桜国の初代皇帝となったが、夫婦として過ごした数十年は言葉にし尽くせないほど幸せだった。
しかし彼女――椿花は、もういない。今の器に生まれたときからその事実を思い知らされ、二十六年間強い喪失感に耐えてきた高天帝は、既にこの世に飽いていた。
〝華綾の采女〟とは、初代龍帝が愛した皇后・椿花が祈りを捧げる際、祠に美しい花を供えていたことになぞらえた妃候補の呼称だ。
しかし清らかで心優しかった彼女とはかけ離れ、私利私欲が渦巻く者たちの集まりとなっているのが現状だといえる。
そんな者たちを召し上げる気にはなれず、妃を娶らずにいる高天帝への宮廷の風当たりは強かった。
世継ぎとなる子をなさずに龍帝が死ねば、この国は荒れる。正統な統治者を失えば再び戦乱の世となり、他国につけ込まれる隙ができてしまうに違いない。
だからこそ閣僚や官僚、富裕層の人間はこぞって自分の娘を出仕させ、こちらに世継ぎを作るよう圧力をかけてきている。
(それにしても、風峯の娘か。彼は人当たりがよく柔和だが、権力への欲を隠しきれていない。娘を華綾の采女として出仕させたのは、何とか私の子を生ませ、自身が外戚として力を振るおうという心づもりからか。それとも他に理由があるのか)
風峯が就いている内蔵頭という役職は、国家の財政を取り仕切る長官だ。
予算の執行はもちろん、金や銀、絹、宝物の保管の他、官人への下賜や物資の調達、他国との交易によってもたらされた品の仕分けもしており、その権力は大きい。
それなのにさらなる権力を求める彼の気持ちが、高天帝には解せない。だがそんな風峯の娘である朱華は嫌な感じがせず、意外に思った。
しかも彼女は昼餉の時間を過ぎても働いていて、それは自身の身分を笠に着ていないことを如実に表している。
父親にまるで似ていない朱華が、高天帝の中で不思議と印象に残った。散歩を切り上げて皇極殿の建物内に入ると、小姓を始めとする数人の近侍が出迎えた。
彼らを伴って磨き上げた廊下を進んだ高天帝は、私室の前まで来る。武衛司が扉を開けたところ、中には数人の采女がいて、ひときわ着飾った者が礼を取って言った。
「おかえりなさいませ、陛下」
