(当初の約束どおり、風峯さまはお母さんにちゃんとした暮らしをさせてくれている。でもそれはきっと、わたしの退路を塞ぐためだわ)

以前の暮らしのままでは桔梗の高価な薬を賄いきれず、彼女は早晩大きな発作を起こしたはずだ。

食費を切り詰めた生活ならば体力も落ちてしまい、朱華は父に続いて母まで失うことになってしまったかもしれない。

そんなことを考えながら自室で文机に向かった朱華は、教師に与えられた分厚い冊子を開く。
それに記されているのは皇宮で育てられている膨大な花の種類で、図解と共に種を蒔く時季や手入れの仕方、開花時期などが詳しく綴られていた。

華綾の采女は皇宮内に複数ある庭園で花を育て、それを龍帝に献上するらしい。男性でありながら花を好むという龍帝とは、一体どういう人物なのだろうと朱華は考える。

(白桜国の歴史書には、龍帝陛下が龍の化身だとはっきり書いてあった。かつて人間の乙女の祈りに応じてこの地に降り立ち、そのまま人の器に留まったのだと……。つまり陛下の本性は龍だということになるけれど、わたしはそんな人を殺せるの?)

朱華が華綾の采女として出仕する目的は、龍帝を暗殺するためだ。

風峯いわく、龍帝はここ数年病んでおり、だいぶ力が衰えているという。宮廷内には妃と世継ぎの御子を持たない彼を早急に退位させ、新たな龍帝を立てたいという思惑があるようだが、病み衰えているのならそのまま時間が経てば自然と命運が尽きるのではないか。

そんな疑問が湧き、実際風峯に問いかけてみたものの、一体いつ病没するかはっきりとしない上、いつまでも後継となる子をもうけないのは国家として由々しき問題らしい。

彼の口ぶりからは、国主としての務めを果たさない現在の龍帝を暗君と思っている節が感じられ、朱華は「国の中枢は決して一枚岩ではなく、さまざまな思惑があるのだ」と考えた。

やがて季節が春に移り変わり、朱華の舞が少し上達した頃、勉強には暗殺に関するものが加わった。

さまざまな毒の種類やその煎じ方、人体の急所や刃物の扱い方など、必死で知識を詰め込みながらも次第に気持ちが滅入ってくる。

実際に小動物に毒物を処方するように言われ、その命を奪ってしまったときは、手が震えて涙が止まらなかった。

だが教師から厳しく叱責され、何度も同じことを繰り返させられるうち、朱華は次第に感情を表に出さないようになった。

すると暗殺を生業とする中年の男は、満足そうに頷いて言った。

「そうだ。そうして冷静に振る舞えば、相手はお前の殺意に気づかない。油断させたのちに行動に移せば、本懐を遂げることができるだろう」